第4話 はじまり
文字数 3,938文字
ここは、とある商店街にひっそりと佇む小さな花屋。天気のいい日でも、その店内は薄暗く妖しげ。それでいて、ふんだんに魅惑の香りを漂わせる。営業日が店主の気まぐれで決まるその場所は、望む者の前にだけ姿を現す秘密の花園。
***
「あー!叔母さんお久しぶりですっ」
閉店準備のため入口の看板を「CLOSED」に変えようとしたとき。聞き馴染みのある緩い声が響いてきた。彼は大きく手を振りながらこちらに歩いてくる。彼、ウエダ・ライナルトは母方の甥。
「ライ君、久しぶりね。相変わらず元気そうじゃない。仕事帰り?」
「いえ。これから職場に戻るところです」
「こんな時間なのに?」
店の時計はすでに18時を過ぎている。
「さっきまで近くで調査してたんですけど、その預かり資料とか諸々あって」
「ご苦労さま。ねえ、せっかくだしコーヒー1杯くらい飲んでく時間はある?」
「ホットチョコレートでお願いしま〜す」
「うちにそんな特殊なやつないわよ。カフェモカで我慢なさい」
「はあい」
カウンターに座りカフェモカを味わう彼の姿は、前回見たときよりも大人びて見えた。子どもの頃からの夢を叶え、理想の仕事に就いている日々が彼を成長させているのでしょう。けれど彼の笑顔を見る限り、本質的な部分は私の知るライ君そのものだった。風変わりな私を偏見の目で見ることも、遠巻きにすることもせず、隣でにこにこと笑ってくれるような心の温かい子だった。
「叔母さん、パートナーとは最近どうですか?」
「ああ、あいつね。だいぶ前に別れたわ」
「え?あんなに仲良さそうだったのに?」
「まあ色んな相性が合わなかったのよ。そんな私の話よりライ君はどうなの?いい人見つかった?」
「んー、まあ」
「あら、ちょっと聞かせなさいよ。付き合ってるの?」
「いえ」
「やだぁ一番トキメクときじゃない!これから始まるかと思うとドキドキするわね」
「いや、たぶん、始まらないと思います」
そのとき、彼は珍しく我慢を隠す微笑みを見せた。
「もしかして、相手既婚者?」
「独身でシングルです。そういう意味じゃなくて、何というか、手を伸ばしちゃいけない気がするというか」
コーヒーマグを見下ろす顔に影が差す。それはいつかの私自身の姿と重なって見えた。
「よかったら、話聞かせてくれる?」
「はい。あの、その人のこと、最初は尊敬の眼差しで見てたんです。自分は基本的に他人 に憧れたりしないんですけど、初めてこの人みたいになりたいって思える人でした。だけどいつの間にか、尊敬以外の気持ちがあって、気のせいだって思おうとしたんですけど、気になり出したら止まらなくなって」
「そうだったの。それって、自分の気持ちを認めたら尊敬の念が薄れそうで怖いってこと?」
「いえ、何があっても尊敬が消えることはないです。だけど思うんですよね、自分にはもったいないほど素敵な人だって。その人は相手の良いところに目を向けてくれて、細かい気配りもできて、視野が広くて、寛容で、自分のヘマも笑って許してくれるような優しい人なんです。そばにいられることがむしろ奇跡です。でも、自分が恋愛対象じゃないのもわかるんです。だってその人は……」
彼は昔からそうだった。相手の幸せを優先してしまうからこそ先を読んで遠慮をし、我慢が得意になっていた。
「あのね、ライ君。あくまで個人的な意見ではあるけれど、私はどんな愛も等しく美しいと思うわ」
「……もう少し説明もらっていいです?」
「そのつもりよ。あのね、世間には様々な見えない常識が漂っていると思っていてね。空気の中に溶けてるから形は見えないけれど、確かに存在するから、それは無意識のうちに人を束縛し行動を制限するの」
「見えない、常識?」
「ええ。男だからこう在らねばならない、女だからこうするべき。性別はもちろん、年齢、肩書き、関係性、それはもう言い出したらキリがないほど色んなものに“ねばならない”が付随してると思う。まあ、人は集団行動する生き物だからね、統一された決まり事が必要なのかもしれないけれど、それに振り回されちゃうこともあるわよね」
「自分が、何か見えない常識に怖気づいてるってことですか?」
「いいえ、腰が引けてるって意味で言ったわけじゃないわ。その逆。そんな常識壊しちゃいなさいって意味よ」
「うーん、壊す……?」
「そう。言ったでしょう、どんな愛も等しく美しいって。どんな愛も、当事者意外が邪魔をする権利はないの。だからたとえ歳の差があっても、同性同士でも、不釣り合いに見えても、他人からしたらありえないと否定されるような何かがあっても、当人が本気である以上は、その愛をなかったことにしていい理由なんてないはずよ。そうやってすべての愛が等しく尊重される優しい世界が、きっとあると思うわ」
「でも、自分は良かれと思って想いを打ち明けても、それが相手の常識や価値観からズレてたら否定されて即刻終わりますよね?もしそのズレが相手にとって最高にありえない非常識だったら、以後永遠に嫌われますよね?」
「あら、弱音なんて珍しいじゃない」
「弱音じゃないです。リスクヘッジです」
「なるほど。あのね、ライ君。あなたをそこまで本気にさせた人だもの、常識外れだからってあなたを否定するような人じゃないでしょう?きっとあなたの気持ちを全力で受け止めて、本心で向き合ってくれる人だと、そう思わない?」
「……そう、ですね」
「それにね、永遠なんてないわよ。今日嫌いだって思われても、明日も明後日も来年も嫌いかはその人が決めること。永遠は過去を振り返った時にようやくわかるものだと思うし、私達には今しか見えない。だけど2人の永遠を掴むには、まずは始めるところからよね」
「始める……」
「そう。始めるには相当悩むだろうし、かなりの勇気が必要かもしれないから、納得するまでじっくり時間をとることをお勧めするわ。そして始まりは、終わることへの覚悟ができた証だからね。結果は気にせず、始めると決めた自分に自信もって伝えなさい」
「なるほど。なんだか勇気湧いてきました」
「よかった。それにあれよライ君。尊敬もできて好きだと想える相手に出会えるなんて、そうそうある話じゃないわ。あなたの言葉を借りるなら、むしろ奇跡。おめでとうの言葉を贈るわ」
「っ?!あ、ありがとうございます?!」
言い終わらないうちに彼のスマホの着信音が鳴り響き、すみませんと一言断りを入れてから応答した。短い会話の後、あらためて謝罪しながら彼は言った。
「上司に早く帰ってこいって急かされました。ついでになぜか夕食に誘われました」
ライ君、笑顔が隠しきれてないわよ。
「引き止めちゃってごめんなさいね。お詫びに花束をプレゼントしたいから、もう少しだけ待ってもらえるかしら?」
「はい!あ、これが世に言う“3分間待ってやる”ってやつですね!」
「んっふふ。ライ君のそういうとこ好きだけど、色んなものに抵触しそうだから気をつけなさいね?」
「はあい」
いつもの調子を取り戻した様子に安堵しながら、いつも以上にスピーディに花束を仕上げ、3分以内に手渡すことができた。彼はこのまま職場に戻るということなので、片手に収まる極々小ぶりの花束に仕上げた。
「綺麗な花ですね。小さなひまわりみたい」
「サンビタリアってお花で、ちょうど今日お店に入ったの。その鮮やかな黄色が元気をくれる感じがして好きなのよね。本当は鉢植え向きなんだけど、まあいいでしょう」
「ありがとうございます。花束もらうなんて、いつぶりだろう」
「フフフ。さあ行った行った。上司が待ってるんでしょう?花束はあれね、見知らぬおばさんに道を聞かれてお礼にもらったとか、適当に言っておいたらいいわよ」
「はい。変なおじさんに足止め食らったって誤魔化します」
「おばさんとお呼びっ」
「えへへ〜」
「ともかく!ライ君。何にも遠慮せず、法や倫理に反しない範囲でめいっぱい楽しみなさいね」
「法って。自分を誰だと思ってるんですか」
彼は自信たっぷりの笑顔を浮かべた。そこにははっきりと、覚悟が潜んでいた。
「この近くには今後も調査に来ると思うので、またその時に。ありがとうございました」
「ええ。気をつけて行くのよ」
「はいっ!じゃあまた!」
自分は変わり者だ。前々からそう思っていた。別にそれでいいと思っていたし、何を言われても気にならなかった。だけど大事にしたい人に出会った時、それが変わった。世間に、というより、その人に嫌われたくなくて普通を演じようとした。けれど相手は、自分が自分らしくあることを歓迎してくれた。言葉にせずとも、それがわかった。
今の「正しい」が明日も正しいかはわからない。今隣にいるあなたが、明日も隣にいてくれるかさえ、わからない。
だけど、始めなければ、永遠はこない。だから永遠を迎えに行くために、自分は始める。あなたとの永遠を掴むために、自分は始める。
************
サンビタリア
(科・属)キク科・サンビタリア属
(花言葉)愛の始まり
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(ご案内)
本4話は「Distortion」とのクロスオーバーとなります。本文中の「上司」の素顔やライ君の活躍にご興味がおありでしたら併せてお楽しみいただけますと嬉しいです。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
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「あー!叔母さんお久しぶりですっ」
閉店準備のため入口の看板を「CLOSED」に変えようとしたとき。聞き馴染みのある緩い声が響いてきた。彼は大きく手を振りながらこちらに歩いてくる。彼、ウエダ・ライナルトは母方の甥。
「ライ君、久しぶりね。相変わらず元気そうじゃない。仕事帰り?」
「いえ。これから職場に戻るところです」
「こんな時間なのに?」
店の時計はすでに18時を過ぎている。
「さっきまで近くで調査してたんですけど、その預かり資料とか諸々あって」
「ご苦労さま。ねえ、せっかくだしコーヒー1杯くらい飲んでく時間はある?」
「ホットチョコレートでお願いしま〜す」
「うちにそんな特殊なやつないわよ。カフェモカで我慢なさい」
「はあい」
カウンターに座りカフェモカを味わう彼の姿は、前回見たときよりも大人びて見えた。子どもの頃からの夢を叶え、理想の仕事に就いている日々が彼を成長させているのでしょう。けれど彼の笑顔を見る限り、本質的な部分は私の知るライ君そのものだった。風変わりな私を偏見の目で見ることも、遠巻きにすることもせず、隣でにこにこと笑ってくれるような心の温かい子だった。
「叔母さん、パートナーとは最近どうですか?」
「ああ、あいつね。だいぶ前に別れたわ」
「え?あんなに仲良さそうだったのに?」
「まあ色んな相性が合わなかったのよ。そんな私の話よりライ君はどうなの?いい人見つかった?」
「んー、まあ」
「あら、ちょっと聞かせなさいよ。付き合ってるの?」
「いえ」
「やだぁ一番トキメクときじゃない!これから始まるかと思うとドキドキするわね」
「いや、たぶん、始まらないと思います」
そのとき、彼は珍しく我慢を隠す微笑みを見せた。
「もしかして、相手既婚者?」
「独身でシングルです。そういう意味じゃなくて、何というか、手を伸ばしちゃいけない気がするというか」
コーヒーマグを見下ろす顔に影が差す。それはいつかの私自身の姿と重なって見えた。
「よかったら、話聞かせてくれる?」
「はい。あの、その人のこと、最初は尊敬の眼差しで見てたんです。自分は基本的に
「そうだったの。それって、自分の気持ちを認めたら尊敬の念が薄れそうで怖いってこと?」
「いえ、何があっても尊敬が消えることはないです。だけど思うんですよね、自分にはもったいないほど素敵な人だって。その人は相手の良いところに目を向けてくれて、細かい気配りもできて、視野が広くて、寛容で、自分のヘマも笑って許してくれるような優しい人なんです。そばにいられることがむしろ奇跡です。でも、自分が恋愛対象じゃないのもわかるんです。だってその人は……」
彼は昔からそうだった。相手の幸せを優先してしまうからこそ先を読んで遠慮をし、我慢が得意になっていた。
「あのね、ライ君。あくまで個人的な意見ではあるけれど、私はどんな愛も等しく美しいと思うわ」
「……もう少し説明もらっていいです?」
「そのつもりよ。あのね、世間には様々な見えない常識が漂っていると思っていてね。空気の中に溶けてるから形は見えないけれど、確かに存在するから、それは無意識のうちに人を束縛し行動を制限するの」
「見えない、常識?」
「ええ。男だからこう在らねばならない、女だからこうするべき。性別はもちろん、年齢、肩書き、関係性、それはもう言い出したらキリがないほど色んなものに“ねばならない”が付随してると思う。まあ、人は集団行動する生き物だからね、統一された決まり事が必要なのかもしれないけれど、それに振り回されちゃうこともあるわよね」
「自分が、何か見えない常識に怖気づいてるってことですか?」
「いいえ、腰が引けてるって意味で言ったわけじゃないわ。その逆。そんな常識壊しちゃいなさいって意味よ」
「うーん、壊す……?」
「そう。言ったでしょう、どんな愛も等しく美しいって。どんな愛も、当事者意外が邪魔をする権利はないの。だからたとえ歳の差があっても、同性同士でも、不釣り合いに見えても、他人からしたらありえないと否定されるような何かがあっても、当人が本気である以上は、その愛をなかったことにしていい理由なんてないはずよ。そうやってすべての愛が等しく尊重される優しい世界が、きっとあると思うわ」
「でも、自分は良かれと思って想いを打ち明けても、それが相手の常識や価値観からズレてたら否定されて即刻終わりますよね?もしそのズレが相手にとって最高にありえない非常識だったら、以後永遠に嫌われますよね?」
「あら、弱音なんて珍しいじゃない」
「弱音じゃないです。リスクヘッジです」
「なるほど。あのね、ライ君。あなたをそこまで本気にさせた人だもの、常識外れだからってあなたを否定するような人じゃないでしょう?きっとあなたの気持ちを全力で受け止めて、本心で向き合ってくれる人だと、そう思わない?」
「……そう、ですね」
「それにね、永遠なんてないわよ。今日嫌いだって思われても、明日も明後日も来年も嫌いかはその人が決めること。永遠は過去を振り返った時にようやくわかるものだと思うし、私達には今しか見えない。だけど2人の永遠を掴むには、まずは始めるところからよね」
「始める……」
「そう。始めるには相当悩むだろうし、かなりの勇気が必要かもしれないから、納得するまでじっくり時間をとることをお勧めするわ。そして始まりは、終わることへの覚悟ができた証だからね。結果は気にせず、始めると決めた自分に自信もって伝えなさい」
「なるほど。なんだか勇気湧いてきました」
「よかった。それにあれよライ君。尊敬もできて好きだと想える相手に出会えるなんて、そうそうある話じゃないわ。あなたの言葉を借りるなら、むしろ奇跡。おめでとうの言葉を贈るわ」
「っ?!あ、ありがとうございます?!」
言い終わらないうちに彼のスマホの着信音が鳴り響き、すみませんと一言断りを入れてから応答した。短い会話の後、あらためて謝罪しながら彼は言った。
「上司に早く帰ってこいって急かされました。ついでになぜか夕食に誘われました」
ライ君、笑顔が隠しきれてないわよ。
「引き止めちゃってごめんなさいね。お詫びに花束をプレゼントしたいから、もう少しだけ待ってもらえるかしら?」
「はい!あ、これが世に言う“3分間待ってやる”ってやつですね!」
「んっふふ。ライ君のそういうとこ好きだけど、色んなものに抵触しそうだから気をつけなさいね?」
「はあい」
いつもの調子を取り戻した様子に安堵しながら、いつも以上にスピーディに花束を仕上げ、3分以内に手渡すことができた。彼はこのまま職場に戻るということなので、片手に収まる極々小ぶりの花束に仕上げた。
「綺麗な花ですね。小さなひまわりみたい」
「サンビタリアってお花で、ちょうど今日お店に入ったの。その鮮やかな黄色が元気をくれる感じがして好きなのよね。本当は鉢植え向きなんだけど、まあいいでしょう」
「ありがとうございます。花束もらうなんて、いつぶりだろう」
「フフフ。さあ行った行った。上司が待ってるんでしょう?花束はあれね、見知らぬおばさんに道を聞かれてお礼にもらったとか、適当に言っておいたらいいわよ」
「はい。変なおじさんに足止め食らったって誤魔化します」
「おばさんとお呼びっ」
「えへへ〜」
「ともかく!ライ君。何にも遠慮せず、法や倫理に反しない範囲でめいっぱい楽しみなさいね」
「法って。自分を誰だと思ってるんですか」
彼は自信たっぷりの笑顔を浮かべた。そこにははっきりと、覚悟が潜んでいた。
「この近くには今後も調査に来ると思うので、またその時に。ありがとうございました」
「ええ。気をつけて行くのよ」
「はいっ!じゃあまた!」
自分は変わり者だ。前々からそう思っていた。別にそれでいいと思っていたし、何を言われても気にならなかった。だけど大事にしたい人に出会った時、それが変わった。世間に、というより、その人に嫌われたくなくて普通を演じようとした。けれど相手は、自分が自分らしくあることを歓迎してくれた。言葉にせずとも、それがわかった。
今の「正しい」が明日も正しいかはわからない。今隣にいるあなたが、明日も隣にいてくれるかさえ、わからない。
だけど、始めなければ、永遠はこない。だから永遠を迎えに行くために、自分は始める。あなたとの永遠を掴むために、自分は始める。
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サンビタリア
(科・属)キク科・サンビタリア属
(花言葉)愛の始まり
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