第20話 予感と予測

文字数 2,747文字

 都心から少し離れた郊外の高級住宅地は、私には縁のない立派なマンションや邸宅が立ち並ぶ。
 ソウさんが車を止めたのは、有名なデザイナーズマンションの真横。富裕層向けで、駐車場一つとってもTFCのビルよりずっと設備が整っている。
 マンションのエントランスを入りエレベータに乗り込むと、『9』の数字が押された。ソウさんの部屋は九階にあるらしい。

「眺め、良さそうだね」
「そうだな」

 私は落ち着かない気持ちで、他愛ない話題を振った。来さんたちのマンション・クラフトもなかなかお高い物件ではあるけれど、ここはさらにもう一ランク上。
 同じフロアにドアが三つ並び、そのうちの一つにソウさんがカードキーを当てた。オートロックのドアは、カードで住人を認識する。

「……お邪魔します」

 別世界の建物へ迷い込んだような感覚に陥り、私は萎縮して案内されるまま中へ入った。部屋はきちんと片付けられ、必要最低限の家具があるのみで、一人暮らしにしては広すぎる印象を受ける。

「適当に座ってて。あとはデコレーションだけだから」
「デコレーションて」
「クランセカーケ、食べてくれるんだろ」
「クラ……?」

 聞いたことのないスイーツだったが、名前からしてノルウェーのお菓子っぽい。ソウさんは、お楽しみにと言ってキッチンへ向かった。
 リビングの窓の外は冬空が広がっている。所在なくソファに腰を下ろして待っていると、しばらくしてソウさんがケーキの乗った大皿を持って来た。

 普通のホールケーキとは違い、丸い輪が何層にも積み上がった大きな塔のような形状で、粉砂糖やチョコレートで飾られ、可愛いリボンが巻かれている。どう見ても、お祝いかパーティー用。
 物珍しい可愛いお菓子に、私は弾んだ声を上げた。

「すごい! ソウさんが作ったの?」
「ああ。もうじき誕生日だって聞いたから。少し早いけど、バースデープレゼントの代わり」

 言いながら、一番下のリングを切り崩し、取り分けたケーキを小皿に乗せる。食べるために仕方ないとはいえ、崩してしまうのがもったいない。
 私の誕生日が近いことを知って、わざわざ作ってくれたなんて。TFCも多忙なのに、気に掛けてくれたことが嬉しかった。

「わ、美味しい!」

 一口かじると、甘く香ばしいアーモンドの風味が口中に広がる。スポンジケーキ程ふわふわでなく、クッキー程固くない。
 塔のリングの数を数える私に、ソウさんはくすりと笑った。

「本来は18段積み上げる。ノルウェーじゃ、祝いの時の定番」
「ウェディングケーキみたいだね」

 ソウさん自身は作る側専門で、甘い物を好まない。ただ私が食べるのを嬉しそうに眺めている。
 ノルウェーにいた頃、甘党の弟さんにせがまれ、よくこのケーキを作ったのだとか。甘味が苦手なのにカフェ・オーガストの常連だったのも、弟さんに付き合ってのこと。

 弟さんもTFCに所属し、兄弟で一緒にノルウェーで暮らしていた。でも今、弟さんとは疎遠になった。なぜそんなことになったのか、そこで話を止めてしまったソウさんに、私から尋ねたりはできなかった。
 多分ノルウェーで何かが起こったんだろう。おそらく、二人の関係を壊すようなことが。

「ところで、司門のことだが」

 突然変わった話題に、私ははっとして顔を上げる。意図的に話を逸らしたのかもしれない。

「弱ってるのは、星辰の影響だ。高神の治療で、ビヤーキーが神域を広げたのと重なったからな。一時的なものだし心配ない」

 私が今日来た目的を最初から知っていたように、ソウさんは核心に触れてきた。こちらが問う前に向こうから切り出され、一瞬戸惑ったものの、教えてくれるなら何でもいい。

「……星辰て」
「星回りのこと。天体の位置が、邪神の力を抑制する」

 星の周期が邪神の力に影響し、現在の星の位置はナイアーラトテップの力を大きく削ぐ。ナイアーラトテップの天敵・クトゥグアの住処であるフォーマルハウトの位置が、来さんに負荷を与えている。

 普段ならその時期を難なくやり過ごせたはずが、今回は怪我をした視矢くんにビヤが神力を注いだ。運悪く、ハスターのいるヒアデス星団と位置関係と相まって、異なる神性に当てられたことが、今回の来さんの不調の原因。
 ソウさんは、邪神と星辰のかかわりについて、そんな風に説明してくれた。

「どうして来さんたちは、そのことを教えてくれなかったのかな」
「邪神にとって致命的な弱点を、簡単に人に言えると思う? 連中も、きみに余計な心配をさせたくなかったんじゃないか」

 邪神について知れば知る程、近付けば近付く程危険は増す。来さんも視矢くんも私の身を案じて、事情を隠そうとする。今までずっとそうだった。

「それでも、蚊帳の外にいるのは嫌」
「知ってる。だから、教えた」

 はっきり決意を伝えれば、ソウさんは軽く頷きを返した。いつも導師の立場で接してくれるのが本当に有難い。
 たいした力にならないとしても、破魔の力を使いこなせるようになってサポートしたい。そう思って、トレーニングを頑張っている。私も、守れるように強くなりたかった。

「また雪か。どうりで、冷えてきたわけだ」

 ソウさんがベランダの方に目をやり、換気用にわずかに開いていた窓を閉めた。
 室内は十分に暖房が効いていて全然気付かなかったが、外は白い雪が舞っている。

「ソウさん、前に寒さは感じないって言ってたのに」
「気温は感じる。マンションに着いてから、三度下がった」
「正確だね。気象予報士になれそう」

 感心して呟くと、ソウさんは可笑しそうに吹き出した。

「きみが勧めてくれるなら、転職するのもいいな」

 きっとシェフでも気象予報士でも一流になりそうだ。もっとも、TFCを辞めるつもりはないだろうけど。

「気象予報士も、今の仕事と似たようなものだし」
「え、待って。全然似てないよ?」
「予測できても、対処できないのは同じさ。天候も邪神も」

 天候を予測したところで、制御することはできない。邪神も天災と同じく、人の力が到底及ばない存在。だからといって、何もせず諦めたらそこでおしまい。人間ができることだってある。
 ソウさんの言葉にも、絶望や悲観的な響きは感じられなかった。単に、事実を冷静に受け止めているだけ。

「これからのことは、どんな予測?」

 私の問いは、もちろん天気の話じゃない。

「嵐が来るだろうな」
「天気の話じゃないよね」
「天気なら、もっと確実に予測できる」

 漆戸良公園の鬼門が開き切るのはもう間もなく。溢れ出す瘴気を抑えなければ、大惨事になる。
 鬼門の件は、ソウさんに何か対策があるようだと視矢くんが言っていた。嵐が来るとすれば、どれくらい先の未来なのか。
 予測とは言えないまでも、よくないことが起こりそうな予感は、私の中にも漠然とあった。
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