第3話 似顔絵

文字数 2,132文字

 半吉は拓乃助を伴って町中を縫うように歩いた。拓乃助はどこに連れて行かれるのか心配なのか、硬い表情ままはぐれないように付いて行く。
 浮世絵の版元の甲州屋の店前まで来ると、女将のお雪がちょうど店の中から出て来た。
「あら、半吉さん。今日は行商に来たんじゃないみたいだね」
 甲州屋は半吉の得意先だが、天秤棒を担いでいないのを見て、そう判断したようだ。
「頼み事がありやして」
「頼み事って、何だい?」
 半吉は後ろを振り返り、拓乃助を見た。
「おや、後ろのお武家さんは半吉さんの連れかい?」
 拓乃助は前に進み出て、半吉の横に並んだ。
「こちらは鈴坂藩の柚岡拓乃助さんでさ。」
 半吉に紹介され、お雪は「甲州屋の女将のお雪です」と名乗って頭を下げた。
「こんな所で立ち話も何だから、中にお入りください」
 お雪に促され、半吉と拓乃助は店の表から中に入った。お雪は二人を奥の座敷に案内し、拓乃助を上座に座らせると、自分は下座に座った。
 お雪は半吉に訊く。
「頼み事って何だい?」
「拓乃助さんは出奔した兄さんを捜しているんでさ。アッシも探すのを手伝うことにしたんでやすが、兄さんの容姿を聞いてもいまいちよく分からね。そこで、兄さんの似顔絵があれば捜し易いと思やして、訪ねたって訳でさ」
 拓乃助は半吉の言葉を聞き、ここに連れて来られた理由を理解したようだ。
 お雪が確認するように訊き返す。
「拓乃助様からお兄様の特徴を訊き出して、似顔絵を描けってことかい?」
「その通りでさ」
「そういうことなら、眠々斎に描かせようかね」
「眠々斎がいるんでやすか?」
「旗本の落とし胤っていうのは、間違いだったんだってさ。幕府のお偉い方の屋敷を追い出されちまってね、それでまたここで働いているんだよ」
 眠々斎は甲州屋で働いていた浮世絵の絵師だったが、幕府重役が知人の旗本の隠し子だと眠々斎を騙して連れ出し、自分の屋敷に住まわせていた。幕府重役は眠々斎を将軍の影武者として使うために騙したのであったが、必要が無くなったので、追い出しなのだろう。
 お雪は座敷を一旦出て行き、直ぐに眠々斎を連れて戻って来た。座敷に入るなり、眠々斎は半吉の姿を目に留め、気の抜けた表情になった。
「なんや、半吉の頼みかいな」
 眠々斎は半吉の側に座ると、拓乃助に目をやった。
「こちらのお武家さんはどちらの方でっか?」
「鈴坂藩士の柚岡拓乃助と申します」
 拓乃助は軽く上体を前に倒した。
 拓乃助は何か言いそうになったが、半吉が拓乃助を差し置き、眠々斎に訊く。
「拓乃助さんの兄さんの似顔絵を描いてもらいてえ。描いてもらえるか?」
「人捜しのための似顔絵を描けってことは、女将さんから聞いてとる。頼まれれば描かんこともないけど、何で半吉が係わってるんや?」
 半吉は、拓乃助の兄の龍馬が家のために身を引いたこと、拓乃助やその母は申し訳なく思っていて龍馬を連れ戻そうとしていること、拓乃助は藩を代表して戦わなければならず、それまでに行方不明の龍馬を捜さなければならないこと、拓乃助から聞いた柚岡家の事情を話した。
「家督を継ぐために、兄弟で争うことも珍しくねえっていうのによ、龍馬さんは家のために家督を譲り、拓乃助さんや継母は連れ戻そうとしてるんだぜ、泣けてくるじゃねえか。そんな話を聞かせられりゃ、一肌脱ぐしかねえだろう。それで、アッシは龍馬さんを捜す手伝いをすることにしたのよ」
「半吉、お前はそんな殊勝な玉やあらへん。何か企んでいるやろう」
 眠々斎は疑いの目で半吉を見た。
「企みなんかありゃしねえ。ただよ、こんないい話、世間に知れりゃ評判になるに違いねえ。そうなりゃ、講談師や戯作者が黙っちゃいねえだろうよ。講談や芝居で『神田佐久間町の半吉は、困ってる者に黙って手を差し伸べる粋な男』って言われるかもしれねえな」
 半吉と眠々斎の会話を静かに聞いていたお雪が、口を開く。
「半吉さん、似顔絵を持って訊き回っても、埒が明かないよ。瓦版みたいに何枚も刷って配らなきゃ、到底試合までに探し出すなんて無理だよ」
「そうかもしれやせんが、銭が……」
「何言ってるんだい、タダで何枚でも刷らせてもらうよ」
「本当でやすか!」
「当然じゃないか。あっ、そうそう、戯作者が半吉さんの所へ来たら、私のことも言っておいておくれよ」
「分かってまさあ」
「『甲州屋の女将のお雪は、美人なだけじゃねえ、情け深くて気前のいい女』なんて、芝居の台詞で言われちまうのかね……」
 お雪はにやけながら立ち上がった。
「そうと決まれば、早速始めなけりゃならないね。他の絵師を連れて来るから、待ってておくれよ」
 座敷から出ようとするお雪を、眠々斎がつかんで止める。
「女将さん、似顔絵はわてが描くよって」
「あら、ハッキリしないから、眠々斎は断ると思ってたよ。描くのかい?」
「わてだって、困ってるもんを見捨てるようなことはできやしまへん」
 眠々斎は半吉の方を向く。
「わてのことも戯作者に話すのを忘れんでおいてや」
「任せておけってもんよ」
「『上方でおなご達に付きまとわれて江戸へ逃げて来た眠々斎、人情味のある色男』って書かれるんやろうか……」
 眠々斎はニヤニヤしながら「紙と筆を取ってくるよって」と言い、座敷を出て行った。
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