第4話
文字数 3,010文字
おそらくは「夢」の中なのか、時の止まった世界、誰の姿も見えない、茜色だけが濃密に充満した美術教室で、
「怜、『ここにいるけれどいない』というのはどういう意味?」
僕は、怜の「声」に向かって尋ねた。
「いや、自分でもこれがどういう状態なのか、よく分からないんだ。ただ、僕が声だけの存在なのは、それはきっと僕の問題じゃなくて、俊祐の方の問題なんだと思う」
「ここが、俺の夢だから?」
「これは俊祐の夢なの?」
美術教室の窓から見える夕陽はいまだ微動だにせず、沈み行く気配はない。これが現実であるはずはない。
「違うのか?」
「さあ、知らない。僕にも分からない。――でも、俊祐はさっきまで、とても多くのことを忘れてしまっていた」
「それはそうだったけど、――ほら、もう思い出した」
「いや、まだだ。まだまだ、思い出してないことがあるよ」
それはそうかもしれない。何しろ僕は、あの頃のことを、どうやらみんな忘れようとしてきたようだから。
怜の声を聞いていると、少しずつ、高校の美術部での日々が蘇ってくる。
美術部に入るまで、僕はほぼ感覚だけで絵を描いていた。デッサンについても、それまで美術の授業で習ったことは本当に通り一遍なものだった。基礎的なことは怜の方がよく知っていたし、よく出来た。
放課後、美術教室で、僕は怜とキャンバスを並べて、ほとんど毎日絵を描いた。天気が良ければ、美術教室は夕刻、必ずむせるほどの茜色に埋め尽くされた。
怜が指摘したように、僕は茜色を好んで使った。美術教室から見える夕焼けは、百万もの色彩を内に抱え込んだ茜色の爆発だった。その光景が自分を強く揺すぶり、自分の中にある激情を突き動かされる。僕にはそれを言葉で表すことは出来ない。でも、絵でなら出来るかもしれない。激情と、それを生み出す自分という得体のしれない生き物を、描けるかもしれない。
美術部は人気の無い部活だった。だからいつも、美術教室にいる部員は、たいてい数名、多くても五、六人といったところで、その中には必ず、怜と僕がいた。絵を描いている最中はたいていみんな黙っていた。ただ黙々と描いた。
やがて空の色が藍から闇へとすっかり変わる頃には必ずお腹が空いた。座って、絵筆を動かしているだけなのに、僕たちの体内では容赦なくカロリーが消費されているのだった。そうすると僕たちは、美術準備室のロッカーに買い置きしておいたパンやスナック菓子などを持ってきて、みんなでシェアしながら食べた。
「俊祐の絵はどんどん良くなるなあ」
菓子パンをかじりながら怜は言った。
「俊祐の中から何かとてつもないものがどんどん溢れてくる、それが絵の魂みたいになって、キャンバスに入り込んでいる」
恋の駆け引きとか、流行りの服やスニーカーとか、さりげない制服の着こなしとか、そんなものは何も無く、地味な日々。それなのに飽きなかった。来る日も来る日も、絵を描き続けた。
僕たちの二回目の転換点。そのきっかけは、掲示板に張られていた高校生向け美術展の作品公募チラシだった。高一の冬のことだ。
「俊祐なら行ける、やってみなよ」
怜におだてられて、ちょうど仕掛中だった100号の風景画、というか抽象画の大作を提出した。それが、まさか本当に入選してしまうとは思わなかった。実際、連絡が来るまで、応募したことをほとんど忘れていたのだ。
日本全国から何百もの応募があった。その中で、大賞は逃したが、五枠ある審査員特別賞を受賞した。事実上の同着二位ということになる。僕はその絵に、力を込めて茜色を打ち付けており、選評もその色彩感覚を入賞の要因として挙げていた。
怜は、僕の絵が認められたことを誰よりも喜んだ。僕は校長室に呼ばれ、彼から、
「将来が楽しみだね。きっと、村上隆や千住博のようになるよ。今のうちに、ちょこっと何か描いたのを貰っておこうかな、そうしたら何百万にもなるかもしれない」
と、お褒めの言葉を頂戴した。いつも不機嫌な顔の彼は終始上機嫌だった。
僕もそれで、浮かれていなかったと言えば、嘘になる。
そんな僕に冷や水を浴びせたのは、父だった。
「まさか、絵の道に進みたいなんて言うんじゃないだろうな」
父は弁護士で、祖父から弁護事務所を受け継いでいた。父がさらにその事務所を僕に継がせたがっていることは、子供の頃から折に触れ感じていたし、弁護士になれるかどうかは別にして、父の意思に逆らおうという気も特になかった。
賞を獲るまでは。
いや、もっと正確に言えば、父にそう言われるまでは。
父に言われて初めて、僕は絵を描くことを職業の選択肢として明確に意識したのだ。
今、茜色尽くしの「夢」の中、美術教室では相変わらず怜の姿は見えず、時は静かに翼を休めている。
僕は美術教室で、わずかな埃が夕陽の中、星屑のように揺れて漂っているのを見ている。ここでは風も吹けば、埃も舞うのに、なぜ夕陽は沈まないのだろう。なぜ、時は過ぎてゆかないのだろう。
「俊祐は受賞して、それで初めて、一生絵を描いてそれで生きて行くということを考えた」
「父を納得させたかった。――っていうか、自分を納得させたかったんだと思う。絵でやっていけるんだって。校長みたいに、急に俺のことを褒めてくる人はたくさんいた。そういう人たちを見ていると、内心では、絵のことなんて分かりもしないくせにとすごく傲慢な態度を取っていたけれど、でもその一方で、ものすごく不安にもなった。じゃあ、俺には、本当に絵のことが、芸術ってものが分かっているのかって。自信は無かった。自分は出来るんだって、自分を納得させるためには、続けて賞を取るしかないと思った」
それで僕はそれまで以上に絵を描きまくった。描きまくって、高校生でも応募できる賞を見つけては応募するようになった。
でも、落ちた。落ち続けた。
落ちれば落ちるほど、絵を描いて、出して、認めてもらわなくてはと思った。そうして描くうちに、僕はだんだん何のために絵を描いているのか、わからなくなった。どうしたらいいのか、分からなくなった。それで、さらにもっと死に物狂いで絵を描くようになった。
「あの頃のことは思い出したくない」
「あの頃、俊祐はとてもつらそうだった。見ていて痛ましかった。でも、僕に出来ることは何も無かった。ただ、見ているしかなかった」
怜の声は物静かだった。
「怜は逃げずに、毎日、美術教室で俺の隣で絵を描いていた」
「それが唯一、僕に出来ることだった」
僕たちはそんなふうにして高校二年の大半を過ごし、父は僕に、父と同じ高偏差値の大学の法学部受験をあからさまに迫るようになっていった。父は絵を職業とすることを止めさせたがり、僕は抵抗した。
僕はもう絵は楽しくなく、何でこだわり続けているのか、分からなくなっていた。高三になる春休みには、父の圧力に抗し切れず、美大ではなく、通常の受験予備校の春期講習へと通った。
午前中は春期講習に通い、午後は美術教室で絵を描いた。訳の分からない絵を描いた。描けば描くほど分からなくなっていった。それでも描き続けていた。全然楽しくなく、苦しいだけで、一パーセントの希望と九十九パーセントの絶望という気分だった。それでもそれでも、僕はキャンバスに茜色を塗り続けた。そしていつも、怜は僕の隣にいた。
そんなふうにして高校三年となり、――そして、あの事件が起きたのだ。