文字数 1,935文字

 夏、東京の西の果ての河原に道路がかかる計画があり、テツヤたちが集められた。現地に着くと、そこは一面の草原で、草の丈は人の背ほどにも伸びていた。つる植物が縦横無尽に這い、その草の陰を住処とする昆虫たちの声が耳障りだった。まずは草刈から始める。ガソリン式の小型エンジンを搭載した電動草刈機で、バッサバッサと切り倒して行く。ベルトを肩から吊るし、回転する円形の刃を、体を左右に振りながら前に進んで行く。刈った草も人力で回収されるが、これが一苦労で、刈られた草の丈が長ければ長い程言うことを聞かない。手に軍手をはめているにもかかわらず爪の間が真っ黒になる。腕のあちらこちらに擦り傷ができる。半日草を担いだだけで腕はパンパンに張り、知らずに派遣された者は、たいてい次の日から来なくなる。草刈が終わると、次に簡易式のベルトコンベアーを組み立て、社員はテントの中で休憩。テツヤたちは水分補給後に、大きなスコップを持って掘り始める。埃の混じった汗が目に入る。塩分で目が開けられないほど痛くなる。土埃を吸い込みたくは無いが、マスクをするのは暑過ぎる。手の甲で汗を拭いているうちに、顔がどんどん斑に黒くなる。汗をかいたシャツはすでに透けて、肌に張り付いている。一時間掘って、また休憩をとる。全く先に進まない。Tシャツを交換する意味は無い。また数分後にはまたずぶ濡れになるからだ。水分は幾ら補給しても足りない。幾ら飲んでも小便が出ない。凍らせた二リットルのスポーツ飲料が、すぐに空になる。皆がどんどん無口になって行く。
 テツヤは今、収入の全てをこの遺跡の発掘という仕事から得ている。都内のアパートの家賃と光熱費、食事代を差し引くと、手元には殆んど残らない。預金を切り崩して生活している。
 この夏は、掘って、掘って、堀りまくった。夢中で何かに打ち込んで、心と体を削っている方が憂いを忘れることができた。しばらくして、思いがけず道路工事予定地の隅で見つかった小さな遺跡を掘る仕事を任された。夏の間、他人が嫌がる肉体労働を率先してこなしたことを、監督が見ていたのだ。遺跡とはいっても、大して重要とも思えないありきたりな集落跡の一部で、大学の研究班は一度も調査に訪れなかった。この遺跡が歴史的に重要な意味を持つ古代王朝の古墳であったなら、どんなにか心が高揚するだろう。けれども、みすぼらしい自分の汚れた靴を見て、すぐに現実に引き戻される。自分が掘るべきものは、小さな極ありふれた平凡で名も無き集落の一部や、集落に付属する貝塚や農耕地といったものだけである。学歴もコネも無いフリーターの自分を、重要な遺跡に触れさせることはない。それが世の中というものだ。
 任せられた場所は、かつて人が住んでいたらしく、土器や狩の道具などが発見された。それを見つけて報告する度に、心に明るいものが差し込んだ。集落など人の住む場所は水源が近くにあることが多い。だから、河川の側に切り立った小高い丘の上や、清水の湧くような湿った場所での作業が多かった。歴史を思い巡らせながら掘る作業は実に気分が良かった。これこそ遺跡の発掘と呼ぶに相応しく、ようやく土木作業から抜け出せたという充足感があった。小学生の頃、社会科の授業で担任の教師が持ってきた、縄文式土器の欠片に手を触れた時の感触を思い出す。今でこそ珍しくもないと思える縄文式土器の欠片だが、その当時は手元が震えるほど緊張したのを覚えている。それが今では、ある特定の場所さえ掘っていれば、縄文式土器の欠片など誰でも発見することができた。アルバイト作業員が、手元が狂って粉々に破壊してしまったとしても、たいして注意もされなかった。しかし、その中でヤジリなどの狩猟の道具が見つかると、それらは丁寧に柔らかい毛の付いた刷毛で砂を落としてから保管された。テツヤはこっそり、それらを持ち帰っては部屋で眺め、その昔の様子を思い描いて楽しむようになった。初めはほんの一片の土器の欠片をポケットに忍ばせただけだったが、次第にヤジリや小型の石器なども持ち出すようになった。持ち出すのは簡単だった。荷物検査も無かった。部屋のベッドに横たわりながら、土器や石器をじっと眺めていると、古代人の生活の様子が浮かび上がってきて、心が満たされるのだった。
 木々の葉もすでに落ちて、朝夕に吐く息が白くなり始めた頃、ベテラン扱いだったテツヤは、木造の家屋が建ち並ぶ比較的新しい時代の遺跡を任された。この時、作業員全員に一つの注意が言い渡された。それは、例えどのような些細なものであっても、無断で外に持ち出してはならないというものだった。それは普段から言われていることでもあったし、別段気にも留めていなかった。
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