文字数 1,412文字

 純金のリングを黒いダウンジャケットの裏ポケットの中に隠し、黒いトレッキングシューズを履いて外に出た。黒い服装が、闇に紛れると考えた。現場まで電車に一時間ほど乗った後、今日は歩かねばならない。バスで何度も通った路なので、夜でも迷うことはない。暗がりを帰宅途中のサラリーマンと擦れ違う度に、底知れぬ寒さにジャケットの襟を立てた。駅まで歩く途中、家々の明かりが目に入る。人にはそれぞれの家庭があって、それは温かいものなのだろうかと想像する。自分はどこで人生に迷ったのだろうか。しかし、今のテツヤには、胸のポケットに入っている純金のリング以外に頼るものはない。道端に唾を吐いた。歩く速度を上げる。右手はしっかりと胸のリングを握り締めていた。
 立ち入り禁止のロープをくぐり抜ける。遥か向こうにプレハブの管理小屋が見える。警備員の姿はまだ見えない。持ってきた小型のスコップをナップサックから取り出し、以前自分が掘り進めていた辺りを見回した。ブルーのシートが丁寧に被せられている。シートを剥がし、掘り始めた。初めのうちは暗がりで何も見えなかったが、次第に目が慣れてくるに従って、突き出た家屋の梁や、現在切り崩している最中の区画がわかった。心配していたほど、作業は進んでいなかった。進み具合から見て、かなり慎重に掘り進んでいるに違いない。以前純金のリングを発見した墓のような形の穴を探した。近くを流れる河川の音が、暗闇の中に響いている。
 何も見つからなかった。掘っても、掘っても、爪の間に砂が食い込むだけだった。塵のような腐った木片が、湿った木の臭いを辺りに放っている。スコップが何度となく石の角を叩いた。額の汗が、夜の冷気に触れる。吐く息が白い。自分は何のために再びここに来て、何をしようとしているのだろう? すでに古代遺跡への幻想は消えていた。その時、背後で明かりが灯されていることに気付いた。
 二つのライトが照らしたかと思うと、二人の男の話す声がした。そして何やら叫んだ。二つのライトがゆっくりと近づいて来る。靴底で砂利を噛む音が響く。息を殺してその場にしゃがみ込み、明かりの向こうを凝視した。鼓動がむせるようだった。テツヤが走り出した。できるだけ明かりから遠ざかろうと夢中で走った。スコップを草むらに放り投げ、もつれる足を強引に前へ前へと送り出した。二つのライトが大声を上げながら追いかけてくる。太腿の辺りが鉛のようだ。河川の端に残っている雑木林に身を隠すと、急に息が切れた。もう走ることができない。二つのライトが雑木林に向かって照らされる。やがて、男たちの声とライトが左右に交差した。河川の音がする。まだ身動きできなかった。男たちの声が少し遠ざかる。いずれ、このままだと奴らに見つかるだろう。思い切って、雑木林から飛び出すと、広大な遺跡群の裏側へと続く小道を渡って、砂の丘の東側の斜面に辿り着いた。もう、二つのライトは見えなかった。逃げ切れたのだろうか? 確信は無い。注意深く辺りを見回して、胸のポケットから純金のリングを取り出すと、東側の砂の斜面を駆け上り、河川に向かってリングを投げ捨てた。投げた勢いで砂の足場が崩れ、膝をついて倒れた。顔を上げると、東の空がうっすらと明けてくるのが見えた。

                           (了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み