第1話

文字数 988文字

エッセイ。
それは「随筆」のカテゴリーに入る。

随筆。
それは「筆に随(したが)って」と熟語を分けることができる。

今から私は教育業界、主に中学受験への指導の日々で抱く想いに随って筆を執ろうと思う。

1.片方

そもそも私は教師になることを嫌っていた。
三人姉弟の長男として育った私。
魚屋の父と炉端を手伝う母は日々喧嘩が絶えず、かといって子どもの「ために」離婚はしない家庭で私は育ち、小中高と地元の公立へ通い、卒業する十八の冬。

初めて受験に落ちた虚しさを今も覚えている。

当時はセンター試験を二日続けて受け、速報から自己採点をし、学校へ報告。
出来具合から大学を選ぶというのが多くの流れで、私もそうだった。

指定校推薦やAO入試といった器用なマネも準備もしておらず、
今まで同様に一般試験で一般的な進学先に通うものだと思っていた。

思っていただけで、考えていなかった。

だから、困惑した。
だから、逃避した。

まず、センター試験の点数を脳内改ざんした。

「たぶん、これは正解してる気がする」

これで私の結果は7割代へと上昇。

「7割超えていれば、地方の公立なら二次試験次第で狙えるかもしれないよ」

高校三年の担当であった女性教師(ドラゴンズのファンであり、一人息子さんも私と同じぐらいの年齢だと聞いたのを覚えている)はそんなことを言った。

今思えばこれは「やさしさ」だったのだと思う。

どうして私立と言わず公立としたのか。
(それは、私が国立進学クラスにいたから)

どうして秀でていない私が国立進学クラスにいたのか。
(それは、私立進学クラスのクラスメイトと合わないから)

何も考えず流れ来た私をあの女性教師はそのまま流してくれたのだ。

「最後までやりきろう」と。

こうした対応は教育業界であれば妥当なのだろう。

ただし、そのためには必ずセットであることが必要となる。

「目標を追いかけること」と同時に「必ず合格する学校を受けさせる」こと。
この二つはセットである。

追いかけられた自己満足という感情と合格することができたという結果。

主観も客観も満たせたなら、たとえそれが「志望校でなくても」、受験を終わらせることができるのだ。

終わらせるにはこの二つがあればよい。
次のステージには
「次はがんばろう」という前向きな感情と「入学することができた」という環境が用意されているのだから、何も問題ない。

問題は―――片方しかない場合だ。

それが私だった。



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登場人物紹介

これは教育業界を批判し、教育業界に従事する私の感想文である。

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