第4話
文字数 2,122文字
4.馬鹿者
現役の頃、大学受験に失敗した際に担任の先生がこんなことを言っていた。
「終わりがあるから頑張れるんだよ」
この言葉は浪人生活に入り、一年間予備校に通い、休日は図書館に通い、毎日ひたすらに勉強を続けていた最中、勇気を貰えた言葉だった。
「この地獄が終わるときはあるんだ」
受験が終わる。
それは幸せなことだと。
―――――勘違いしていたと、今は気づく。
「終わりがあるから頑張れる」
確かに、そうして最後まで努力することはよい。
ただ。
「終わりを迎えたとき、新たな始まりを迎えること」
これもセットで考えないといけない。
新たな始まりが「幸せ」と言える保証はどこにもないのだから。
………………………………。
………………。
………。
浪人生活がやっと終わりを迎えた。
正しくは、終わらされた。
いや、正直に言えば、終わらせていただいた。
私は駿台予備校に通い、
文系基礎クラスで一年間好き放題に興味のある講義を受講し自習し、
結果、
大学には一つも合格できなかった。
現役の頃よりもセンター試験の点数は低かった。
(もう脳内で点数の改ざんは行ってはいないと記憶している)
私立大学にもすべて落ちた。
(浪人したというプライドがある受験生は一定以上の大学しか受けないトンチンカンな考えをもつ者もいる。私がそれだ)
その結果は自分ではどうにも母親には伝えられなかったが、それは姉と弟がその役割を担ってくれていたらしい。
「あなたどうするの?」
母親の言葉は母親が思っている以上に、子どもには響いている。
疎外感。
劣等感。
そんな負の響きとして。
「一年間、予備校の学費を出してこれじゃ、ドブに金を捨てたと同じ」
「恥ずかしくて誰にも言えない」
「南山大学なんて五日間すべて受けたのよね? 全部落ちるとかあり得る?」
あの時は願書を書くのもできないほど落ち込んでいた。
落ち込むのは一人前。
精神的な強度は半人前。
「二浪する」
そんなことを言っていた気がする。
二浪して、今度は京大を目指す、とかなんとか。
さすがにそれを口にしていて、自分でももうそんな体力(そもそも知力か)はないと分かっていたし、親が反対してくれるのを期待していた気もする。
「医学部を狙うわけでもあるまいし」
案の定、二浪は避けられそうだった。
とはいえ。
本当に行く大学がないのだ。
受けられる二次試験を片っ端から探した気がする。
姉が探してくれていた。
姉が願書も書いてくれていた。
それでも。
私はただ、問題集を解いていた。
目的も分からず、
この問題が何に繋がっているかもわからずに、
ただ、問題を解くことだけが怒られない姿勢だった気がするから、
ただ漫然と問題集を机の上に置いていた。
「大学編入するための専門学校」
二次試験の不合格も出揃った中で、そんな単語が浮上していた。
なんでも、
浪人したのに、大学に合格しなかった受験生のセーフティネットがあるらしいと。
駿台予備校にもそういった学校はあるが関西にしかなく、
そのために一人暮らしする…気にもなれず、
東海地区にある河合塾系列の専門学校に白羽の矢がたった。
「――――――――――」
そこしかないのであれば、そこに行くしかない。
有無を言わさず、
私の意志など毛頭なく、
手続きは母親が済ませ、私は何の目的もなく、(大学編入するための単位の取得が目的であるはずなのだが)その専門学校に通ったのだ。
本当に、私は弱い生き物だと思う。
予備校から専門学校へ。
どの世界も類は集まるもので、同じ境遇の同じような年齢の人たちがそこにはいた。
不出来な頭のくせに、
一人前以上のプライドを掲げた私たち。
長髪、もしくは金髪もしくはデブもしくは、それら全て。
馬鹿顔だと。
専門学校生を揶揄し、私は見下していた。
大学編入科に通う私たちは違うと。
(同じ専門学校に通っているはずなのに)
たまたま受験日に体調が悪かっただけだと
たまさか緊張して力が出せなかっただけだと
浪人した一年間を省みずもせず、
「勉強量はしたけど、学校に合わせられなかったよな」と。
まるでそれは、ボクサーが減量に失敗しただけだよなと。
(これは“はじめの一歩”にはまっていたからでた比喩であろう)
傷をなめ合い過ごした専門学校の二年間で―――。
覚えたのはたぶん
女性と性向を交る方法論
と
没頭したのはノベルゲーいわゆるギャルゲーについてで。
そんな二年間を過ぎ、私は―――。
フリーターになっていた。
大学の経済経営学科に編入する専門学校に通った結果、私はこんな感想を抱いていた。
「経済学で卒論なんて書きたくない、興味ない」
これを書いている今も私は私に思う。
コレは本当にダメなやつだと。
そのぐらい、
身勝手で
親不孝な
私は馬鹿者なのだ。
「終わりがあるから頑張れる」
高校三年生の頃の担任が浪人する私に掛けた言葉。
この章の冒頭で、
「終わりを迎えたとき、新たな始まりを迎えること」
これらをセットに考えると良いと私は思ったが、訂正したい。
「手段と目的を明確にした上で、頑張った者は終わらせられる」と。
私の受験は終わったのではない。
金銭面から精神面から終わらされたようにみえただけで、
「私」の「無目的」「無計画」な人生は終わっていないのだ。
予備校から専門学校へ、そしてフリーターへと。
見え方が変わっただけにすぎないのだ。
現役の頃、大学受験に失敗した際に担任の先生がこんなことを言っていた。
「終わりがあるから頑張れるんだよ」
この言葉は浪人生活に入り、一年間予備校に通い、休日は図書館に通い、毎日ひたすらに勉強を続けていた最中、勇気を貰えた言葉だった。
「この地獄が終わるときはあるんだ」
受験が終わる。
それは幸せなことだと。
―――――勘違いしていたと、今は気づく。
「終わりがあるから頑張れる」
確かに、そうして最後まで努力することはよい。
ただ。
「終わりを迎えたとき、新たな始まりを迎えること」
これもセットで考えないといけない。
新たな始まりが「幸せ」と言える保証はどこにもないのだから。
………………………………。
………………。
………。
浪人生活がやっと終わりを迎えた。
正しくは、終わらされた。
いや、正直に言えば、終わらせていただいた。
私は駿台予備校に通い、
文系基礎クラスで一年間好き放題に興味のある講義を受講し自習し、
結果、
大学には一つも合格できなかった。
現役の頃よりもセンター試験の点数は低かった。
(もう脳内で点数の改ざんは行ってはいないと記憶している)
私立大学にもすべて落ちた。
(浪人したというプライドがある受験生は一定以上の大学しか受けないトンチンカンな考えをもつ者もいる。私がそれだ)
その結果は自分ではどうにも母親には伝えられなかったが、それは姉と弟がその役割を担ってくれていたらしい。
「あなたどうするの?」
母親の言葉は母親が思っている以上に、子どもには響いている。
疎外感。
劣等感。
そんな負の響きとして。
「一年間、予備校の学費を出してこれじゃ、ドブに金を捨てたと同じ」
「恥ずかしくて誰にも言えない」
「南山大学なんて五日間すべて受けたのよね? 全部落ちるとかあり得る?」
あの時は願書を書くのもできないほど落ち込んでいた。
落ち込むのは一人前。
精神的な強度は半人前。
「二浪する」
そんなことを言っていた気がする。
二浪して、今度は京大を目指す、とかなんとか。
さすがにそれを口にしていて、自分でももうそんな体力(そもそも知力か)はないと分かっていたし、親が反対してくれるのを期待していた気もする。
「医学部を狙うわけでもあるまいし」
案の定、二浪は避けられそうだった。
とはいえ。
本当に行く大学がないのだ。
受けられる二次試験を片っ端から探した気がする。
姉が探してくれていた。
姉が願書も書いてくれていた。
それでも。
私はただ、問題集を解いていた。
目的も分からず、
この問題が何に繋がっているかもわからずに、
ただ、問題を解くことだけが怒られない姿勢だった気がするから、
ただ漫然と問題集を机の上に置いていた。
「大学編入するための専門学校」
二次試験の不合格も出揃った中で、そんな単語が浮上していた。
なんでも、
浪人したのに、大学に合格しなかった受験生のセーフティネットがあるらしいと。
駿台予備校にもそういった学校はあるが関西にしかなく、
そのために一人暮らしする…気にもなれず、
東海地区にある河合塾系列の専門学校に白羽の矢がたった。
「――――――――――」
そこしかないのであれば、そこに行くしかない。
有無を言わさず、
私の意志など毛頭なく、
手続きは母親が済ませ、私は何の目的もなく、(大学編入するための単位の取得が目的であるはずなのだが)その専門学校に通ったのだ。
本当に、私は弱い生き物だと思う。
予備校から専門学校へ。
どの世界も類は集まるもので、同じ境遇の同じような年齢の人たちがそこにはいた。
不出来な頭のくせに、
一人前以上のプライドを掲げた私たち。
長髪、もしくは金髪もしくはデブもしくは、それら全て。
馬鹿顔だと。
専門学校生を揶揄し、私は見下していた。
大学編入科に通う私たちは違うと。
(同じ専門学校に通っているはずなのに)
たまたま受験日に体調が悪かっただけだと
たまさか緊張して力が出せなかっただけだと
浪人した一年間を省みずもせず、
「勉強量はしたけど、学校に合わせられなかったよな」と。
まるでそれは、ボクサーが減量に失敗しただけだよなと。
(これは“はじめの一歩”にはまっていたからでた比喩であろう)
傷をなめ合い過ごした専門学校の二年間で―――。
覚えたのはたぶん
女性と性向を交る方法論
と
没頭したのはノベルゲーいわゆるギャルゲーについてで。
そんな二年間を過ぎ、私は―――。
フリーターになっていた。
大学の経済経営学科に編入する専門学校に通った結果、私はこんな感想を抱いていた。
「経済学で卒論なんて書きたくない、興味ない」
これを書いている今も私は私に思う。
コレは本当にダメなやつだと。
そのぐらい、
身勝手で
親不孝な
私は馬鹿者なのだ。
「終わりがあるから頑張れる」
高校三年生の頃の担任が浪人する私に掛けた言葉。
この章の冒頭で、
「終わりを迎えたとき、新たな始まりを迎えること」
これらをセットに考えると良いと私は思ったが、訂正したい。
「手段と目的を明確にした上で、頑張った者は終わらせられる」と。
私の受験は終わったのではない。
金銭面から精神面から終わらされたようにみえただけで、
「私」の「無目的」「無計画」な人生は終わっていないのだ。
予備校から専門学校へ、そしてフリーターへと。
見え方が変わっただけにすぎないのだ。