第3話

文字数 1,506文字

3.奴隷

私が浪人生活で一番感じたのは「冬が嫌い」だということだ。

冬は長い。

夏が7・8月と二か月足らずの印象であるのに対して、
冬は11・12月から2・3月まで五か月程度ある印象を私は持っている。

倍近い。

とはいえ、この長い期間に受験勉強をすること自体は
(勉強がつまらないだけなら)小学生から慣れているから別段気にしない。

ただ。

周りと違うことにストレスがかかった。

これは浪人をしてみないとわからないと思う。

まず自動車の免許を取る同級生。

私は未だ自転車だ。

次にバイトを始める同級生。

私がバイトをしていたら殺される。

さらに彼氏彼女をつくる同級生。

これは単に私がモテないだけだろう。

とりもなおさず。

同級生と「違う」ことに対するストレスが大きかった。

今思えば、これはきっと「死」に近いものがあったのだと思う。

私はよく眠るときに自分が死ぬことを想像した。

小学高学年からよく想像していた気がする。

それは――――とてつもなく怖い。

だから、容易にクラスメイトにこの話はできなかった。

死は――――存在が消えること。

死は――――思考ができなくなること。

死は――――「無い」ことで、

      「  」が怖かった。

こうしたことを考えていてふと気づいたのだ。

これらの感情は、私が止まっているのに、周りが動いているから生じるのだと。

私が死んだのに、
街はそれでも廻っているからだと。

これがとてもつもない恐怖の原因なのだと。

死に到れば、周囲が動くことを想像するのは適わないだろう。

ただ。

死を想像する私は同時に周囲が動くことを想像するのも容易い。

閑話休題。

受験はこの「死」を想像する状態と似ていると思う。

結果。

長い冬の期間を「受験生」として過ごすことが私は嫌だった。

だが。

これらはもう終わったことだ。

今の私は過去を思い出しながら、こうして筆に随い文をしたためている。

畢竟。

長く嫌な受験期間を終え、こうして今は受験生に国語を教える立場になってわかったことがある。

本当に私が恐れていた受験期間の恐怖は

同級生との差異でもなく、独りであったことだったのだと。

人間が社会的動物なのだとしたら、
(アリストテレスとがそんなことを言っていた)

社会の最小の単位である「家族」に接することが人間だと思うのだ。

教育は家族を外部化する。

親は受験勉強する私を応援することはあるが、
親は受験問題を私とともに解くことはない。

たぶん、これが恐怖の正体だ。

親とともに受験という体験価値を得られるなら、
きっと、それは大変だけど、辛いけれど、怖いものではなかったと思う。

私は教育を忌避する。

教育を外部に委託する親の決断とその温床にある教育業界を。

受験生は教育の奴隷に成り下がる。

委託された機関で
定められた規則に従い、
終わりまで勉強する。

点数に一喜一憂し、
偏差値に感情を揺さぶられる。

もちろん、努力故に喜怒哀楽が生じる方もいるであろう。

ただ。

私は、教育の奴隷だった。

独り、楔を引きづり鎌をおろすだけの物だった。

だから、今。

小学生や中学生を中心に教えたいのだと思う。

家族はきっと塾代は払ってくれるが、
家族はたぶん一緒に問題を悩んではくれないと。

それでも。

孤独ではない演出ぐらいなら、きっと他人でもできると思うから。

それが「受験」の「体験価値」として刷り込まれたなら、
もしかしたら、大学受験もその体験価値の杵柄で少しは楽になるかもしれないから。

たぶん。

これが私がこの業界を続けられる理由。

独りの受験であった私の体験価値は
独りでは「ない」受験だったといえるみんなの体験価値に還元できるから。

それが教育業界の温床から生まれた動機だとしても。

そんなエゴでご飯が食べられるのなら十分だと私は思っている。
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登場人物紹介

これは教育業界を批判し、教育業界に従事する私の感想文である。

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