第4話 チーム・イエス、発足す(後編)

文字数 5,475文字

 夕食をごちそうになったあと、俺はアンデレとの約束通りに語り合った。
 ベドサイダーズは普段、海女さんを生業としているという。そんな彼女たちが何故アイドルを目指しているのかというと、DAIOHプロやその提携先が排出しているアイドルたちを見て「これじゃねえ」と思っていた俺と同じ理由らしい。
 彼女たちは「学がないから、こんなことを主張することすら本当は恥ずかしい」と申し訳なさそうに笑っていたが、幼いころから歌や踊り、詩をしたためることに親しんでいたという。だからそういうことについての審美眼はあるのだろう、彼女たちは芸能界を席巻するアイドルたちを見て「それってもっと楽しいものなんじゃないの? 愛の篭ったものなんじゃないの?」とモヤモヤしていたのだそうだ。


「だから、本当の〈愛〉を少しでも伝えていけたらなと思いまして。それでヨハネ先生に師事しているんです」

「なんかさあ、あいつら、すごく表面的にはいいこと言ってるけどさ。こう、心の奥底にガツンとくるほどじゃあないんだよなあ。しかもびっくりしたのが、今もチャートにインし続けてるあの曲!」


 姉の言葉を引き継いで表情をコロコロと変えながら話していたアンデレの顔が、苦味一色となった。それもそのはず、件の曲というのは前半で愛を謳いながら、サビに入ったら『神様も仰ってるの。あれは罪人。あれは罪人』と貧乏人や多忙でどうしても休みがとれない人、果ては重病人までをも否定するというとんでもないものなのだ。俺もその歌を初めて聞いたときは矛盾を感じ、悩みに悩んだものだった。アンデレも同じだったようで、彼女は首をひねりながら不満げにこぼした。


「あれさあ、『神様、マジでそんなこと言ってんのかよ。本当だったら、オレ、もう神様が分かんないよ。神様の本当の考え、知りたいよ』って思ったよね。どっかのお偉いさんが自分たちのいいようにしたいから、勝手に言ってるだけだよな?」

「人それぞれに事情があるんだし、お天道さまに顔向けできないようなことをしているんじゃなかったら、罪人呼ばわりされるいわれはないよなあ。どうして分け合う・支え合うという方向にいかずに『あれは悪だ!』のひと言で済ますんだろうな。メッセージ的にもいいとは思えないし、パフォーマンスの仕方や演出もちょっと品がないっていうか――」


 アンデレと俺は、そのまま熱く〈アイドルとは何か〉〈アイドルが伝えていくにふさわしいメッセージは何か〉などについて語り合った。シモンは合いの手を入れる要領で話に加わっていたのだが、いつの間にやら会話に入ってこなくなった。
 稲妻のような力強さでアンデレから次々と話を振られていたので、俺はシモンのことを気にも留めていなかった。むしろ、存在自体、頭から抜け落ちていた。そのため、目の前の快活なオレっ娘と激論を交わして盛り上がっていた俺は、突如訪れたむっちりおっぱいの感触に「へあっ!?」と変な声を上げてしまった。
 ペットリとしなだれかかってきたシモンの瞳は熱を帯びて潤んでおり、トロンととろけていた。頬も上気して朱に染まっている。これは、男なら誰もがオイシイ勘違いを起こしてしまうこと間違いなしだろう。しかしそこは妹で慣れている俺である、軽やかに笑いながら「話し疲れたかな?」と紳士に対応した。すると、シモンがすりすりと頬ずりするように擦り寄りながら、ほうと甘ったるいため息をついた。


「さすがはヨシュア君。ヨハネ先生が救世主と認めただけあるわあ」

「あー、ごめんね、ヨシュアっち。姉ちゃんさ、感極まると抱きつくクセがあるんだよね」

「ああ、そうなんだ。――ほらほら、あまりそうやって抱きついたら、おじさん、勘違いしちゃうゾ。そろそろ離れなさい、ペットリトロンなペトロンちゃん」

「やだあ、もう! ヨシュア君があだ名付けてくれたー! 私たち、もう本当に本当の仲良しさんねー!」


 喜んで余計にぐりぐりと頭を擦り付けながら身を寄せてきた彼女に「はっはっはっ」と紳士笑いを返しながら、俺は彼女を俺から引き剥がすべく肩に手を回そうとした。そこでようやく、俺は旦那の存在を思い出した。身の毛がよだつような冷たい視線を一身に受けながらシモンをやんわりと遠ざけると、彼女はそのまま夫の元へと移動していった。
 夫は彼女が嬉しそうにただ今俺との間に発足したらしい〈アイドル同盟〉について語るのを笑顔で聞きながら、彼女が見ていない隙を突いて俺を睨んだ。それをたくさんの汗を掻きつつじっとりと見つめ返しながら、俺はぽつりと呟いた。


「よくアイドル活動できるな……。いろんな意味で難しいだろ、あれは……」

「あれで巌のように操が固いんだ。そこがウケてるんだよね、うちの姉ちゃん」


 アンデレがケロッとそのように返してきたのだが、それって彼女の活動を純粋に応援したいというよりは〈一切枕営業しないキャバ嬢を陥落させて組み敷きたい〉的なアレなのでは、うっかり人妻とイケナイことしたいというアレなのではと心配になった。だってこんな熱烈ハグ、されたらファンの皆様も勘違いなさるだろう。そりゃあ旦那さんも殺人ビームを投げてよこすわ……。――俺はなおもマイペースに〈同志を得たことの喜び〉を語り続けるシモンと、俺に因縁をつけてくるご主人を交互に見つめると深くため息をついた。



   **********



 翌日、俺は再度ヨハネ先生のもとを訪れて、先生に地方巡業のイロハや路上ライブのアレコレをご教授頂いた。勝手にライブを開催してしまうと土地の所有者さんや近隣に住まう方々に迷惑がかかってしまうし、それが公道であればお役所からも怒られてしまう。だから、あらかじめ使用許可をとる必要があるのだ。
 せっかくだから実際に申請を出してみてやり方を覚えようということになり、俺は先生に連れられてこの村の村長さんのもとを訪ねた。村長さんは俺のデビューに立ち会っていてパフォーマンスにも感動してくださっていたそうで、俺が申請書片手に「直近で空いている日はいつですか」と尋ねると興奮気味にこう返してきた。


「今やらないの? 今やらなかったらいつやるの? 今でしょ? 今やるんでしょ?」


 村長さんの粋なはからいで、あれよあれよという間に申請が受理され周辺住民にお知らせが周り、そして午後には初の単独路上ライブと相成った。湖畔を背景にライブが打てるだなんて、なんて贅沢なんだろうか。
 成果は上々で、ご婦人方は俺の美声にうっとり、旦那方は俺のキレッキレダンスに口笛ピューピューだった。ゲリラ的に行われたライブであるにもかかわらず、結構な人数のお客さんが見に来てくれた。俺はひとりひとりに握手をしながら、感謝を伝えて回った。すると、お客のひとりのアイドル通なおじさんがベドサイザーズを話題に出してきた。


「ヨハネ先生にお世話になっているのなら、もうあの姉妹には会ったかい?」

「ええ、昨日先生の事務所で初対面しまして。今日は今ごろ、漁に出ているはずですよ。姉のシモンさんは私のパフォーマンスを見たことがないので、今日いきなりライブを打ったと知ったら『見たかった』と残念がるだろうなあ」

「ああ、彼女たち、今日は漁に出ているの。だったらこの反対側でちょうどやってるはずだよ。せっかくだし、見に行ってみるかい? よかったら案内するよ」


 このアイドル通のおじさんは漁業協会の関係者らしく、結構顔が利くという。漁場までの道すがら、彼は「俺が計らっとくから、あっちでも一曲くらい披露したらいい」と豪快に笑った。
 場所を移動してまたプチライブを開くというのを聞きつけたのか、それとも海女さん姿のアイドル姉妹を見たい一心か、結構な人数が俺らと一緒に移動した。こんな大人数でわいわいと楽しく移動するのは、社員たちとの親睦会以来だった。――みんな、元気かなあ。早く有名になって、故郷に錦飾りたいなあ。

 湖畔の反対側には漁をするための小さな港が整備されており、遠くのほうに小さなボートが一隻ぽかんと浮いていた。すでに帰港していた猟師のみなさんによると、今日は不漁も不漁で全く魚が捕れないので漁は中止だという。


「今日はというよりも、最近ずっと続いてるんだよ。商売上がったりで、困っちまうったら」


 困り顔で頭を掻く漁師さんの背後では、遠くに浮いていたはずのボートが帰ってきて波止場に繋ぎ止められているところだった。そのボートには海女さんたちが乗っていたらしく、ボートから降りた海女さんたちが疲れた表情でトボトボとこちらに向かって歩いてきていた。その集団から元気よく「あっ」と声が上がったかと思うと、アンデレがシモンの手を引いて弾丸のごとく飛び出してきた。――この世界の海女さんは何故かスク水スタイルが基本なのだが、例に漏れず姉妹もスク水姿だった。つるぺた元気っ娘と、心なしかR18感漂う〈布に抑圧されたボインボイン〉に、周囲の男性陣が歓喜した。


「何でヨシュアっちがここにいるんだ? 先生のところに行ったんじゃなかったのか?」

「それが、そのままゲリラ的にライブすることになって、漁場の関係者の方がちょうど見に来てくださってたから、その縁でここで一曲披露することに……」

「ええっ!? ヨシュア君のパフォーマンス、見れるの!? わあ、嬉しい!」


 妹と一緒にぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶシモンのぱっつぱつの胸元を、周囲の男性陣が食い入るように見つめた。シモンの旦那さんも組合の人らしく、少し離れたところから殺気を放っていた。が、誰もそれに気づいているものはいなかった。俺は苦笑いを浮かべると、漂うむっつり臭を払拭するように咳払いをひとつして、さっそくパフォーマンスを披露した。
 不漁続きでお疲れの漁師さんたちを癒やしたい。――その思いを込めて、俺は丁寧に〈愛〉を歌い上げた。聴衆のアンコールを受けて、俺はもう二曲ほど歌った。さらに調子に乗った俺は、満面の笑みで周りを見渡して言った。


「ありがとうございます! ありがとうございます!! 皆さんをこんなにも笑顔にすることができて、私は本当に幸せです! ――皆さん、知っていますか? 奇跡というものはですね、誰でも起こせるんですよ。だって、今こうやって、ここにいる全員の思いがひとつになっていることだって、奇跡のひとつなんですから。さあ、さらなる奇跡を起こしましょう。皆さんせーのでご一緒に……ハッレルーヤー!!」


 その場にいた全員が笑顔で、今日イチのいい声で揃ってハレルヤとコールした。とても幸せかつ、気持ちのよい瞬間だった。その直後、ドッと地鳴りがして湖の水が噴水のごとく吹き上がった。雨のように俺たちに降り注いだ湖の水は、空から落ちてくる途中で水しぶきから魚へと姿を変えた。


「うわあ! 奇跡だ! 本当に奇跡が起こったぞ!」

「あれだけ不漁で悩んでいたのに! ありがたい! ありがたい……!」


 大量の魚を前に狂喜した漁業組合の人々は、魚が傷まないようにと慌てて回収作業を開始した。最近の不漁を補ってもまだ余るほどの量だったそうで、このまま海鮮バーベキューに洒落込もうということになった。さらに、ご相伴に預かれることになった聴衆の面々は「家族を呼んできてもいいか」と組合員に確認すると、喜び勇んで村へと戻っていった。
 その一部始終をぽかんと惚けて見つめていたシモンは、ふるふると小さく震えていた。そして心配そうに顔を覗き込んできた妹に目もくれることなく小さく呟いた。


「こんな素晴らしいパフォーマンス、見たこともない……。聴衆も、あんなに心をひとつにして……」

「な? ヨシュアっち、めっちゃすげえだろ!?」


 ホッと安堵しつつ笑顔を浮かべてアンデレがそう返すと、シモンは拳を握り込んだ。そして大きく頷きながら「決めた!」と大声を上げた。


「一体全体、何を決めたんだよ、姉ちゃん」

「私たち、今日でアイドル目指すのは止めにするわよ!」

「ええええええ!? 何でだよ! どうして!?」


 シモンの突然の決断に、アンデレだけでなく周りにいた彼女たちの同僚や支援者も動揺した。シモンはそれを気にすることなく、何か吹っ切れたような、朗らかな笑顔で言った。


「私たちが目指していたものは、まさにヨシュア君が体現しているじゃない。だったら、私たちもそれを追いかけていくよりは、〈運営スタッフ〉としてヨシュア君を支えていくほうがよりいっそう〈私たちの夢〉を叶えていける気がするのよ」

「……うん、そうだな。姉ちゃんの言う通りな気がするよ!」


 姉妹は俺に提案をすることもなく、俺に意見を聞いてみようとすることもなく、お得意の落雷のような素早さと〈思いつきで即行動〉で、俺のライブ運営のスタッフになると決めてしまったようだ。俺は困惑しつつも「本当に、それでいいの?」と彼女たちに尋ねた。すると彼女たちはその場に正座をし、俺を見上げると真剣な眼差しで地に指を突いた。


「私たちは本気よ、ヨシュア君。――いえ、救世主(メシア)様。どうか、私たちの偶像(アイドル)になってください!」


 こうして、俺の〈イベント運営チーム・イエス〉は発足した。俺たちの伝説は、今まさに始まったのであった。
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