第2話 おともだち
文字数 4,712文字
ここは、とある商店街にひっそりと佇む小さな花屋。天気のいい日でも、その店内は薄暗く妖しげ。それでいて、ふんだんに魅惑の香りを漂わせる。営業日が店主の気まぐれで決まるその場所は、望む者の前にだけ姿を現す秘密の花園。
***
「こんにちはー」
少年の明るい声が店内に響き渡る。背中のランドセルを揺らしながら、指折り10秒待っても返事はない。午後の三時だというのに、黒い遮光カーテンのせいで薄暗い店内。そんな妖しげな雰囲気にも動じず、彼はためらいなく足を踏み入れた。
「うわっ」
突然灯ったオレンジ色のライトに驚き、とっさにあたりを見回す。身長110センチの彼が見上げるその世界は、花の宇宙だった。満天の空のようにひしめく色あざやかな花々がとても綺麗だった。そしてその空間に一目惚れしていた。
「あら、珍しいお客様ね」
どこからともなく湧いた声に、また肩が震える。
「こっちいらっしゃい」
声の主は見えないが、奥の方から少年を誘う。彼は冒険家になった気分で、あふれんばかりの花々に縁取られた通路を進み、突き当りの黒いカウンターまで辿り着く。カウンター内には、黒シャツに黒エプロンをまとった人が佇んでいた。
(やっぱり、みんなの言っていたことは本当かもしれない)
黒い人から1メートルほどの距離を置いて、彼は言った。
「すみません、ここは魔女の家ですか?」
「え?」
予想の斜め上をいく質問だったらしく、黒い人は笑いをこらえながら答えた。
「君には、私が魔女に見えるのかしら?」
その声質を聞き、少年はあからさまに首をかしげる。見た目は女の人っぽい柔らかさがあるのに、声は男の人。いま初めて体験する出会いに戸惑っているのが見てとれた。
「お、お姉さん?それとも、お兄さん?」
「お姉さんでいいわよ」
「じゃあ、お姉さんは魔女ですか?」
「フフフ。どうかしら。その目でじっくり確かめてみたらどう、小さな冒険家さん。いまジュースを持ってくるから、座って待ってて?」
そう言い残して、黒い人は扉の向こうへと姿を消した。
(あの向こうには何があるのだろう。もしかして、秘密の工房かな)
恐怖より好奇心が圧倒的に勝り、彼はランドセルを背負ったまま、ひとつだけ置かれたカウンターチェアによじ登る。そしてそこへ、オレンジジュースの入ったグラスを手に黒い人が戻ってきた。
「はいどうぞ」
差し出されたグラスをジッと見つめたまま、少年の動きが止まる。
「毒は入ってないから安心して」
「あ、はい」
「あらちょっと。まずはランドセル下ろしたら?重いでしょう」
言われるがままランドセルを下ろし床に置こうとすると、黒い人がそれを止め、カウンターの上に置かせてくれた。動きやすくなった手を伸ばし、ゆっくりとオレンジジュースに口をつける。甘めで好みの味だった。
「君、お名前は?」
「セノト・ユウです」
「そう、ユウ君ね。何年生?」
「2年生」
「ふうん。学校は楽しい?」
「うーん、どうだろう。でも国語は楽しいです」
「そうなの、いいことじゃない。漢字とか覚えるの早そうね」
「うん、得意」
「やっぱりね」
「あの、今のは魔法ですか?」
突如として魔法の話題に立ち返り、黒い人はにやけながら次を続けた。
「どうしてそう思うの?」
「初めて会うのに、僕の得意なこと当てたから、僕の頭の中を魔法でのぞいたのかと思って」
「フフフ。バレちゃったわね」
途端に少年は目を輝かせる。
「やっぱり!他にはどんな魔法が使えるの?」
「あら。欲張りはダメよ、ユウ君。また当てられたら教えてあげる」
「はあい」
秘密にされると余計に気になるようで、彼はカウンターに頬杖をつき、喜びと好奇心を織り交ぜた視線で”魔女”を観察していた。
「そうだユウ君。ここに来た時、魔女の家ですかって聞いたわね。どうしてそう思ったの?」
「えっとね、友達のリン君がそう言ってた。調べてきてって言われたの」
「そうだったの。せっかくならリン君も一緒にくればよかったのにね」
「ひとりで行ってきてって言われた」
「あら、ずいぶんと冷たいじゃない。あなた達、お友達なんでしょう?」
「どうかな。僕、先月に引っ越してきたばかりだから、まだよくわかんない」
「あらあら。つまりユウ君は、お友達がどういう人のことか、わからないってことね?」
「うーん。お友達っていうのは……。リン君はね、僕を頼ってくれるんだ。鉛筆貸してとか、宿題見せてとか、今日のこれとか。リン君のお願いを聞いて、リン君が喜んでくれるなら、僕は嬉しい。ねえお姉さん。これは、お友達ってことなのかな?」
「そうねえ。ユウ君がそれをしていて楽しいなら、そのリン君といて楽しいのなら、本当のお友達なんじゃないかしら」
彼は
「やっぱり、よくわからない。あのね、引っ越す前の学校には、仲良しのお友達がいっぱいいたよ。でも、みんなと遠くなっちゃったから、誰とも会えない。また会おうねって約束してくれた友達にお手紙出したけど返事こないし。だからきっと、もうみんな僕のこと忘れてる。だから、だから……」
彼はじっと涙を飲んで、言葉を続けた。
「だから、本当のお友達なんてどこにもいないんだよ。ずっと仲良しの約束なんかない。いつかみんな、僕をひとりにするんだ。お母さんも先生も、新しい学校で新しいお友達をたくさん作らなきゃねって言ってる。だけど今度もまた、すぐにお友達じゃなくなるかもしれない。僕のことなんか、すぐ忘れちゃうかもしれないんだ。そんなのもうやだよ」
その瞳の中には、「友達」を信じたい希望と信じきれない寂しさとがごちゃ混ぜになっていた。
「ねえお姉さん。友達がずっと友達でいてくれる魔法はないの?」
「お姉さんの魔法はね、人の心は操れないの」
「……そうだよね。お姉さんは優しい魔女だもんね」
「あらありがとう。じゃあ、お礼にいいこと教えてあげる」
「いいことって?」
「友達っていうのはね、相手に頼りきりにはならない。だから、ユウ君に頼りたいだけの人や、ユウ君から何かをもらってばかりの人は、あなたに合う友達じゃないわ」
「そっか。そしたら、ずっと一緒にいてくれるお友達はどうやって作ったらいいの?僕、お友達の作り方忘れちゃった」
「ユウ君、実はね、お友達は頑張って“作る”ものじゃない。時間をかけて“できる”ものなの。たくさんおしゃべりをしながら、相手の良いところも悪いところも知り、受け入れ合うことで、一緒に過ごす時間がどんどん楽しめるようになっていく。そして次第に、当たり前にあなたのそばを選んでくれるようになるのよ。たとえ距離が離れても、しばらく会えなくても、そんなの気にせず手を差し伸べてくれるのが、本当のお友達。それとね、ユウ君にお願いばかりしたり、何か理由がないとユウ君のそばにいてくれない人は他人も同然。ただの寂しがりやさんね。そんな人にはぬいぐるみでもあげて、さよならしちゃいなさいな」
「うん。そっかあ。お姉さんはなんでも知ってるんだね」
「フフフ」
黒い人は少し屈み、小声で告げる。
「いま言ったことは、魔女の秘密の書に書かれてることなの。だから、みんなには内緒よ?」
「そうなの?!わかった、秘密にする!」
言いながら、彼はまた微笑みを取り戻した。
「それじゃあ、ユウ君に花束のプレゼントを準備するわね」
「花束?なんで?」
「ここはね、魔女のお家であることを隠すために、お花屋さんをやってるのよ」
「へえ。あ、これも秘密?」
「もちろん。2人だけの秘密よ」
「うん」
黒い人はカウンター下から個包装のチョコチップクッキーを取り出して手渡し、柔らかい笑みを残して花の宇宙の中へと姿を消した。ユウ君はクッキーを1枚頬張り、ランドセルを開けてクリアファイルを取り出す。その中には図工の時間に作った折り紙が丁寧に入れてあった。クッキーの2枚目も食べ終えて、指に付いた食べカスをズボンで拭こうとした瞬間、黒い人の声がそれを止めた。
「ユウくーん。ちょっと待って、ウェットティッシュ出すから」
切り花を片手にいそいそとカウンター内に戻り、カウンター下からウェットティッシュを取り出した。
「この中にはなんでもあるんだね」
「まあね」
彼女は壁面にある棚から包装紙やリボンを取り出す。そして花束が完成するまでの全工程を、幼い瞳が見守っていた。
「どうぞ」
ユウ君の小さな手にぴったりな、小ぶりの花束。丸みを帯びた花弁と独特の青色が印象的な花だった。
「見たことない。これ、なんていう花?」
「ワスレナグサよ」
「へえ、きれい。これプレゼントにしていい?」
「お母さんにでもあげるの?」
「ううん、違う。3つ隣の家に住んでる、ヒロト君にあげたいんだ。ほんとは今日一緒に帰ろうって言ってくれたのに、ここ来るために断っちゃったから。お家に謝りに行って、明日一緒に帰ろうって、聞いてみる」
「そうなの。それはユウ君のだから、好きにしていいのよ。あ、そうだ。ちょっと待ってて」
彼女は急ぎ足で花の中に潜り、一瞬で戻って、先ほどの花束と全く同じものを作り上げた。
「それがユウ君の分で、こっちはヒロト君の分。これでお揃いよ。それとね、きっと一緒に帰れるように、2つとも特別な魔法をかけておいたから」
「ありがとう。やっぱりお姉さんは優しい魔女だよ」
満面の笑みを浮かべ嬉しそうに花束を抱える姿は、彼女いわく「天使」だった。
「あのね、お礼にこれあげる」
彼はクリアファイルから折り紙を取り出す。
「可愛いチューリップね。嬉しい、大切にするわ」
手渡されたのは、黄緑色の花に緑色の葉が糊付けされたチューリップ。うっすらと見える折り直しの跡すら愛おしく見える。
「それじゃあユウ君、そろそろヒロト君ちに行かなきゃね」
うん、と元気よく返事をしたものの、花束を両手に抱えたままカウンターチェアの降り方がわからなくなったようで、キョロキョロと床を見回している。見かねた彼女が笑いながらカウンターを出て、彼をチェアから降ろし、ランドセルを背負わせるのだった。
「また来るね。あ、ここのお店の名前は?」
彼女は膝をついて視線を合わせてから答えた。
「セラムよ」
「お姉さんのお名前は?」
「私はアレクシス。ここの店主なの」
「あれ、し?」
「フフフ。ア・レ・ク・シ・ス」
「アレクシスさん。覚えたよ」
「ええ。このお店は閉まってることも多いけど、ユウ君が来てくれたらすぐ開けるわね。今度はヒロト君も誘うといいわ」
「うん、そうする。じゃあアレクシスさん、またね!」
「気をつけて行くのよ」
通路を駆けて行くその背中は、花束を早く渡したくて仕方がない様子を隠さなかった。
もしかしたら、ヒロト君は僕と帰ってくれないかもしれない。一度断ったから、僕のそばにいるのはイヤって言うかもしれない。だけど、今度こそ、本当のお友達が始まるかもしれないんだ。
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ワスレナグサ (勿忘草)
(科・属)ムラサキ科ワスレナグサ属
(花言葉)真実の友情
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