第6話:佐野に子供と本田が中央夜学

文字数 2,671文字

 1984年10月10日、佐野の奥さんが近くの産婦人科病院に入院した。10月13日元気な女の赤ちゃんを出産し10月16日に退院した。その後、奥さんの実家に戻った。名前の玲子、佐野玲子と名付けた。そして吉村君は再度、企業への就職活動を始めて佐野の元を離れた。その代わりに本田喜一君が入り授業のある土、日、祭日の朝8時半から教室の長椅子、長机を並べ、雑巾でふき、掃除機でゴミを掃除して9時から授業を開始した。

 9時から10時、10時から11時、11時から12時で終了。その後、塾生が帰った頃に本田君のお母さんが冷蔵庫の中の食材を使い昼食を作ってもらい5から6人で長机、長椅子で昼食をたべて、講師達は帰り、机と椅子を1つ残し片付けた。本田君を採用したが、塾で教えられないから給料は12万でなくて10万円で十分と言うので月10万円で契約。その後、本田君が勉強をはじめ、佐野が無料で本田君の解らない所を教えてやった。

 そして梅雨、夏、秋、冬が過ぎ、本田君が中央大学経済学部の夜学を受験したいと話した。それは賢い選択だと言い、やがて1985年となった。1月に塾生の最終模擬試験をして3人が問題を抱えてることが解り、2人が精神的なことなので、座禅をさせたり、ストレッチ、深呼吸であがらないようにする方法を伝授すると楽になったと答えた。残り1人は、やる気が今ひとつで困り果て、この問題だけは、自分自身で解決しなければならないと説得した。

 やがて2月に入り3人が不合格で私立大学の受験にのぞみをつないだ。3月になり2人が不合格となった。やはり問題の3人だった。この時、やる気がない受験生に対しての対策が全くないことに佐野はふがいなさをしみじみと感じた。そして最終的に70人が合格して3人が不合格となった。グラマーで美人のケイトは1985年中央大学経済学部に合格した。お腹を壊した本田君は中央大学経済学部2部「夜間部」に合格した。

 その後、夜18時からの授業に欠かさずギア付きの自転車に乗って通った。本田君の合格が決まり、佐野に会いに来て、お礼を言い、育英会の奨学金を借りた事も話してくれた。もちろん塾は土日祭日の昼間なので働きながら夜学へ通った。しかし悩みがなくなってからは本田君は体調をこわすことが少なくなり、身体も一回り大きくなって逞しさが増した。そして1985年度も塾生募集のチラシ配りを積極的に行った。

 その結果、志望校合格率が90%を超してるのが評価されたのか、ついに102名の応募があり100人の大台を超えた。その後、5月連休前に106人になった。本田君が大学生になったので給料を10万円から12万円に増やした。その後、ケイトが佐野の所へ来て塾の講師に雇って欲しいと言ったので理由を聞くと父が厳しい人で子供に小遣いをくれず困っているので、喫茶店に自由に入れくらいの小遣いが欲しいと言い英語なら完璧だから良い講師になると思うわよと念を押した。

 仕方ないので了解すると、その話をケイトに話すと大喜びしてくれた。そして講師のアルバイト学生が全員、交代して彼らが自主的に次の後輩を捜してきてくれ、10人の新しいメンバーが揃った。そうして7月になると、本田君から、この家を出て相模湖町の県営団地の2DKが空いたので、そちらに引っ越したいと言われ、了解した。

 やがて夏休みが終わり9月になり特に大きな問題もなく1987年を迎えた。そして1月の最終模擬試験をして106人中、8人が問題を抱えてることが解った。3人がメンタルの問題で、その他5人のうち3人が英語、2人が数学の弱点が渡った。すると、ケイトが佐野に3人の英語の弱点を聞いて私が教えると言い3人を呼んで彼女は開口一番、英語は学問ではない単なる語学、覚えるだけよとハッパをかけた。

 問題用紙の英文を読ませて、すぐ紙を伏せ英文を話しなさいと言い、これを何回も繰り返し覚えた人から順に席に戻した。つまり特訓をして最後に残った男子生徒に、
「あんた金を稼ぐために勉強してるのよ遊びじゃないのよ」とハッパをかけた。この大きな声に佐野も本田君も生徒達も驚いた。30分位しごかれ、最後の男子生徒も解放された。その時、数学に問題を抱えた2人を佐野が教えていた。

 そして2月の受験シーズンを迎えて、2月終了時、志望校に不合格の生徒が10人いて、まいったな、今年は最先が悪いと佐野が心の中でつぶやいた。3月に終了して最終不合格者数が4人の102人が合格した。ケイトの特訓した3人は全員合格した。国公立の第一志望校に不合格だったのが10人いた。それでも最終合格率96%志望校合格率91%となった。そして今年から予備校の人数を100人を超えた時点で募集を中止し最大110人までにした。

 そして10人中5人が、彼らが捜してきた後輩学生と交代した。そしてケイトに本田君達が出て言ったので英会話教室が出来るようになったと言うと大学卒業後に使わせていただきたいと言われ了解した。そして今年もアルバイト学生全員で進学塾の塾生募集を各駅で1人2回、行い100人を超えた時に塾で待ってる佐野に電話をする事にしていた。そして100人集まった団塊で募集をすぐ止めた。その後、知名度が上がったのか、進学塾に直接12人来たので入学させた。

 その後、重複した人が3人いたの事が判明し、最終的に5月連休前に、1987年度109名の塾生が集まった。過去最高の数字に、佐野は十分満足した。

 一方、株投資の方では1987年4月14日に証券会社から電話が入り、ソニー株さげて、買い時ではないかと連絡があり120万円を追加送金し600万円とした。4月15日2600円で2千株を520万円で買い、口座の残高が80万円となり、佐野の資産は600万円となった。

 その後、何故かケイトが佐野に先生が株投資してるって本当と聞いたので誰に聞いたと聞くと笑いながら私、ボーイフレンドが多いから情報入手が早いのよといった。

 佐野が、瞬時に、この話は、本田君にしかしていないので聞くと本田君が素直に認めた。最近、ケイトに駅前の喫茶店に誘われて、佐野先生のことを根掘り葉掘り聞くので、今迄の出来事を全部話したと白状したようだ。そして最後にデートにも誘われたと、うれしそーに話した。それを聞いて、佐野が本田に、お前、ケイトのタイプなのかも知れないぞと言い、上手くやれよと、肩をたたいた。彼は照れくさそうに、応援して下さいと笑った。
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