第6話

文字数 2,535文字

6.生徒の「おかげ/せいで」

「彼女と別れたんだ」
1年目の授業でそんなことを小6の生徒たちに言ったことがある。

「ちゃんと、授業してください!」と。
小6の女子生徒に怒られたことがある。

いやはや。
ほんと、頼むよ自分。

あの時、早々に転職してしまったことで心の整理が全くついていなかった。
夢と追いかけたライター職から逃げ出した2週間後には名古屋の進学研究会に所属していたのだ。

ふと気づけば、やり残した作品のことを。
ふと思い返せば、自分が書きたかった作品のことを。
(何もかも、中途半端で逃げ出したツケを)
(何もかも、恋愛フェイルターで隠していた嘘を)

気持ちや考えの持って行き方がわからず、「人間不信」という答えで目を背けていた。
だからだろうか。
―――小学生、中学生は素直でいいなって思っていた。
一心不乱に中学受験勉強をしているのだ。
昼食中に黙食をしているのだ。(コロナ以前の話)

―――生徒はこんな自分でも…

ただ、素直に感情を露わにして「くれた」
(ただ真面目にやっているにすぎないのだろうし、自分がそれに応えていないのは職務怠慢でしかないのだが…)

とはいえ、そんな中。

「不合格」を知った
「未熟さ」を感じた

―――ああ、真面目に授業しよう。本気で受験国語と向き合おう。

気づいたときには、どっぷり沼の中。
時間外勤務とか
彼女願望とか
そういう20代が集まれば話すような愚痴も悩みも、消えたのだ。

この感情は
父性? とは違うとは思う。
妹欲? は少し近いかもしれないが、それも違うと信じよう。

「合格」させたい
「成熟」しなければ

そうして、ひたすらに7年と9か月。
岐阜、新瑞、名古屋、八事と…塾講師として働いた。

気持ちが仕事一色になれば、昨年とは違う声がかかる。
「スタッフ」という作成関連の頭括をする一人になりませんか、と上司から誘いがくる。
「テキスト」作りたいです、と自分から新たな企画を打診するようになる。
「最上位クラス」の担当してみないか、と部長から誘いがくる。

毎年、違う声がかかった。違う声をだした。
そんなこんなで「生徒のおかげ」は自分を一塾講師として真面目に授業をするように変化させ、合格させられる知恵と経験を身につけさせてくれた。

ただ。
違う声もある反面。
「生徒のおかげ」は「生徒のせいで」が見え隠れするようにもなっていく。

「あの子」が大事
「あの子」を合格させてあげたい、と。

「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」。
「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」。。
「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」「あの子」。。。

一校舎の生徒だけでなくなっていった。
複数の校舎に跨る生徒に、
自分を好意的にみてくれた生徒に、
自分が押し込めば合格可能圏内に入れる生徒に、
力を注ぐようになっていた。
すると、どうなるか。
「生徒のおかげ」が「生徒のせいで」に変わり始めたのだ。

サービス業は人が休んでいるときに働くもの。
そう、誰かに言われたことがあった気がする。

生徒への熱い想い、日々尽力する行為。
仕事への熱量は生徒のおかげで真っ直ぐになったが、
仕事への熱量が会社と合わなくなっていく。
「作成」をした。
それはいつ?―――休日(週休一日)を使った。
「動画」を撮った。
それはいくら?――無給(休日に)だった。

嫌なら、自分で塾をしたらいいじゃない。
そう、誰かに言われたことがあった気がする。

怖い。
そう、一人でリスクを背負うのは怖いのだ。
そんな覚悟はない。
会社という船にこっちから乗させていただいている、に過ぎない。
だから。
愚痴は零れても、
辞めたいと思っても、
「固定給」が出るなら、それでよかった。

でも。

うちで働きませんか。
そう、引き抜きの声がかかったのだ。

別の船に乗りませんか、と。
今の船に愛着はない。
ただ乗せていただいた船なのだ、
勝手に降りればいいだけの話。

ただ。

「生徒のおかげ」は自分で創ったものだ。
だから、コレが僕の決断にはついてまわる。

「辞めたら、あの子はどうなるの」
「卒業まであの子をみてあげたくないの」

「生徒のおかげ」は「生徒のせいで」に一変した。
      辞められない。
「あの子」がいるから、降りられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・
いつか
いつか、線を引かないといけない。
どこかで
どこかで、この螺旋から抜け出さないといけない。

「そちらの船に乗ります」

勝手に、自分が立ちなおっただけだ。
生徒は、真面目に受験に取り組んでいただけだ。
私が、勝手に、生徒に、感謝をして、
私が、勝手に、生徒に、別れを告げただけ。

そう、―――受け手で色が変わるだけの話。

あの子たちは、私が別の船に乗ることに対してどう思うだろうか。
入試応援で出会ってしまった場合、私はあの子たちを真正面から向き合えるだろうか。
「悪いことをしてしまった」
「無責任なことをしてしまった」

いやいや。

生徒はただ真面目に頑張っているだけなのだ。

それは、変わらない。
彼女と別れた話をしたときも、
合格するためにひた向きに、日々共に時間を共有したときも、

生徒はただ真面目に頑張っているだけなのだ。

だから。

私が別の塾で授業をしていようと
私が別の塾のコートを着て、入試応援をしていようと

「真面目にやっておいで」

あの子に対して、変える姿勢は―――ない。

―――――――――――――――――結び―――――――――――――――――――――――
私は教育が嫌いだ。
「学ぶ」という事実に、勝手な色をつけてしまうから。

私は教育が嫌いだ。
「結果」という事実で、勝手に学習を終えさせられてしまうから。

本来、教育には生徒が事実を線に繋げるための機会があるだけでよく、
本来、教育とはこの世すべての人生の中にあるものでいいはずだ。

塾講師が、生徒を扇動し、喜怒哀楽を共有するものではないし、
塾業界が、営利目的のために演出することではない。

一旦。

一旦、ここいらで、私の遍歴と7年9か月の塾講師生活を振り返りながらの随筆を終わらせようと思う。
この結びが別の船に乗ったことで、どう変わるのかはわからない。
それも踏まえ、何か別のアプローチで探っていけたらと思う。

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登場人物紹介

これは教育業界を批判し、教育業界に従事する私の感想文である。

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