第2話

文字数 1,091文字

(A)陰の正統派は自らを、小さな弱い薪であると心得ている

教会では、教会生活の重要さを説明する際、しばしばこういう例を引きます。
『薪は何本も一緒にしておけばよく燃えるが、一本だけを冷たい所におけばすぐ消えてしまう。』

これはクリスチャンの生活をたとえています。
薪とはクリスチャンのことで、彼には信仰という火が燃えています。そういう人たちが一緒に集まっていれば、ますます信仰の火は燃え上がり消えることはないけれども、もし一人だけでキリスト教信仰と関係のない世の中にいて、他のクリスチャンたちと交わらずにいたら、たちまち信仰の火は消えてしまう、だから積極的に教会に集まるようにしましょう、という意味なのです。

陰の正統派にとって、これは非常に重要な真理です。彼らは自分が、このたとえ通りの一本の薪であって、しかも薪の中でも小さな、火の弱い薪であると心得ています。ですから彼らは、自分の小さな弱い火を消さないようにと教会に集まるのです。

「私みたいに信仰の薄い者は、一週間もキリスト教と関係のない世の中にいると、ますます信仰は弱くなり、まさに消えかからんばかりになってしまいます。
このような私が、なんとかクリスチャンを続けていけるのは、教会に行って神さまを礼拝し、兄弟姉妹の皆様とお交わりさせていただいて、もう一度信仰の火を強められているからです。」
というのが、彼ら陰の正統派の心情です。

つまり彼らは、日曜日に他の薪たちの強い火勢にあずかって自分の火勢を強めておき、その勢いで一週間を乗り切るのです。月曜火曜などはまだ大丈夫でしょうが、木曜金曜になると火は弱くなり、土曜になるともう消えかかり、待ちこがれた日曜日に、再び他の薪たちの強い火勢にあずかるために教会に行く、というわけです。

そういうわけですから、彼らは週の半ばの集会にもできるだけ参加しようとしますし、また、教会で特別の集会をするとなると、喜んで出席するように努力するのです。
彼らにとっては教会の集会とは、その主旨内容や目的などはともかくとして、オリンピックではありませんが、とにかく『参加することに意義がある』のです。

ですから、「雨乞い祈祷会をする」と聞いて、その集会の主旨や、自分たちが何をしようとしているのかなどを少しでも考えていたならば、傘をもっていこうかという考えもおこる可能性があるというものですが、実際には、ただ単に教会の集会に参加するとだけ思っていただけなので、傘にまで思いが及ばなかったのだと思われます。

彼らはおそらく、おばあさんに言われてはじめて、この集会が雨乞いをするための祈祷会だと気づいたのではないでしょうか。
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