第23話 夢に見る現実
文字数 2,776文字
セレナなら、きっと蒼の湖に開いた鬼門を容易に閉じられた。でも私は未熟で、破魔の力を使いこなせない。
私の意識の中に入っている間、ソウさんは漆戸良公園の外縁に結界を張ることができなくなる。TFCの人と共に、視矢くんやナイは、外へ出ようとする忌まわしいものたちを抑え込まねばならなかった。
私はどこでもない場所から、その光景を見ている。
「……うぞうぞ湧いてきやがる! 夏の “アレ” か、っての」
「まあ、黒いのは同じだね」
従者に木刀を振り降ろし、視矢くんは額の汗を腕で拭った。ふらふらの視矢くんに比べ、ナイの方はまだ余裕がある。
結界がなくなるのを待ち構えていたかのように、黒い塊が後から後から現われ、無数の水の刃が襲い掛かった。瘴気で増強された刃を全てかわせるはずもなく、ひたすら数で押される。
「ボクに喧嘩売ったのを後悔しな」
ナイの右手から大きな漆黒の霧が生じ、従者を飲み込んでいく。赤黒い肉片と血が辺り一面に散乱し、私は目を覆いたくなった。
さらに黒い塊の後ろには、鱗のあるカエルに似た風貌の生き物が蠢いている。従者など足元にも及ばない、強大な力を持つ水の邪神の眷属。見たことがないにも関わらず、私はそれが『深きものども』と呼ばれる存在だと知っていた。
「そういや、シャドウの奴が見当たんねえ」
「協調性ないんだよね、アイツ」
「友達いないタイプだな」
軽口を叩く視矢くんの服は赤く染まっていた。返り血か、それとも彼自身のものか。
疲れ切った表情は次第に感情を失い、数日前まで怪我で動けなかったとは思えない程果敢に立ち回る。木刀を薙ぎ、容赦なく従者を葬る姿は恐ろしくさえあった。
「イア、イア、ハスター」
視矢くんの瞳が冷たい輝きを放ち、大きな羽を持つ巨大な生き物が傍らに降り立った。
おそらく、あれがビヤ。けれど私が神社で目にした姿と違い、ビヤは人型ではなかった。
まるで、スクリーンに映し出された映画を観ているような感覚だった。
これは夢の一種だと自覚しながら、私は夢を見ている。蒼の湖の近くにいる私に、視矢くんたちの様子が分かるわけないのに、繰り広げられる光景は妙にリアルだ。
ナイが差し向けた黒い霧は、鱗のあるカエルを見る間に食い尽くした。それでも瘴気は収まることなく湧き続け、二人に休む暇を与えず従者が向かっていく。
(視矢くん! ナイ!)
どんなに叫んでも、こちらの声は彼らに届かない。
血にまみれた肉片が私の眼前に映り込み、堪らず目を背けた。何もできない自分が苦しかった。どうして、こんなに無力なんだろう。
やがて空気が変わったことに気付き、私ははっとして顔を上げた。今度のスクリーンにはまったく別の場面が映っている。
画面全体が薄暗くぼやけているものの、場所は明らかに漆戸良公園ではない。ベッドや棚などの家具があり、こじんまりした部屋の一室という感じがした。
人影は二つ。そのうちの一人は綺麗な白い髪をしている。
「……エイ、お前。自分が何をしてるか、分かってるのか」
少し幼げな青年を睨み付け、白髪の人が重苦しく口を開く。
「あんたと同じ事だよ。だろ、兄貴?」
人を食った口調で軽くあしらう少年のような青年。
以前ソウさんは七歳下の弟がいると話し、カフェ・オーガストで写真を見せてくれた。四年前の写真は現在と印象が違い過ぎ、その人物が誰か思い至らなかったけれど。
今私が目にしているのは、多分そんなに昔ではない過去のビジョン。仲の良かった兄弟の面影はすっかり消え失せている。
弟を見つめる白髪の人の沈痛な面持ちに感情が引きずられ、私も泣きそうになってしまう。意識がリンクしていると悟った時、急激に現実に連れ戻された。
「……大丈夫か」
ソウさんの声が間近で聞こえて、目を開ける。どうやら、もう夢の続きではないらしい。
私は、上半身をソウさんの腕に預けて地面に座り込んでいた。気を失っていたのか眠っていたのか、現実と夢の区別が自分でもはっきりしない。
「鬼門は閉じた。きみの力で」
柔らかくソウさんが告げる。ぼんやり周囲を見回すうちに、だんだん感覚が戻ってきた。疲労感はあるものの、体はちゃんと動く。私は軽く頭を振って、ゆっくり自らの足で立ち上がった。
空を暗く覆っていた瘴気は跡形もなく消え、木々の間から冬の日差しが垣間見える。
蒼の湖は澄んだ水を湛え、時折水面に日差しを水面に受けて穏やかに揺らめいた。
「瘴気も浄化した。もう元通り」
「視矢くんたちは……?」
やっとのことで声を出せば、ソウさんはわずかに眉を寄せた。
ふと、先程頭の中で見ていた光景が思い出される。二人は、多くの眷属を相手に立ち回っていた。無事で済んだとは限らない。血の気が引く思いで駆け出そうとした私の腕を、ソウさんが掴んで引き止める。
「高神と司門は、生きてる。二人はかすり傷だ」
「……TFCの人たちは?」
その問いには返事がなかった。伏し目がちになったソウさんを見て、愕然とする。きっと、TFCに犠牲者が出たんだろう。
実戦部隊とされるTFCが、最前線の蒼の湖周辺で眷属を食い止めてくれていた。無防備な私たちが襲われなかったのは、TFCの援護のおかげ。
既に周囲に痕跡は何も残っていない。そのことが、かえってやりきれなさをかき立てる。
「俺の記憶を覗いたろ、観月。きみの意識に同調してたせいで、ガードが甘くなった」
不意にソウさんが目を細めて顔を近付けた。
怒るでも責めるでもなく、ただ確認を取るだけの言葉だった。私は正直に、こくんと頷く。
「不肖の弟でね」
前髪をかき上げ、ソウさんは観念したように溜息を吐いた。
決して意図したわけではないけれど、無意識の領域で彼の記憶の一部に触れてしまった。夢の中で見たのは、ソウさんの過去。兄弟の確執は、他人に知られたくない事実だったに違いない。
「事情を知りたい?」
「……ううん。今は、いい」
話したくないなら、無理に聞かなくていい。私にセレナほどの力があれば、誰も傷付かなかったはず。こんなことになったのは、すべて私の力不足のせいだ。
「観月を見てると、昔のあいつを思い出すよ」
私を通して、弟さんの姿を見ているのかもしれない。どこか辛そうな微笑を浮かべ、ソウさんは腕時計に視線を落とした。
「先に事務所まで送ろう。そのうち、高神たちも戻ってくる」
「視矢くんたちと合流しないの?」
「向こうはひどい有様だ。連中も、きみには見せたくないんじゃないか」
蒼の湖は一番先に掃除を終えたが、公園の他の場所はまだ手付かず。後始末をするのに時間が掛かっていると言う。夢で見た惨状を思い起こし、ぞくりと身震いしてしまう。
「お手をどうぞ」
そんな台詞を口にして、ソウさんの方から私の手に触れる。あっと思う間もなく、私は見慣れた事務所の部屋の中に一人佇んでいた。
私の意識の中に入っている間、ソウさんは漆戸良公園の外縁に結界を張ることができなくなる。TFCの人と共に、視矢くんやナイは、外へ出ようとする忌まわしいものたちを抑え込まねばならなかった。
私はどこでもない場所から、その光景を見ている。
「……うぞうぞ湧いてきやがる! 夏の “アレ” か、っての」
「まあ、黒いのは同じだね」
従者に木刀を振り降ろし、視矢くんは額の汗を腕で拭った。ふらふらの視矢くんに比べ、ナイの方はまだ余裕がある。
結界がなくなるのを待ち構えていたかのように、黒い塊が後から後から現われ、無数の水の刃が襲い掛かった。瘴気で増強された刃を全てかわせるはずもなく、ひたすら数で押される。
「ボクに喧嘩売ったのを後悔しな」
ナイの右手から大きな漆黒の霧が生じ、従者を飲み込んでいく。赤黒い肉片と血が辺り一面に散乱し、私は目を覆いたくなった。
さらに黒い塊の後ろには、鱗のあるカエルに似た風貌の生き物が蠢いている。従者など足元にも及ばない、強大な力を持つ水の邪神の眷属。見たことがないにも関わらず、私はそれが『深きものども』と呼ばれる存在だと知っていた。
「そういや、シャドウの奴が見当たんねえ」
「協調性ないんだよね、アイツ」
「友達いないタイプだな」
軽口を叩く視矢くんの服は赤く染まっていた。返り血か、それとも彼自身のものか。
疲れ切った表情は次第に感情を失い、数日前まで怪我で動けなかったとは思えない程果敢に立ち回る。木刀を薙ぎ、容赦なく従者を葬る姿は恐ろしくさえあった。
「イア、イア、ハスター」
視矢くんの瞳が冷たい輝きを放ち、大きな羽を持つ巨大な生き物が傍らに降り立った。
おそらく、あれがビヤ。けれど私が神社で目にした姿と違い、ビヤは人型ではなかった。
まるで、スクリーンに映し出された映画を観ているような感覚だった。
これは夢の一種だと自覚しながら、私は夢を見ている。蒼の湖の近くにいる私に、視矢くんたちの様子が分かるわけないのに、繰り広げられる光景は妙にリアルだ。
ナイが差し向けた黒い霧は、鱗のあるカエルを見る間に食い尽くした。それでも瘴気は収まることなく湧き続け、二人に休む暇を与えず従者が向かっていく。
(視矢くん! ナイ!)
どんなに叫んでも、こちらの声は彼らに届かない。
血にまみれた肉片が私の眼前に映り込み、堪らず目を背けた。何もできない自分が苦しかった。どうして、こんなに無力なんだろう。
やがて空気が変わったことに気付き、私ははっとして顔を上げた。今度のスクリーンにはまったく別の場面が映っている。
画面全体が薄暗くぼやけているものの、場所は明らかに漆戸良公園ではない。ベッドや棚などの家具があり、こじんまりした部屋の一室という感じがした。
人影は二つ。そのうちの一人は綺麗な白い髪をしている。
「……エイ、お前。自分が何をしてるか、分かってるのか」
少し幼げな青年を睨み付け、白髪の人が重苦しく口を開く。
「あんたと同じ事だよ。だろ、兄貴?」
人を食った口調で軽くあしらう少年のような青年。
以前ソウさんは七歳下の弟がいると話し、カフェ・オーガストで写真を見せてくれた。四年前の写真は現在と印象が違い過ぎ、その人物が誰か思い至らなかったけれど。
今私が目にしているのは、多分そんなに昔ではない過去のビジョン。仲の良かった兄弟の面影はすっかり消え失せている。
弟を見つめる白髪の人の沈痛な面持ちに感情が引きずられ、私も泣きそうになってしまう。意識がリンクしていると悟った時、急激に現実に連れ戻された。
「……大丈夫か」
ソウさんの声が間近で聞こえて、目を開ける。どうやら、もう夢の続きではないらしい。
私は、上半身をソウさんの腕に預けて地面に座り込んでいた。気を失っていたのか眠っていたのか、現実と夢の区別が自分でもはっきりしない。
「鬼門は閉じた。きみの力で」
柔らかくソウさんが告げる。ぼんやり周囲を見回すうちに、だんだん感覚が戻ってきた。疲労感はあるものの、体はちゃんと動く。私は軽く頭を振って、ゆっくり自らの足で立ち上がった。
空を暗く覆っていた瘴気は跡形もなく消え、木々の間から冬の日差しが垣間見える。
蒼の湖は澄んだ水を湛え、時折水面に日差しを水面に受けて穏やかに揺らめいた。
「瘴気も浄化した。もう元通り」
「視矢くんたちは……?」
やっとのことで声を出せば、ソウさんはわずかに眉を寄せた。
ふと、先程頭の中で見ていた光景が思い出される。二人は、多くの眷属を相手に立ち回っていた。無事で済んだとは限らない。血の気が引く思いで駆け出そうとした私の腕を、ソウさんが掴んで引き止める。
「高神と司門は、生きてる。二人はかすり傷だ」
「……TFCの人たちは?」
その問いには返事がなかった。伏し目がちになったソウさんを見て、愕然とする。きっと、TFCに犠牲者が出たんだろう。
実戦部隊とされるTFCが、最前線の蒼の湖周辺で眷属を食い止めてくれていた。無防備な私たちが襲われなかったのは、TFCの援護のおかげ。
既に周囲に痕跡は何も残っていない。そのことが、かえってやりきれなさをかき立てる。
「俺の記憶を覗いたろ、観月。きみの意識に同調してたせいで、ガードが甘くなった」
不意にソウさんが目を細めて顔を近付けた。
怒るでも責めるでもなく、ただ確認を取るだけの言葉だった。私は正直に、こくんと頷く。
「不肖の弟でね」
前髪をかき上げ、ソウさんは観念したように溜息を吐いた。
決して意図したわけではないけれど、無意識の領域で彼の記憶の一部に触れてしまった。夢の中で見たのは、ソウさんの過去。兄弟の確執は、他人に知られたくない事実だったに違いない。
「事情を知りたい?」
「……ううん。今は、いい」
話したくないなら、無理に聞かなくていい。私にセレナほどの力があれば、誰も傷付かなかったはず。こんなことになったのは、すべて私の力不足のせいだ。
「観月を見てると、昔のあいつを思い出すよ」
私を通して、弟さんの姿を見ているのかもしれない。どこか辛そうな微笑を浮かべ、ソウさんは腕時計に視線を落とした。
「先に事務所まで送ろう。そのうち、高神たちも戻ってくる」
「視矢くんたちと合流しないの?」
「向こうはひどい有様だ。連中も、きみには見せたくないんじゃないか」
蒼の湖は一番先に掃除を終えたが、公園の他の場所はまだ手付かず。後始末をするのに時間が掛かっていると言う。夢で見た惨状を思い起こし、ぞくりと身震いしてしまう。
「お手をどうぞ」
そんな台詞を口にして、ソウさんの方から私の手に触れる。あっと思う間もなく、私は見慣れた事務所の部屋の中に一人佇んでいた。