第4話 それでもコンビニでは珈琲が売られてる

文字数 7,024文字

 ホワイトリリー社のモバイルバッテリーは薄っぺらくてやたら縦に長い。とはいえ、スロットから引き抜いてみるとゼリヤの大きな手にはすっぽり収まった。どの程度の容量があるものなのか、少し心許(こころもと)なくも思える。
「ほらこれ」
 振り返って、ぽんと差し出す。コンビニの中まで、ゼリヤの後ろを意外にも神妙についてきたノラが、キョトンとした顔でバッテリーを受け取った。
「そこのイートインスペースで充電してきな。それで、持ち出した商品はおれに渡せ」
「えっ……。う、うん」
 戸惑いを見せながらも、ノラは素直に言うとおりにした。菓子パンだのスナックだの紅茶のペットボトルだの。スカートの下のニッカポッカのポケットから、ぞろぞろと出てくるのはどれも他愛のない飲食物ばかりだ。
 両手ですべて受け取って、物の軽さにゼリヤは眉根を寄せた。一見してたいした値段でないとわかる。それで罪の意識が希薄になるなら、だからこそ看過できない状況である。
「これでぜんぶだな。間違いないな」
「うん」
 ゼリヤは(かかと)を軸に、くるりと身を翻してレジに向かった。
「じゃあ、とにかくまず精算してくっから。スマホが復活したらすぐ返せよ、そのバッテリー代も」
「バッテリーもかよ!」
「いや奢りのわけがねーだろ」
「ケチ。おっさん大人のくせにセコすぎ」
「ばっか野郎。万引きを反省して、(たか)りを覚えてどうすんだ」
 人付き合いに興味の薄いゼリヤは気前がいいほうではないのだが、いまは別に小銭ていどの金を惜しんだわけではない。この流れで金をを出して、妙な学習をされても困るからだ。
「まったく、子供の相手はやっかいだな」
 ゼリヤはつくづく、自分が誰かの保護者でなくて良かったと思えた。何かにつけ、見本にされたり学習されたりするなどたまったものではない。これを学べと教えたものだけ学んでくれるような、便利な思考は人間に搭載されてないのだから。
「さて、と」
 セルフレジのカウンターへ無造作に商品を下ろすと、短い労働を収めた左手を(ねぎら)って腰に置く。それから、空いた右手でフェイスマスクの上から顎のあたりを掻きつつ、ゼリヤは考えた。
 相変わらず、店内の電灯は消えている。ガラス張りの壁から日光が差し込んでいるので、たいして不便は感じないが、これが店が死んでる風な雰囲気を作っている。
 ゼリヤはちらりと斜め後ろのイートインスペースに目をやった。ノラが椅子に腰掛けて両肘をつき、暗いスマホ画面を眺めている。
「ふん」
 でも、バッテリー スタンドは生きていたわけだ。やはり停電などではない。ならばレジはどうだ。
 ゼリヤの指がタッチパネルに触れる。すると、じわりと波紋が広がるように画面は明るく点灯した。
(やっぱり()くか。なんなんだこれは)
 声が外に漏れないように、ぼやきめいた言葉を口の中でひっそりころがす。とにもかくにも、まずは精算だ。
 ゼリヤは慣れた手つきですばやくセルフレジを使った。
「うし」
 レジは難なくするする通る。嫌な予測は当たるものだ。この状態なら防犯カメラも生きているだろう。
「ま、ともかくさっさとね」
 一度、外に持ち出した商品を精算したって普通ならどうしようもない。しかしここは退避奨励域である。日本の首都も今は昔。もはや住人などほとんどいない廃都だ。この店がどういう体制で防犯対策を取っているかは知らないが、すぐに人間が踏み込んでくるようなことはあるまい。
 ルール上は許されないものの、相手は警察ではなく商業施設なのだ。後になって、すでに精算が完了した商品が途中で外に持ち出されたことを問題視して、わざわざ廃都に手を回して対応するのはあまりにコストが見合わない。
(ここはチェーン店だからマニュアルに則ってコストをかけてくるかも知らんが。ま、おれが経営者なら、せいぜいIDの記録を元に出入り禁止にするくらいだろ)
「あれ。そしたら割を食うのはおれか?」
 ゼリヤの手が、ちょっと止まった。それならビデオをいちからちゃんと見て、事情くらいは聞いてほしいのだが。
「あー…。首、突っ込むんじゃなかったかな」
 どうも、大人が大人の社会で大人をやるのは、どうしたって採算が合わないようだ。

「どうだー?」
 道路側に面したイートインスペースは、ガラスの壁から日光を受け入れて充分に明るかった。ノラは頬杖に頭を沈ませて、ひたすら液晶とにらめっこを続けていた。
「まだダメ。これどれくらいかかんの?」
「ふつうは数分もかかんないだろ。完全放電してたんでもなきゃ」
 復帰さえすれば電子マネーも使えるようになるわけで、ゼリヤにしてみればそれで良かった。満充電まで待ってやる義理はないのだからと、猫背をさらに折り曲げてスマホを覗きこんだ。ところが。
「まさかだろ」
 画面は本当にまだダメだった。満充電どころの話ではない。彼女のスマホは、どうやら完全放電(・・・・)してたらしい。
「どのくらい」
 ノラが念入りに聞き直す。
「さあ。三十分……くらいかな」
「ええ〜〜っ」
 ざらついた(わめ)き声を上げて、彼女は大きくのけ()った。
 ゼリヤは視線を斜め下に流して、小さく肩をすくめた。ノラの不平は、自分の代弁にもなっているように思えた。だからべつに腹も立たない。
(つーか、どちらかってえと腹が減ったな)
 こんな無為(むい)な時間がしばらく続くのかと思うと、急にわずかな空腹が気になり出す。
 ゼリヤは振り返り、あいかわらず薄暗い店内をぐるりと眺めた。それから、傍らのノラをちらりと見遣る。
(しょうがねぇな)
「えー…、なんか飲む?」
「え」
 のけ反った姿勢のままで、ノラは目をぱちくりさせる。ゼリヤが続けた。
「腹は」
 そう尋ねたとたん、絶妙なタイミングでノラの腹の虫がきゅう、と音を立てた。
 ノラは鼻の頭を赤らめ、跳ねるように上半身を起こす。そしてテーブルへ置かれた精算済みのお菓子たちを、がばりと腕で引き寄せた。  
「こ、これとかあるし」
「それはケチが付いた。ここではやめとけ」
「はい? 別になんも付いてないしっ」
「言葉の綾だ」
「でもだって、また払わせるんでしょ」
 ノラは目も合わせずに、上ずった声で被せてくる。そんなに恥じるものでもあるまいに。
「おれが勧めたんだから、おれが出すよ。パンとコーヒーでいいか?」
 するとノラが目を丸くしてこちらを見た。何もそんなに驚かなくても。どうやら相当せこい奴だと思われていたらしい。 
 とはいえ、たんに自分も食事を取りたかっただけで別に親切にしてるつもりはないのだが。けれどそれを言ったら返って面倒くさそうなので、ゼリヤは口にしなかった。
「じゃ、適当に買うからな」
 そう言い残して商品の陳列棚へ向かったゼリヤの背中へ、ふくれっ(つら)の小娘の声が放られた。
「カフェラテとチキンサンド!」
「はいはい」
 結構がっつり食う気のようだ。そこそこたくましいお嬢さんである。
 ゼリヤはまず奥にあるリーチイン冷蔵庫の前に立った。カフェラテだかカフェオレだか、それらしきペットボトルが目に入って取手に指をかける。
「うんっ」
 腕に抵抗だけが届いた。開かない。ロックがかかっている。
 ゼリヤは一度手元に視線を落とし、それから再び庫内を確認した。LED照明は消えている。外からの光でとりあえず見えているというだけだ。パッと見たところ鍵穴らしきものは見当たらず、おそらく電動式のロックだと思われた。照明は消え、ロックはかかっている。
「こりゃ、なんでまた」
 業務用冷蔵庫の仕様に詳しいわけではないが、どうにも奇妙で腑に落ちない。気にはなるものの、閉じられた扉をあまりいじるのは不審が過ぎる。
 もう一度、目を細めてリーチイン冷蔵庫を眺めると、ゼリヤは諦めてその場を離れた。
 次にショーケースでサンドイッチを手にする。お目当てのチキンサンドはひとつ残っていた。最近は訪れていなかったとはいえ、どうも品揃えが悪いように思える。1区は廃都であるものの、ここの店舗は宅配サービス業者の仕入れ拠点のひとつになっていたから、比較的商品の種類は多かったはずなのに。
「あれ」
 思考を古い記憶に飛ばしていたゼリヤを、視界に入った赤い蓋が引き戻した。筆文字みたいなロゴで“白い絹ぷりん”と印字されている。ゼリヤはその小さな容器を手に取った。
(これ、耀(あいつ)よく買ってたな。へえ、まだ売ってんだ)
 耀(アカル)は見た目にそぐわず大の甘党だった。キッチンは共用だったので、冷蔵庫にしょっちゅうスイーツが入っていたのを覚えている。たまにおこぼれに預かって、雑談しながら一緒に食べたりもしたものだ。
「そうだな、耀。そうだったな」
 ぽつり、低く呟く。それからすぐにゼリヤは顔を上げ、プリンをチキンサンドと一緒に持ってセルフレジで会計をすませた。
「あとはカフェラテか」
 今度はカウンターの脇へと移動した。コーヒーマシンのタッチパネルに触れると、青く点灯してメニューが表示された。こちらは会計が独立しているのだが、これもあっさりと使用できた。
「ドリンクの棚はロックされてたのに、コーヒーマシンは使えるのか」
 カップにカフェラテを注ぎながら、思考を巡らせる。やはり変だ。一貫性がない。
 しかし、それにしても。
(それにしても、何か、……なんだ?)
 何か重要なことを見落としている気がした。けれど、どうしても思い出せない。
 地下に潜っている9年の間に、遠くなってしまった感覚。地上で起こることは、すべてが遠い世界の出来事に思えて現実味がない。だから、忘れてしまう。当たり前のこと。当たり前だったことを。
(おれは、何を忘れている?)
 ゼリヤは長い前髪で隠れた左目の上から手を押し当てて、静かにゆっくり、深い記憶をたぐり出そうと試みる。
「おっさん!」
「いっ」
 完全に独りの思考へ潜りきっていたゼリヤは、不覚にも本気で驚いた。体温の高い聞かん坊が背後に迫るまで、その存在をすっかり無いものとしていたようだ。ゼリヤはほとんどの時間を自分の世界だけで生きてきたので脳の切り替えが器用過ぎて、ときどき現実を見失う。
「なんだ。すごい、すごいびっくりしたぞ」
 心臓の上に手を添え、目を丸くしてノラを見る。少女は腰に手の甲を当てて、すっかり呆れたというふうにゼリヤを下から()めつけていた。
「時間かかりすぎじゃない?」
「ああ、悪い。ちょっとな」
 我に返ったゼリヤは、言いながら、チキンサンドとプリンをノラの手へ乗せてやる。
「え、あ、ありがと」
 手の中のプリンを見つめるノラが、少し戸惑っている。
「おっと」
 見ると、コーヒーマシンはとっくに止まっていた。ゼリヤはマシンから紙コップを取り上げて、「ほら」とノラを席へと促した。
 するとノラは斜め前を歩きながら、じっとりとした目つきでゼリヤを見つめてきた。
「これで口説いてるつもりじゃないでしょうね」
「はい?」
「急に親切にしちゃって、アヤシいんだけど」
「……やっす」
「は? は!? おっさんが自分のご飯も買わないで突然サービスするから、ウサン臭いんでしょおっ」
 ゼリヤの漏らしたセリフを侮辱と受け取ったのか、ノラは髪を逆立てんばかりにキャンキャン吠えた。
「あー、そっか。おれの飯ね」
 どこ吹く風でゼリヤが呟く。発言に気遣いを入れる労力を使っていないだけで、特に相手を貶める意図はないのだ。そのせいで自分の評価が下がるのは当然なのだが、それも織り込み済みの怠惰なので損益はさして気にならなかった。
「ささかまぼこ……」
「は?」
「チーズと笹かまぼこ食いてえ。あとビール、なんか軽いやつ」
 考えごとをしているうちに、先ほど感じていた少々の空腹は消えてしまったらしい。代わりに一杯やりたい気分が沸いてきた。
 自宅で黙々とライター業をやっているゼリヤには、酒は夜に飲むものという生活サイクルがない。さほど酒量の多いほうではないが、体が時間帯にルールを設けるようにはなっていないのだ。
「昼間から未成年の横で晩酌はじめんなよ」
「急にまともなことを言うなよ。そこのモラルは崩壊しといてくれ」
「あたしは別に不良じゃないし」
「そう?」
 ゼリヤの視線がテーブルに置かれたお菓子たちに、ついと注がれる。
「ちょっ、これは! 電池切れてたんだから、しょうがないじゃん。このバッテリーだって前払いしないとだし、店員いないし」
 ノラが顔を紅潮させてがなる。若い子が興奮すると、一体どっから出てるんだというくらいの高音の大声になるのはなぜなのか。自分が出そうと思ったら、相当のエネルギーを消耗するだろう。たいしたものである。
「だからって、窃盗を免除する理由にはならんぜ」
「だって! 誰もいなかったし、どうしようもないじゃないっ」
 ゼリヤは横を向き、さりげなく左耳を塞いだ。
(あーあ……)
 余計なことを言ってしまった。もう精算は済ませたのだし、蒸し返す必要はなかったのだ。どうせ彼女とは、この日限りの縁である。表向き以外まで、教育してやる義理はない。
 ゼリヤはノアの喚きを右から左に聞き流して、こっそり視線だけ遊ばせた。道路側に面したイートインスペースのカウンターから見えるのは、外の景色かせいぜいが入り口付近くらいのものだった。残念なことに人通りのない廃都では、今さらゼリヤにとって特に目を引くものはない。どれもこれも、夜に買い物に出てた頃に見ていたものばかりだ。
 電源が切られて手動で半開きにされた自動ドアだけが、物珍しいといえばそうだ。観察したところで、別に面白くもないが。
「そうでしょ。店員どころか、人も、誰も!」
(ブザー……)
 ゼリヤは、ふいに思い出した。
(そうだ、店員がいたあのとき。出入り口でブザーが鳴ったよな)
 以前、夜のコンビニで未精算の商品を外に持ち出そうとした客がいた。ゼリヤは偶然そこに居合わせていた。そのことに気づけたのは、犯人が店を出かけたときに店中にブザーが響き渡ったからだ。
 ゼリヤはカウンターに右肘を置き、顎に手を添え、ゆっくりノラのほうへ首を回した。
 甲高く叫び続けていたノラは、急にゼリヤの視線を正面から受けて面食らった表情をみせた。
「あ、あんた以外、誰も……」
 ずるりと重い衣を剥がしたかのように、ノラの語気が弱まっていく。未熟な虚勢がもろもろと崩れ落ち、彼女はきまり悪げにうなだれた。力なく下げられた手は、初夏の日射しに晒されてなお白い。
 ゼリヤは、そのか細い指を見つめた。
(そういや、鳴らなかったな)
 彼女がコンビニを飛び出したとき、あのブザーは鳴らなかった。
(わざわざ防犯対策の電源まで落とすか? いや、出入り口を閉めていたから、不要だと思ったんだろうか。でもな……)
 多少の力は要るものの、あんな手動で開けられるドアである。防犯への信頼は無いに等しい。
(待てよ、そもそも自動ドアと連動していたシステムだったとか。だとしたら、他に——)
 やにわにゼリヤが顔を上げた。長い腕でカウンターを押して、ぐらりと肩を揺らせつつ椅子から立ち上がる。
「ノラ、おい」
「な、なに。って、だからその呼び方!」
 ノラもつられて腰を浮かす。
 お互いがお互いの顔を見て、各々の主張をすべく口を開きかけたときだ。
 人間の精神を裏側から掻きむしるような不快な電子音が、火柱のごとく眼下から立ちのぼった。
「ひやぁっ」
 ノラが体を丸めて小さく飛び上がる。
 それは非常識なほどの大音響で、ゼリヤは咄嗟に入り口に視線を走らせた。
(——違う!)
 音の出どころが出入り口付近でないことにすぐ気がつき、振り返って周囲を眺め渡す。
 薄っ気味悪い轟音はなおも続く。
「やだあ、なんなのもう!?」
 力が入らないのかバランスを崩して、ノラは椅子にもたれるようにしがみついている。今にも床にへたり込みそうな頼りない体勢だ。
 ゼリヤは店内をぐるりと見て、ノラを見て、それから。
「ノラ、お前の!」
 ゼリヤがカウンター上の平たいデバイスを指さした。先ほどまで電池のマークのみを表示して、ほとんど沈黙していた端末が、チカチカと不気味な深緑の点滅を繰り返している。
「うっ」
 上げた腕を戻すより前に、ゼリヤも自分のコート下方の重みを思い出す。乱暴にポケットに手を突っこんで、スマートフォンを引っ張り出した。
「うおっ」
「やー!」
 布の内側に閉じ込められていた異音が爆発する。ゼリヤは慌てて左手を右耳に回して塞いだ。
 しょせんスマートフォンなので、轟音といってもライブ会場のスピーカーなどには遠く及ばないボリュームではある。とはいえ、あまりにも不快な音階を並べたてた電子音で、とてもまともに聞いていられない。
 遠ざけた腕の先で、でたらめに液晶画面を撫でても止まるようすは無かった。
「っの! なんだ、まったく」
 苛立ちながら右手を引き寄せたのと、脳裏に飴色の地獄絵が蘇ったのが、ほぼ同時だった。
「あっ……」
 その瞬間、ゼリヤは指に力を入れる方法を忘れ、まだなおけたたましく騒ぎ立てるスマホをするりと取り落とした。
 首を真横に回し、目はガラス張りの壁の遥か遠くへ向けられた。フェイスマスクの下で半開きになった口から喉へと唾を押しやる。ごぶり、とやけに鈍い音がした。
 ついさっきまで澄んでいた青空がいつの間にか、すっかり息を潜めている。代わりにうっすらと、うっすらと空気中を覆う飴色の粒が、空と地上の境目をだんだんと曖昧にしていく姿が見てとれた。
 ゼリヤは静かに息を吸い、そして叫んだ。
砂流雨(サリュー)警報だ!!」
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