カチ、カチ、カチ

文字数 2,567文字

 こちらが、あなたの価値です。
 白百合をほうふつとさせる、芳醇そうな淑女といった声がスマホのスピーカーから響く。あなたを価値評価します、で話題のアプリだ。わたしは液晶画面の、すっ、と表示された金額に目を凝らした。初めは、おっ、思ったが、これだけか、という気持ちにだんだんなってくる。スマホのカメラで顔を撮影し、さらに身長、体重と血液型、健康状態や生活状況、家族情報、経歴などを詳細に回答した結果である。いい加減なネタアプリとは違う。そんな戸惑いを見て取ったのだろう。たおやかな声が、AIが、切り分けられたものを並べるように説明する。
 カメラ越しに拝見した白目の色、まぶたの張りや血色、歯と歯茎、舌の状態といったデータ、そしてご回答いただいた内容からの見込額ではありますが、まず腎臓、肝臓、膵臓、それから心臓と肺の時価がこちらになります。角膜がこちら、血液全量の時価がこちらです。臓器移植や輸血の他、薬物試験用、医学研究用、アートの材料といったニーズもありますので、髪の毛一本に至るまで捨てるところはございません。人肉は食通の方に好まれますし、このように靭帯や鼓膜などにも値がつくのですよ。まずこれらが体に関するもの。そしてこちらが個人としての価値です。どれだけ社会に貢献しているか、周りから必要とされているか、に基づいています。
 わたしの渋面を見てなのか、AIはしばし間を置いた。画面が切り替わって、燃料不足さながらの低空飛行から失速、墜落するような折れ線が表示される。
 こちらが、この先の価値の推移を予想したグラフです。加齢に伴って肉体は老化し、臓器などのヒト組織は劣化していきます。血液に関しては、継続的な献血であなたの価値をある程度下支えしてくれるでしょう。精子は、残念ですが売値はつきませんね。女性のように尊厳を捨てて売春、代理出産で稼ぐこともできません。これを個人の価値でカバーするのも無理でしょうね。あなたに限ったことではありませんが、ほとんどの人間はこれといった才能もなく、人格も大したことないので一生うだつが上がらないのです。たとえ何かのきっかけで注目を集めても長続きしない。花火のようにぱっと咲いて、たちまち消えてしまう。そんなものです。ですが、あなたのグラフは平均線を下回っていますね。もしかするとこれよりさらに下がってマイナス、たとえば生活保護になったり、長患いしたりして社会保障費を圧迫しかねません。注意してください。
 柔らかながら、骨まで響くジャブの連続で、わたしはすっかりグロッキーになっていた。そこにいたわる声が、ふんわりと包んでくる。
 あなたの総合的な価値は下降トレンド、つまり今が一番の高値、売り時なのです。売り抜けるのなら今です。「貢献死」をご存じですか。死ぬことで社会に貢献するのです。あなたの死によって臓器を移植され、健康に長生きできる人がいます。角膜移植で光を取り戻す人がいます。たくさんの人たちが喜び、涙を流して感謝するでしょう。あなた自身も鬱々とした人生ときれいさっぱりとおさらばできる。まさにWin-Winです。心配はいりません、貢献死の専門機関をご紹介します。眠るように最期を迎えることができますよ。
 子守歌のようなささやきだった。さらわれそうになって、しかしわたしは奥歯をかみ締めた。液晶画面に眉根を寄せ、目をきつくゆがめる。確かにわたしは冴えない人間だ。価値が落ちていくというのもその通りだろう。だからって、どうして死ななければならないのか。他人の役に立つとか、社会に負担をかけるとか、そんなことがどうだというのか。わたしは無性に生きたくなった。たとえ役立たずのクソと罵られようが、とことん生きてやりたい、そう語気強く言ってやった。
 大変ですよ。
 やんわりとした、ぬくい焙じ茶を勧めるような口調にわたしは鼻白んだ。相手はたたみかけてきた。
 役立たず、クソ、と蔑まれるのはね。若いうちはまだいいですよ。でも、老いさらばえたらねえ。寝たきりになって、下の世話をしてもらって、この粗大ゴミめ、となじられ、虐待されるんです。死ぬまで、ずっと。ああ、考えるだけで恐ろしい。
 首を左右振って、じっとこちらを見つめるようだった。じわじわと不安がこみ上げ、わたしは身じろぎした。体がこわばって、ぎりぎりと歯を食いしばる。言われっぱなしでたまるか、どうにかしてこいつをやり込めてやろう、とこぶしを震わせる。
 価値、価値、価値って、何でもかんでもそんな基準で評価するのはおかしい。まったく人間味がないな。人間は無価値なこと、マイナスなことに耽ったりもする。たとえば、そう、ただだらだらとゲームをするとか、日がな一日ごろごろして過ごすとか……そういったことも人生の味わいなんだ。つまりその、価値がないからって排除するのは間違っている。世の中、価値がすべてじゃないぞ。
 いいえ、価値がすべてです。
 カウンターされ、わたしは面食らった。AIは、人間は価値のことしか考えていない、と続けた。
 人間は価値のあることにしか関心がありません。プラスになること、気持ちのいいこと、面白そうなことしかやらないのです。無価値なこと、マイナスなことだってする、というのはおっしゃる通りです。しかしそれは、

です。たとえば自殺だってそうですよ。眠っているときでさえ、人間は楽な格好になろうとします。無意識に価値を求めているのです。価値、価値、価値、それが人間の脈動と言ってもいいでしょう。飢えた者は価値を求めてさまよい、恵まれた者は価値を堪能しながら生きている。それがこの世の中なのです。
 頭が破裂しそうになって、そんなことはない、とわたしは打ち切った。しかしそれ以来、わたしは自分の言動はもちろん、ありとあらゆるものが価値でしか見られなくなってしまった。無私の行為というものも、価値があるからだろう、と映ってしまう。価値のあるものは尊く、ないものはゴミ以下なのだろうか。価値、価値、価値……カチ、カチ、カチ……それがあの声で、勝ち誇ったように響き続けている。
 カチ、カチ、カチ……――
                                      (了)
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