第5話
文字数 4,454文字
僕たちの三回目の転換点は、高三の五月、連休明けのことだった。
その時、僕も怜も教室にいた。英語の授業中だった。岩沢という名の、四十過ぎの、少し髪を長く伸ばしたいけすかない男性教師で、担任で、僕たちはみな、彼のことを嫌っていた。
教室のドアがノックされ、岩沢の返事を待つことなくドアが十センチほど開き、教頭が顔を覗かせた。教頭は英語教師を手招きし、それから一緒に教室の中に入って来た。入ってきてそのまま、教頭は怜の席へと歩み寄る。そして怜に一言二言声をかけ、そのまま怜を連れて教室の外へ出た。
怜の父が、地検特捜部に逮捕されたのだった。
詳しい罪状は知らない。ただ、その日から、怜の父の顔写真が昼夜を問わず、チャンネルを問わず、新聞の種類を問わず、雑誌の名前を問わず、常に晒され続けた。何台ものテレビカメラや記者たちが怜の家の前に張り付き、怜は家に帰ることすらできなくなった。すべてのメディアが、怜の父の罪状をがなりたて、怜の父を罵倒し続けた。
紳士的な記者、公正な記者も多くいた一方で、人間性を疑うような記者たちも少なからずいた。何人かの記者が、僕らの高校にまで取材に来た。僕の入賞を上機嫌で褒めた校長は、これ以上はない仏頂面になり、「一切ノーコメントです」と記者を追い返した。取材に関しては、未成年である生徒たちへの配慮も申し入れた。それでも、記者は校門に張り付き、怜とコンタクトしようとし、また、怜と怜の父、怜の家について、何らかのネタを拾えないかと、生徒たちに近づいた。
そんな中、ちょっと興奮するようなサプライズもあった。
どこかの記者が校門の外で、いやがる生徒たちにしつこく付き纏い、怜について聞きだそうとしているのを見て、僕たちからキモがられていた担任の岩沢が、眦を決してその記者に近づいていった。岩沢は後ろに水の入った小ぶりなバケツを隠し持ち、記者の前に立つと、何も言わずにその水を記者の顔面にぶちまけた。一瞬の後、いきりたつ記者と岩沢は、一触即発の雰囲気になった。僕たち生徒は、記者と岩沢に走りよった。そして取り囲んだ。生徒の人数は瞬く間に、雪原を転がる雪だるまのように膨らんだ。僕たちは無言で記者と対峙した。記者はそれでも何かを言い募ろうとし、でも僕たちはただ黙って記者を見据え、――記者は去って行った。
その日以来、僕たちは、岩沢の悪口を言わなくなった。
それでも、怜にかかわるすべての人達の口を完全に封じることは出来ない。週刊誌には怜の家のこと、怜自身のことといったプライバシーが、いいように捏造され、尾ひれを付けた形で掲載された。
怜は、幼い時に母親を失い、父一人、子一人の家庭だった。引き続きメディアは怜に接触しようと待ち構えている。週刊誌だけでなく、SNS上にも怜の父へのバッシングが溢れ、父のみならず怜の写真までが流出し、シェアされた。怜を一人で家に置いていくわけにはいかない、学校はすぐにそう結論した。
学校は怜の親戚に連絡を取った。僕はいまだにその時の詳しい経緯は聞いていないのだが、とにかく怜の行き場所はそれでは決まらなかった。緊急ということで、怜は岩沢の家にしばらく泊まることになった。
僕が僕の父と話をすることができたのは、事件から三日後のことだった。午前一時頃で、父の出張からの帰宅を待っていたのだ。
「父さん、頼みがある」
僕が父に頼み事をしたことは、物心ついてからは、多分、一度も無かった。絵のことでぎくしゃくし出してからは、父に話しかけることすら、ほとんど無くなっていた。
「珍しいな」
ネクタイを解きながら、父は息子から近づいてきたことに、少し嬉しそうだった。父が僕のことを思ってくれていることなど、もちろん、分かっていた。でも、父と僕とでは、生きていく上で重要に感じることが違うのだと思っていた。
「怜、――友だちの田坂怜の父親が逮捕された」
「田坂って、じゃあ、あの?」
「そう、あの」
「そうか」
父は声と視線を共に落とした。
「それは気の毒なことだ」
「僕は、怜の父親に何度か会ったことがある。怜からも、彼の父親の話を何度も聞いたことがある。怜のお父さんが、そんな悪いことをするとは思えない」
「別に人を殺したり、強盗したりしたわけじゃない」
「でも、テレビでは守銭奴で、強欲で、日本を拝金主義にした極悪人のように罵っている」
「怜くんのお父さんの会社は、ちょっと目立ち過ぎた。しかも、怜くんのお父さんはとても優秀なファイナンスのプロで、その会社で財務の取り纏めをやっていた。法律上、ギリギリのところで、つい行き過ぎたんだろう。少なくとも、特捜部はそう判断した」
「ねえ、父さん。怜の母親は怜が小さい時に亡くなっていて、親戚も東京にはいないみたいだ。怜は一人であの家に住まなくてはならない。でもそれは無理だ。テレビや記者がうろうろしている」
「そうか。そうだろうな」
僕は少し間を置き、勢いを付けて言った。
「父さん、怜をこの家で匿うことは出来ないだろうか?」
父は驚いたようだったが、話しの流れからは想定内だったのかもしれない。父にとっては大抵のことは想定内で、仮に想定外だったとしても、表面上は想定内という顔のできる人だった。僕は、いまだにまったく敵わない。
「匿うって、怜くんは犯人じゃないだろう」
父は苦笑しながら言った。
「でも、誰かが怜を、世間から匿う必要がある」
「母さんには相談したのか?」
「父さんがいいと言えば、母さんは反対しないって言ってた」
僕の父は、ワイシャツを着たまま書斎の椅子に座った。座って、机に右肘をつき、頬杖をついた。それは、父が何かを考える時のポーズだ。父は少しの間、目を閉じた。そして再び目を開いた時には、もう何ら迷いの色はなかった。
父は言った。
「良いだろう。ただし、一つだけ、条件がある」
「何?」
「俊祐は、怜くんのお父さんが本当にそれほどの罪を犯したのかと、疑問に思っている。そうだな?」
僕が頷くと、父は続けた。
「それは裁判で明らかにされる。そしてその裁判で被告の主張を支えるのが、我々、弁護士だ。俊祐が絵を好きなのは、よく分かっている。分かっているが、何かを好きでいるのと、それでメシを食っていくのとは、実はまったく別次元の話だ。絵を描くのを止めろとは言わない。言わないが、普通に大学を受験してはどうだ。それで、父さんとしては、是非、弁護士を目指してほしい。弁護士をしながらだって絵は描ける。弁護士だって、十分に人生を捧げる価値のある仕事だと、父さんは自信を持って言える。大学に入り、そうした未来をしっかり検討した上で、やはり絵の道に行くというなら、もう反対はしない。――父さんはもう少し、将来について俊祐にじっくり考えて欲しい。怜くんのこととは関係のない、卑怯な交換条件かもしれないが、父さんには俊祐が急ぎ過ぎているように見えるんだ」
弁護士という職業の意義など、言われなくても分かっていた。弁護士をしながら見事な絵を描き続ける人だっているだろう。でも、自分はそうではないということもまた、分かっていた。
自分にとっての絵とは、絵を描くこととは、そういうことではない。
自分はそれほど器用ではない。絵を描こうとすれば、絵の世界に入り込んでしまうだろう。入り込んでもう戻って来れなくなってしまうだろう。外の世界との両立、ましてや弁護士業との両立など、想像もつかない。不可能だ。
僕は、絵の世界の中で自分と向き合い、何かを生み出そうともがき、結局は何も生み出すことなど出来ないのかもしれない。それでも、自分が絵を描こうとする以上、そうした試みは不可避だ。
しかし、それは厳しく、辛い。
本当は自分の中には何もなくて、何かあるなどというのは単なる幻想で、それなのにその幻を追い続けて。何かが見つかったと感じる時の限りない甘美さ。それが幻だと分かった時のどうしようもない哀しみ。その繰り返しがおそらくは自分の絵描きとしての人生――。
真剣に絵に向かい合い始めてから僅か一年半余りで、既に僕は息切れしようとしていた。絵に翻弄されてしまい、僕は溺れかけていた。一生、泳ぎ続けられるとは到底思えなくなっていた。誰もそこに浮輪を投げ入れることは出来ない。いつも側にいた、絵のことが理解できる、そして僕のことを理解している怜でさえも。
もう頑張れない。
そう思った。
絵の神さま、どうかもう、許してください。
たった一年半しか頑張れなかった、僕を許して、そして忘れてください。
僕は逃げます、父が出してきた交換条件を口実にして。
「分かった」
僕は父に言った。
「弁護士を目指す。だから怜を匿ってほしい。匿って、守ってあげて欲しい」
父は僕に右手を差し出した。握手。それが父との和解であり、絵を描くこととの別離の時だった。
それから二日の後。怜は、岩沢の家から僕の家へやってきた。有能な弁護士である父の手回しは完璧で、また、人が好きで人にも好かれる母の配慮や対応も完璧だった。父は怜の父親と弁護人経由でやり取りし、怜の当面の生活費や学費、さらには大学進学に必要な資金を確保した。
世間が静まるまで、怜は変装して僕と一緒に学校に通った。授業が終わると怜は美術教室に行き、僕は、火木は美術教室へ、月水金は予備校へと通い始めた。それが美大受験向けの予備校ではないことは、僕が怜に言い出しにくく黙っている間に、怜の方で察知してしまった。
「そうか、絵の道には進まないんだ。弁護士になるんだね」
怜は、さらっとそう言った。
それだけだった。
でも、怜の気持ちがそれだけではないのは、鈍感な僕にも分かった。おそらく怜の中には、僕が予想もつかないような、その半分も頭に詰め込めば目が回ってしまいそうな、微妙な繊細な感情で溢れていたことだろう。
もう僕は、怜にどう言ったらいいのか、分からなかった。
僕たちは、夏休みまでは火木の放課後を美術教室で共に過ごし、夏休みは僕は週に一度くらい美術教室で絵を描き、怜は美大の予備校に通いだした。その頃には、僕は、絵を描いていても、もう全然、苦しくはならなくなった。そして、喜びもなかった。
二学期になると、僕も怜も、ほとんど美術教室には足を向けなくなった。怜は相変わらず僕の家に住んでいたけれど、二人の予備校の終わる時間はバラバラで、帰宅時間もバラバラになり、夕食もまたバラバラで、顔を合わせる時間はあまり無くなった。
翌春、僕は父の母校の法学部に無事合格し、怜は地方の美大に受かって、僕の家を出て行った。
それから。
それから――?
僕はどうしたのだろう。弁護士になれたのだったか? 法廷で颯爽と弁論を披露したのだったか?
怜とは、再会した?
いいや、怜とは会っていない。
どれくらいの間?
思い出せない。
思い出せないけれど、――長い間だ。
長い間、怜とも会えず、絵からも逃げるようにして、僕は生きてきたのではなかったか。