第5話
文字数 1,388文字
5.閑話休題
第五話を読み返した現在が2022年2月。
かれこれ、1年間もほったらかしにしていたらしい。
まあ、気が向いたときに筆に随って書こう、というコンセプトだったので、それはそれでよいとして。
閑話休題。
大学編入をし、愛知大学へと進んだ私。
西洋哲学科のみんなは年齢が1つ上の私を受け入れ、多くのことを話しあった。
存在と無/サルトル
知覚の現象論/メルロ=ポンティ
芸術論? とかとか…。
今思えば、哲学の門をみたと田舎者がわちゃわちゃ話すことに愉しみを覚えていたんだなと。
(専門学校でギャルゲーを知ったとき、それを語り合う友がいなかった反動だと思う)
でも、それがきっと一番楽しくて、そんなふうに夜な夜な
自己承認欲求を満たすかのような
知的好奇心を満たすかのような
「集まり」を自分は欲していたんだと。
たった2年の大学生生活。
十分だったといえる大学生生活。
その間に、二作品の小説を書いた。
(一作品700P程度…文字数とか段落とか詳細は省くとして)
ほかにも学祭で出典する同人誌「黄金虫」(漢字が違うかも)にも短編を寄稿してみたり。
あーこれこれ。
こういう、アニメの設定にありそうなことをしたいんだ!
と振り返っても、この二年間は充実していたと思う。
付き合ってみたり。(恋人ができたのだ!)
危ないことしてみたり。(想像におまかせ!)
「教員免許とっておけば困らないだろうから、とっておきなさい」
一人暮らしをしている自分に母からのアドバイス。
「いや、絶対にとらない。
とったら、教師になりそうな気がする」
10を超えるアルバイトをした。
高校1年生からアルバイトをしていたのだ。
フリーターの一年もあったのだ。
―――こういう職種は嫌
「教師」はそれからは除かれていた。
嫌ではない。
教育関連は「個人塾」「くもんの採点担当」「家庭教師」と計6年程度、さまざまなバイトレベルのことをしていたから。
―――続けられる。
そう。一番続けられてしまっていたから、「教育」は避けたかった。
「ライターになろう」
大学時代、いやフリーターのときからか。
いや、高校3年生で漫画を描き、集英社の持ち込みキャラバンという企画が名古屋にあると知ったときからか。(帰りの電車の中で、画はむりだから、字だな。と思った私を思い出した)
そんなタイミングで。
「田中くん、うちに書いてみない」
と、XUSEという老舗のゲーム会社(18禁が主)の吉田社長からメールで返答をもらったのだ。
!!!!!!!
驚天動地。
大学生時に書いた作品をゲーム会社4社に送り、1勝3敗。
1勝! これはデカい!
「俺、シナリオライターになる!」
そんなこんなで、就活もせずに、教員免許もとらずに、私は卒論提出早々に秋葉原にある会社へと就職したのだ。
と。
これじゃ、閑話休題どころではない。
またも、想い出話をしたため、期間があいてしまう結末になってしまう。
「私は教育が嫌いだ」というテーマが本筋。
ゲーム会社では実質7.8か月の実働で終了。(大学時からシナリオ弄らせてもらっていて、その報酬が引っ越し代という感じ)
まあ、短い期間だったが、人生で一番濃い期間だった。
彼女と彼とのルームシャア。
彼の帰省と彼女のパラノイア。
(ここの掘り下げはまた別の機会に)
早々に愛知に戻ってきた私は結局…「塾講師」として採用された。
ほら、やっぱり。
「―――続けられる」なんて思ってるから、足を踏み入れちゃうんだ。
第五話を読み返した現在が2022年2月。
かれこれ、1年間もほったらかしにしていたらしい。
まあ、気が向いたときに筆に随って書こう、というコンセプトだったので、それはそれでよいとして。
閑話休題。
大学編入をし、愛知大学へと進んだ私。
西洋哲学科のみんなは年齢が1つ上の私を受け入れ、多くのことを話しあった。
存在と無/サルトル
知覚の現象論/メルロ=ポンティ
芸術論? とかとか…。
今思えば、哲学の門をみたと田舎者がわちゃわちゃ話すことに愉しみを覚えていたんだなと。
(専門学校でギャルゲーを知ったとき、それを語り合う友がいなかった反動だと思う)
でも、それがきっと一番楽しくて、そんなふうに夜な夜な
自己承認欲求を満たすかのような
知的好奇心を満たすかのような
「集まり」を自分は欲していたんだと。
たった2年の大学生生活。
十分だったといえる大学生生活。
その間に、二作品の小説を書いた。
(一作品700P程度…文字数とか段落とか詳細は省くとして)
ほかにも学祭で出典する同人誌「黄金虫」(漢字が違うかも)にも短編を寄稿してみたり。
あーこれこれ。
こういう、アニメの設定にありそうなことをしたいんだ!
と振り返っても、この二年間は充実していたと思う。
付き合ってみたり。(恋人ができたのだ!)
危ないことしてみたり。(想像におまかせ!)
「教員免許とっておけば困らないだろうから、とっておきなさい」
一人暮らしをしている自分に母からのアドバイス。
「いや、絶対にとらない。
とったら、教師になりそうな気がする」
10を超えるアルバイトをした。
高校1年生からアルバイトをしていたのだ。
フリーターの一年もあったのだ。
―――こういう職種は嫌
「教師」はそれからは除かれていた。
嫌ではない。
教育関連は「個人塾」「くもんの採点担当」「家庭教師」と計6年程度、さまざまなバイトレベルのことをしていたから。
―――続けられる。
そう。一番続けられてしまっていたから、「教育」は避けたかった。
「ライターになろう」
大学時代、いやフリーターのときからか。
いや、高校3年生で漫画を描き、集英社の持ち込みキャラバンという企画が名古屋にあると知ったときからか。(帰りの電車の中で、画はむりだから、字だな。と思った私を思い出した)
そんなタイミングで。
「田中くん、うちに書いてみない」
と、XUSEという老舗のゲーム会社(18禁が主)の吉田社長からメールで返答をもらったのだ。
!!!!!!!
驚天動地。
大学生時に書いた作品をゲーム会社4社に送り、1勝3敗。
1勝! これはデカい!
「俺、シナリオライターになる!」
そんなこんなで、就活もせずに、教員免許もとらずに、私は卒論提出早々に秋葉原にある会社へと就職したのだ。
と。
これじゃ、閑話休題どころではない。
またも、想い出話をしたため、期間があいてしまう結末になってしまう。
「私は教育が嫌いだ」というテーマが本筋。
ゲーム会社では実質7.8か月の実働で終了。(大学時からシナリオ弄らせてもらっていて、その報酬が引っ越し代という感じ)
まあ、短い期間だったが、人生で一番濃い期間だった。
彼女と彼とのルームシャア。
彼の帰省と彼女のパラノイア。
(ここの掘り下げはまた別の機会に)
早々に愛知に戻ってきた私は結局…「塾講師」として採用された。
ほら、やっぱり。
「―――続けられる」なんて思ってるから、足を踏み入れちゃうんだ。