3話 涙の裏側

文字数 2,936文字

淡い空色の中に、鶯の美声が響く。一年で一番好きな季節、春。穏やかな日差しが心地良いその日、家事を放り出してお花見に出かけることにした。心躍らせながら近くの桜並木を目指す道中、やわらかい風が頬を撫でていく。隣でスキップするぴよくんも、春が好きだという。

運がいいことに桜並木には僕らだけ。到着するなり、ぴよくんははらはらと舞う花弁を追いかけ始めた。その姿を微笑ましく思いながら見守りつつ、僕はゆったりと満開の桜を見上げる。

「懐かしいなあ」

「一年がそんなに長く感じられたのか?」

いつの間にか戻ってきていた彼は、集めた花弁を僕の手のひらに納めながらそう言った。

「いや、これは……」



「言いたくないなら言わないでいいぞ。ぴよは笑顔のふくが好きだからな」

「ありがとう。でも、ぴよくんには聞いておいて欲しいかも。ちょっと個人的な話になっちゃうんだけど、聞いてくれるかな、お兄ちゃん?」

「うむっ!もちろんだとも!」

そして僕らは桜の幹に背を預けて並んで座った。

「ぴよくん。僕はね、もともと死神だったんだ」

「うん、スゴイな。ふくは死神……うーん……うん?」

予想通り、彼は困惑の様相を呈した。でもそれは予想に反して“拒絶”の色をはらまず、一心に理解しようとする一方でなかなか咀嚼できないもどかしさゆえの困惑だった。そんな彼の優しさのおかげで、伝えたい言葉がすんなり浮かんでくる。

「僕は死神として鬼の形を得て、最期の刻を迎えた魂をこの世から冥界へと誘う案内人だった。時間の感覚を忘れてしまうほど、ずっと長く死神として存在し、数えきれないほどの魂を案内したよ。それが、閻魔(えんま)様からいただいたお役割であり、生きる理由だったからね。そしてあるとき、ひとりの女の子を迎えに行った。彼女は持病により、6歳という幼さでその日寿命を迎える運命だった。小さな病院の窓際のベッドの上で、彼女はひとりこう言ったよ。“綺麗な桜が見てみたかった”って。でも、窓の外の桜はまだ蕾のまま。あと一週間は待たないと、夢は叶わない。けれど運命がそれを許さない。普段なら人の夢など気にならないのに、そのときの僕は何故か迷って、最後の最後まで迷って、そしてその刻を目前にして、閻魔様の命令に逆らった。彼女の魂に触れず、寿命を伸ばしたんだ」


静かに息をつく僕の右手を、ぴよくんが両手で包んでくれた。


「彼女が夢を叶えた後、ちゃんと冥界に案内したよ。そして予想通り、寿命の改ざんが即座に明るみになって、僕は存在を抹消されることになった。寿命は、人の運命は、天界の神様が決めることで、そこに手を出すことはつまり神様への冒涜だからね。僕はその決定が当然の報いだと、素直に受け止めた。でも、神様は僕の行動を全て見ていらっしゃって、閻魔様を説得なさり、僕をこうして人のすぐそばに置き、新たに神様として守護の役割を与えてくださったんだ」

「うむ。前から思っていたが、ふくは優しいな。おかげでこうして一緒に綺麗な桜が観られるな」

「うん、でもどうだろう。こうして生き延びてはいるけれど、僕は死神としてのお役割を全うできなかった。絶対に揺らいではいけない場面で、死神としての僕を貫けなかった。だから……本当はこんなこと言っちゃいけないんだけど、僕のその失敗に対するお情けから、いまここに生かされているとしか思えないんだ」

「ふくがふく自身のことをどう思おうと、それはふくの自由だ。でもぴよは、それを失敗とは思わない。ふくはチャンスに恵まれたのだと思うぞ。その子に出会ったから、人がいかに幸せな夢を見るかがわかっただろう。神様になれたから、冥界とやらを出て、ここでこうしてぴよに会えただろう。それに、死神から神様に変われる鬼なんて他にいない。うむ、やっぱりふくは逸材だな。ぴよも兄として鼻が高いのだっ」

「ぴよくん……」

「それに、今の自分と全く違う過去の自分について話すのは、相当勇気がいっただろう。それも乗り越えて話してくれたこと、ぴよはすごく嬉しいぞ」

彼は笑顔でそう言った。笑顔で僕を、失敗した僕を、包み込んでくれた。僕は無性に泣きたくなって、必死に耐えた。けれど彼が「よしよし」と言いながら頭を優しく撫でるものだから、徐々に涙腺が緩み始める。

「ぴよも思い返してみたけれど、ふくのようにスゴイ経験はしたことがないのだ。ぴよはずっとぴよだから、過去の話となると“ぴよは生まれてぴよになりました”くらいで終わってしまう」

「……ッハハハハ。それはそれで、ぴよくんらしくていいね」

「そうか?うむっ!じゃあぴよはこれからもぴよらしく生きるぞ!」




僕は思う。涙を瞬時に笑いに変えられる存在も、他にはいないよ。ぴよくん。



***


別の日。お祈りの代わりに日課になった朝の散歩をしているとき。隣を歩くぴよくんは、空を飛ぶ鳥を静かに目で追っていた。

「そういえば、ぴよくんご家族はいるの?」

「うむ」

「早く鳥の姿に戻って会いたい?」

「会いたい気持ちは確かにある。でも、ふくをひとりにしたくない気持ちもある」

「ありがとう」

「ねえ、ふく」

「うん?」

「ふくは、鳥も冥界に案内してたのか?」

「ううん。鳥さんや獣たちの案内は別の鬼がしてたよ」

「そうか」

何かしらの事情がありそうだったので、僕は深読みせずに空を見上げた。けれど彼は特に隠したい訳ではなかったらしい。

「ぴよには、ぱぱぴよとままぴよと、妹のぴよひめがいる。でも、ぱぱぴよとままぴよは雷の日に光の向こうへ旅立った。だから、もしかしたらふくが案内してくれたのかもと、そう思っただけなのだ」

「そっか」

「うむ」

「もしできるなら、ぴよひめちゃんに会ってみたいな。きっとぴよくんみたいに素敵な鳥さんなんだろうね」

「ごめん。ひめには、会えない」

彼は歩みを止め、足元に視線を落とした。

「ひめは、人々に幸せを届けようと村の近くへ散歩に行ったきり、戻ってきていない。きっと、ひめを見つけた人と一緒に過ごしているのだ。きっとそうやって、明るく、元気に、幸せを振りまいているのだ。あの子はそういう優しい子だからな。ぴよは、そう信じているぞ」

そしてぴよくんは微笑んだ。気丈に、不安を追いやって、微笑んだ。

「ぴよは、人に幸運を運ぶ幸せの鳥だ。人を信じてる。でも……」

僕は堪らず彼を抱きしめた。

「……ひめに会いたい」





ぴよくんは出会った時からずっと笑顔で、泣いている姿など想像できない子だった。けれどそれは思い違い。

彼の笑顔の背景には、数えきれない涙がある。人知れず涙し、そこで味わった苦い経験と感情があるからこそ、相手の気持ちを理解する想像力と包容力を得て、どんな暗闇にも光を見つけ出す瞳を得たのだ。いまの優しい彼が在るのは、僕のような優しさを必要とする者の心がわかるからだ。



人にならなければ、鳥の君の言葉は理解できない。人にならなければ、君と手を繋げない。僕はきっと虹に救われた。この出会いに、優しい君に、救われたんだ。
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