明日もいい天気

文字数 1,527文字

 明日もいい天気。
 それが、その人の口癖だった。たとえ天気予報が曇りや雨で、実際にそうなっても認めなかった。その人には、今日も明日もいい天気以外にあり得ない。だから、晴れではない予報にかんしゃくを起こし、割れるように頭が痛い、胸が締め付けられるように苦しい、などとわめいた。周囲からは当然バカにされ、長いこといじめられてきたのだった。
 しかし、いつからかその人がかわいそうという風潮が生まれた。よってたかっていじめるのはやめようという、それはごく当たり前のことなのは言うまでもない。守ってあげようと、その人の周りに人が集まるようになった。そうした人たちは、「その人ら」と呼ばれた。その人を傷付けてはいけない、明日もいい天気だと認めよう、それがその人らの主張だった。その人らには一般人から人権活動家、自己啓発系インフルエンサーの他、大学教授や弁護士なども含まれていたが、傾向としては二流三流それ以下の人物だった。いずれにせよ、その人らによって明日もいい天気という声は守られるようになったのである。
 初めのうちは、わたしもどちらかと言えば肯定的だった。明日もいい天気には失笑を禁じ得ないが、いかなる理由であれ、その人を苦しめるのはよくないことだろう。しかしながら、天気予報にクレームをつけ始めたときには首をひねった。その人らは、その人が苦しむから明日もいい天気以外は許されない、とテレビや新聞、ウェブサイト、アプリなどを責めた。その頃にはその人らは当初より増えていたが、社会全体から見れば一握りに過ぎなかった。だが、大学教授や弁護士といった肩書きに批判され、活動家には会社前でシュプレヒコールを上げられ、その他大勢からは電話やメール、ファックス、さらにはSNS炎上でまいったらしい。これを問題視する市井の人は少なくなかったが、今までその人をいじめてきた後ろめたさがあった。このくらいなら大目に見てもいい、大事にはならないだろう、そう考えた。何よりも、お前は加害者だ、と指差されることを嫌がった。
 こうして、目の前から天気予報は消えていった。曇りや雨といった予報はもとより、雨雲レーダーや天気図、衛星観測データなどもその人の心を乱すそうだ。晴れという予報は出し続けたところもあったが、予報を出さない日は何なのかと問題視されてしまった。これにはさすがに批判の声が上がった。農業や漁業、航空業、エネルギー産業、イベント事業の関係者などである。天気が経済活動はもちろん、生活や命にかかわることもあるわけだが、そうした声にもその人らは容赦しなかった。その人を傷付けるな、苦しめるな、血も涙もない人でなし、と黙らせたのである。
 市井の人は眉をひそめたものの、とりあえず折りたたみ傘を持ち、空模様から天気を予測することに慣れていった。それにいくらか金を出せば、気象情報会社から密かに予報を買うこともできた。もっともそれは裏であって、表で曇りだの雨だの口にはしなかった。
 この間、政府や自治体は、明日もいい天気にかかわらなかった。やはり批判の的になりたくないし、情報を買えば済むことだろうというスタンスだった。わたしは、天気について率直に語りたい、余計なコストを支払わずに気象情報を得る権利がある、と訴えたが、たちまちつるし上げられ、誹謗中傷の集中砲火にさらされた。職場に押しかけられ、自宅は取り囲まれ、まともに暮らせなくなったわたしは、とうとう死を選んでしまった。
 こうしてわたしは、その人らになった。そうすることでしか許されなかった。明日も明後日も、この先もずっといい天気が続くだろう。
                                       (了)
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