最終話

文字数 1,336文字

 朝食代わりのプロテインを飲みながらスマホを見ると、珍しいアイコンの通知が1つ。後輩から「経理の人のこと、真剣に考えて答えてくださいね」とDMが来ていた。この前電話した時に、今日彼と飲むと言っていたのを覚えていたようだ。「頑張って断ります(`・ω・´)」と返事をした。顔文字を入れたのは、文だけだと寂しいかと思ったからだが、送ってから要らなかったかなと後悔した。

 仕事に対してやる気はないと言いつつ、申請手続きが面倒で有給は無駄に残っている。健康診断や冠婚葬祭くらいでしか使っていない。仕事を休めばプレゼンも行かなくて良くなるかな、今日有休使ってしまおうかな、なんて思ったが、昨年の秋に近所に引っ越してきた彼は「お見舞いに来たよ」と首をかしげながら家の玄関まで来てしまいそうだ。……近所に引っ越してきたのも作戦か何かなんだろうか。あざといフリして、彼の脳内は本当に分からない。

「ちゃんと来てくれた」
「まあ、約束したからね」

 いつもの店、いつもの手の振り方、いつもの雰囲気。先週告白されたなんて嘘みたいだ。本題に入らないでくれればいいのに、彼はすぐに高そうな革のリュックから手際よくパソコンを取り出す。あぁ、仕事モードみたいだ。

「じゃあ、始めようか」
「乾杯させてくれないのね」
「お酒呑んだら、尚のこと考えてくれないでしょ?」
「まあ、当たってる」
「先週予約した時点で、最初大事な話しをするから、それ終わり次第食べ物頼んでも良いですか? って訊いて許可もらってある」

 用意周到。そしてそれを許してくれるのは、定期的に利用してるが故だろうか。この前は空気読まないでくれたのに。まずい気がする、適当なことを言って逃げた方が良い気がする。でも、彼の目が私を離さない。いつもの親しみやすそうな目ではない。

「じゃあ、俺と付き合うメリットを話すね」
「は、はい」

 パソコンの画面にはパワーポイントが表示されている。そして、パワーポイントとは別で作ったと思われるレジュメも渡される。……これはもう引き返せない。檻の中に狼と一緒に入れられたうさぎだ。

「まず確認。貴女は将来、在宅ワークでも仕事はしたくない?」
「……仕事量が多くないなら、働くことも考える。家事が完璧にできるくらい」
「なるほど。今の仕事は人間関係は含めずに言うと簡単? それとも大変?」
「中身だけなら窓際社員だし簡単な部類かな。経理と部門が別だから、社内行事の時の収支調整とかは大変だけど、その辺はまぁ人間関係だよね」
「確かに。いつも書類すぐ出してくれるしミスがないから助かってます」
「普通のことをしてるだけだよ」
「それができない人が多いんだよ、世の中には。じゃあ、スライド進めていくね。恋人が居ることのメリットを話してから俺と付き合うメリットを話していくから、分からないことがあったら適宜質問して」
「わかった」

 彼がお水を飲んで一息つく姿はどこか緊張しているようにも見えた。会議など久しく参加してないのでパワーポイントなんて久し振りに見た。パワーポイントの資格、後回しにしてたけど、ワードとエクセル合格したら取ろうかな。そんな現実逃避をプレゼン中ずっとしたいけれど、させてくれないだろう。私はもう、この策士の罠に引っかかっている。
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