第1話 新星、またたく(後編)

文字数 2,673文字

 その日の夜、俺は夢にうなされた。うなされたと言っても、悪夢ではない。大地揺れ海が割れという激しい夢だったのだが、その力の源はあふれんばかりの愛だった。迫りくるラブに追われるように夢から覚めた俺は、そのままの勢いで紙に何かを書きなぐった。
 できあがったそれを見て、俺は訝しげに首を捻った。


「なんだこれは……。ラブソングか何かか……? もしくは、何らかのメッセージか……? しかも、誰か特定個人に宛ててというよりも、人類全てに向けて的な……」


 次の夜、俺はまた夢にうなされた。竜巻が山を吹き上げていき、直後その山が噴火するという夢だった。力強く空へと登っていった突風も、山から爆発的に流れ出た溶岩や煙も、全てが愛の化身であった。昨夜と同じく飛び起きた俺は、今度は猛烈な勢いで何やらメロディーめいたものを書きなぐった。
 次の夜も、そのまた次の夜も、俺はとめどなくあふれるラブに突き動かされて作詞作曲をした。ある程度楽曲ができあがってくると、次第に歌って踊りたくなってきた。家族が寝静まってから、夜な夜な歌や踊りに励むというのが俺の日課となった。

 〈あくる朝は三十二歳の誕生日〉という夜も、俺は普段と変わらぬ夜を過ごしていた。つまり、家族にバレないようこっそりと踊り狂っていた。ノリにノッてターンを決めながら「悔い改めよ、悔い改めよ」と歌っていると、ギイと扉の開く音がした。ハッと声を呑んでそちらのほうへと視線をやると、母とバッチリ目が合った。母は〈私は何も見ていない〉というかのような穏やかな笑みを浮かべると、そっと扉を閉めた。


「待って、母さん! ちょっと待って!」


 何事もなかったかのように自室へと戻ろうとしていた母を何とか呼び止めると、俺は母に近寄り手首を引っ掴んで強引に部屋に連れ込んだ。兄弟たちが起きてきていないことを確認し、きっちりと扉を閉めると、俺はゆっくりと振り返って母を見た。母は〈大丈夫、お母さんはちゃんと分かってるからね〉と言わんばかりの慈愛に満ちた笑みを浮かべていたのだが……。――ごめん、今の俺には、その笑顔と視線がむちゃくちゃ痛いんだけど!?
 案の定、母は俺の予想通り「大丈夫、分かってるからね」と(のたま)った。大量の脂汗を額に浮かせたまま俺が何も言えずに押し黙っていると、母はフウと深く息をついてポツリと言った。


「〈ヘロデPの大量虐殺事件〉、あんたも学校で習って知ってるでしょう?」


 ある年、夜空に不思議な星がまたたいた。目撃したものは誰しも〈新しい(アイドル)の誕生〉を感じ祝福の祈りを捧げたのだが、ヘロデPだけは違った。彼は「この国も芸能界も、全部アタシのものよ! それは未来永劫変わらないんだからッ!」と憤り、アイドルの卵を残らず粛清した。以来、ヘロデP亡きあともDAIOHプロダクションが幅を利かせ、アイドル活動をしたくばDAIOHプロダクションもしくは提携事務所に所属し、ヘロデPの遺した〈アイドルの掟〉を守るということが大前提となった。――これが〈ヘロデPの大量虐殺事件〉である。
 俺は目を瞬かせると、首を傾げた。


「それが一体、どうしたっていうんだよ?」

「あの星がまたたいた夜、母さんは不思議体験をしたのよ。えらいイケメンな人が突然目の前に現れてね、『あなたは神の子を身ごもった』と言ったのよ」

「はい……?」


 思わず、俺は眉間にしわを寄せた。そんなことなど気にもとめず、母は虚空をぼんやりと見つめるとマイペースに語り始めた。それによると、TENKAIプロダクションのマネージャーを名乗るイケメンは、結婚前の母に「お腹の子は、歴史に名を残すアイドルになる。だからその子を守るために、遠い国に逃げなさい」と言ったという。母はもちろんのこと、婚約者であった父もそんな話を聞かされて驚き戸惑ったという。しかし最終的にふたりはイケメンを信じて、ヘロデPが亡くなるまで外国ぐらしをしたのだとか。
 母は昔を懐かしむようにフッと笑うと、ゆったりとした口調で続けた。


「父さんとは清いお付き合いをしていたし、私が浮気するような女じゃないというのも、誰かに乱暴されたということもないというのも、周りのみんなが知っていたことだから。だから処女の私が『妊娠したから、しばらく外国暮らしをする』なんて言ったら『マリアちゃんはちょっと天然入ってるとは思っていたけど、まさかそんな夢まで見るように……?』って憐れまれたっけ」

「オゥ、ジーザス!」


 俺は額に勢い良く手をあてがうと、声をひっくり返して思わずそう叫んだ。――俺、この話、知ってるよ! ちょっと内容は違うけれど、前世の学生時代の世界史の授業で似たようなことを習ったよ! 処女のまま神の子を身ごもったマリアって、キリストの母・マリアじゃん! ということは、何、俺、正真正銘神の子なわけ? じゃあ、授けられたスキルって水をぶどう酒に変えたり、石ころをパンに変えたりできるっていう〈神の子の奇跡〉ってやつ!? それって最強スキルじゃないか! むしろ存在からしてチートじゃないか!! いやでも、待てよ。俺が救世主(メシア)ってことは、最後は磔にされて死ぬってことだよな? 槍で脇腹刺されたりしてさ。……脇腹、すごい痛いんだよなあ。死ぬほど痛いっていうか、実際それで死んだしなあ。
 俺は心中であれこれと捲し立てながら、きりきりと痛んできた左脇腹を抑えて顔を青ざめさせた。すると、母が心配そうな表情を浮かべて俺の頬を軽く叩いてきた。


「ちょっと、ヨシュア、大丈夫? 母さんの話、どこまで聞いてた?」

「あっ、ごめん、ちょっと考えごとしてた」


 〈夢見がちの、可哀想なマリアちゃん〉の話のあとも、どうやら母は話し続けていたらしい。心なしか不服そうに頬を膨らませた母は、可愛らしく鼻を鳴らして「まあ、いいわ」と口を尖らせると、一転して優しげに微笑んだ。


「そういうことだから。ヨシュア、〈時は来たれり〉よ。あなたは選ばれし〈神の子〉。アイドルになるべき存在なのよ。だから、アイドルになりなさい」

「俺が、アイドル……?」


 死亡確定の神の子転生かよとか、いい年したおっさんが今さらアイドルを目指すとかどうなんだよとか、いろいろとツッコミどころは満載だった。しかし、このときの俺は心の中に美しい星がまたたいたのを感じ、〈アイドルになる〉という言葉に心踊らせることしかできなかったのだった。
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