第9話:叔父さんの家に別荘と息子の千葉大進学

文字数 1,718文字

 1月31日は寒く、特に暖かい所から帰って来たのできつかった。その後、天津小湊の叔父さんの家に行き、米国のお土産と土産話をして2泊した。その時、叔父さんの家が、だいぶ古くなっているのを見て、木下信夫が、昔からお世話になっているので、増改築させてくれないかと、言う話を切り出した。

 叔父さんが、それはありがたい話だが、子供達は帰ってくるは、気はないし、2人だけなら、このままでも良いと笑った。それじゃ俺の気持ちがすまないと言い、建築屋に手配するから設計して離れを作って、その離れを私たちが、使わせてもらうと言う事で良いですかと聞くと、もちろん構わないし大歓迎だよと答えた。

 その後、IFホームに、その情報を電話で、連絡した。担当者が、来て、叔父の木下紀夫さんと叔母の若子さんを交えて話し合った。老夫婦の部屋は、現在の2階建てを平屋の2DKで良いと告げた。離れを2階建ての4DKにして風呂は2ヶ所、トイレは2ヶ所、本宅はガスにするか電気にするか聞いてきたので叔母さんが電気の方が安全だというので変えてもらうことにした。

 離れはガスで良い事にした。工事は庭先に離れを作り、完成したら、そちらに住んでもらう。その後、本家を壊して平屋の2DKを作る事にし離れの2階建て4DKが完成するのに30日、本家の解体と平屋を作るのに30日で合計60日と言う事でお願いした。総費用は、5千万円と言われたので了解した。

 すると叔父の木下紀夫さんと叔母の若子さんが目を白黒して、そんな大金、本当に、大丈夫なのかと言ったので大丈夫ですと笑った。こりゃーありがたいと、叔父さんも叔母さんも大喜びしてくれた。小さい時から世話になってるから当然だよと信夫が言った。そうして市原へ戻った。2004年、長男・栄一の大学受験の年で、千葉大の理学部情報科をめざしていた。

 合格確率が75%を越えたので、大丈夫ではないかと話していた。試験日2月25日に備えて体調管理に万全をつくし、風邪を引かないように気をつけていた。試験日を終えて多分問題ないと思うと強気だった。合格発表の日には、家族で、見に言った。すると栄一の妹の春子が、最初に、受験番号を見つけ合格が判明した。

 それを見て、あれだけ強気だった栄一が、うっすらと涙を浮かべ、良かったと語った。内心、心配でならなかったようで、それが、涙に繋がったようだ。帰り、近くのレストランで食事をしてる時、栄一が、実は。俺、こんなに心臓がバクバクしたのは、生まれた初めてだと、緊張していたことを白状した。その後、千葉大まで市原の実家から20分で通うようになった。

 一方の妹春子は、稲毛高校に合格して、将来は上智の英文科か千葉大の国際教養のどちらかに入りたいと話した。4月を迎えて、4月10日、叔父さんの天津小湊の家が完成したと連絡が入り信夫と和美さんと、両親の木下武雄と絹恵さんの4人で車で出かけた。途中、武雄さんが、祝い酒を買って伯父の木下紀夫さんの家に着いた。

 立派な家を見て、すごいねと言った後、2階建ての本家を平屋にしたんだと言うと、叔母の木下若子さんが階段を登るのもきつくなったので、今度の家の方が動きやすくて気に入ったと言った。離れの方が大きくて、また、大勢で訪ねてきて下さいねと言ってくれた。車で1時間かからずに来られるので、また来ますよと父の武雄さんが言った。

 そして、これ新築祝いを渡そうとしたところ全額、息子の信夫さんに出してもらったんですと言うと、お前は偉いと、肩をたたいてくれた。包んできたんだから引っ込められないと言い、新築祝いを渡してきた。離れを使わしてもらう時には、電話して来ますので、宜しくお願いしますと和美さんと信夫が言った。その後、お茶をいただいて失礼した。

 その頃、女房の和美さんは以前、行った、横浜の町が気に入り市原の実家からすぐの市原駐車場から高速バスで1時間と便利で買い物、食事を女友達と出かけた。土日は、娘の華子も一緒に横浜、みなとみらい、元町でにショッピング、中華街の食事、女子会を楽しんだ。その他、夏に、信州に3泊の旅行に出かけ秋は東北へ紅葉を見に出かけて、あっという間、時が過ぎていった。
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