カーテンコール

文字数 1,390文字

「お疲れ様です。あれ、先輩は……」
「お疲れ。午前中の英会話が長引いてるんじゃないかな」
「資格の次は英会話に手出したんですか」

 経理の人に、ゴールデンウィーク帰省しないなら初日に3人で花見をしようと誘われた。未だにこの人の名前を覚えられない。研修で一緒にご飯を食べた時に交換したLINEの登録名も“経理の人”にしてしまったので、今更聞きづらくてそのままだ。先輩の名前は覚えたけれど、いつも先輩と言ってしまう。

「まだ無料体験期間らしいけどね。あ、一緒に通わないでね」
「ちょっ、目が怖いですよ。パソコン教室は時間ずらしてるんで許してください」

 2年越しの片想いを実らせた経理の人は、告白直前に俺がちょっかいかけたのを未だに覚えていて、話題に先輩が絡むとすごく警戒されてしまう。でも、他部署なのに気にかけてくれたり、ご飯に誘ってくれたりしてるから、根は良い人なんだと思う。だから先輩とはインスタは相互フォローだけどやり取りはしていないし、先輩から「職場で私に仕事以外の話はしないで」と頼まれているので、英会話の話も知らなかった。

「ごめん、お待たせしました。入会の勧誘が押し強くて逃げるの苦労した」
「経理の人からは逃げれなかったけど英会話の勧誘からは逃げれたんすね」
「え、俺って未だに経理の人って認識なの?」
「間違ってないよ。経理部の中で1番有名ですから」

 仕事中ずっと真顔な先輩が笑って言うと、経理の人も柔らかい表情で「そうかなー」なんて答える。大学の頃の俺だったら何見せられてるんだって思っただろうけど、今の俺はなんか許せてしまっている。理由は、多分だけど俺がずっと居た体育会系部活にはなかった、ゆるくて温かい上下関係を2人が俺と築こうとしてくれているからかもしれない。

 機械が苦手だと言えば先輩が通っているパソコン教室を紹介してくれて、女性のあしらい方に悩んでいたら経理の人が処世術を教えてくれた。先輩は他人に興味がないと言いつつ、俺が仕事で困っていたら同じ部署の誰よりもすぐにフォローをしてくれるし、経理の人は頭の中に色んな知識の引き出しを持っていて、それを惜しみなく俺含め周りに提供している。

「ちょっと、俺もしかして帰った方が良いですか?」
「駄目だよ、しばらく北海道住むなら桜の下のジンギスカンは体験してもらわなきゃ」
「私ずっと道民だけどやったことないよ?」
「それはもっと勿体ない! 天気良いんだし、3人でやるからね!」

 トレンチコートが萌え袖のようになっている腕をブンブンと動かしながら言う経理の人は、あざとかわいいの代表になれるかもしれない。黒の細身のパンツが動くトレンチコートから見え隠れする。その横で仕事着とは全く雰囲気の違う、ジーンズにパーカー、トートバックという姿の先輩が半分呆れた顔で「はいはい」と言っている。

「先輩って、仕事の時は綺麗系の服ですけど、普段すごくラフなんすね」
「バーベキューは動きやすい格好で行けってネットに書いてたから、家にある中でそういう服を見繕ってきたんだけど……もしかして違った?」
「むっちゃ正解、いつもと違う姿も可愛いね」
「バーベキューと花見ってなんか違うような……?」
「俺の彼女、可愛いよね?」
「はい、とっても!」

 怖い怖い、危うく雷が落ちる所だった。さて、立ち話もそろそろ終わりにして、微笑ましい2人にそろそろ公園内に入ろうと言おうか。
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