第2章 イエスの父

文字数 2,445文字

2 イエスの父
 1967年、武田泰淳は、この何かと反抗的なユダヤ人に手を焼いたローマは支配をスムーズに進めるために、新たな傀儡の指導者を必要とし、高度な政治的判断により選ばれたのがイエスだという大胆な解釈を一編の小説を通じて提示する。しかし、彼はさらに驚愕の仮説をそこに書き記している。

 とにかく、あのユダヤ女マリアにお前を生ませた御当人は、ほかならぬこのローマ男、ユダヤ進駐軍兵士のおれさまなんだからな。

 マリアは処女懐妊したのではなく、イエスの肉の父は、実は、ローマの百人隊長だという驚くべき秘密を『わが子キリスト』は告げる。

 イエスの父に関する推測の提起は、言うまでもなく、この小説に限ったことではない。イスラムでは、マリアの処女懐妊に関して、彼女は不妊症で苦しんでいたのであり、にもかかわらず妊娠したということが奇蹟なのだと解されている。

 なお、禁断の知恵の実を食べたため、アダムとエヴァがエデンを追放されるが、そんなことまでした人間たちをお許しになったもだとして神の慈悲深さを表わすエピソードと理解されている。この解釈の変更は、ユダヤ教では「神を怖れよ」が、イスラムにおいては「アッラーを讃えよ」となっている点を端的に表わしている。

 泰淳の仮説は必ずしもスキャンダラスではないし、また、反ユダヤ主義を弁護しているわけでもない。キリスト教の成立と成長にはユダヤとローマの両方が不可欠である。この設定はキリスト教がユダヤを母、ローマを父として生まれたという比喩としても読める。

 泰淳の新たな聖書解釈はヘロデによる「子供狩」にも及ぶ。主人公の「おれ」、すなわちローマ軍の兵士の口を通して、それについて次のように語られている。

 おれたちの子供狩の目的は、蕃族の子供たちを絶滅することではなくて、永久に蕃族のみじめな一員として一生をおわるにちがいない不幸な子供たちの中から、わが文明帝国ローマ(それこそ世界を動かす中心であらねばならぬ)へ連れて行って、蕃族の垢やけがれをすっかり洗い流し、文明人の仲間入りできる優秀な子供をえらび出すことにあるのだ。殺されるより選ばれる方を好むのが、親の人情であるからには、この平和的で寛大きわまる「子供狩」の方が、彼らのでっちあげた伝説や予言より、はるかに魅力的なものとして、しみじみと感得されることは,大いにありうることなのだ。

 ヘロデが「子供狩」を命令したのではなく、ローマ占領軍が独自に行ったのであり、しかも、それは「水晶の夜」ではない。ローマ的価値観に基づいて、ユダヤ人を統率する指導者となる見込みのある子供を選び出し、本国に送って英才教育をするのが目的である。ヘロデは問答無用の独裁者ではなく、ローマを後ろ盾に権力を行使していたのであって、進駐軍の意向を無視して独走することはできない。むしろ、この「子供狩」はローマがポスト・ヘロデを見越した上でのミッションである。

 それはオーストラリア政府が実施した「盗まれた子供(Stolen children)」政策の前例とも言える、オーストラリアでは、1910年頃から70年にかけて、アボリジニを白人社会に同化させるために、各地でキリスト教の伝道所が建設され、アボリジニの子供たちを強制的に寄宿舎に入れて、同化教育を行っている。この対象者は「盗まれた子供たち」と呼ばれている。

 実際、ヘロデが亡くなったのが紀元前4年、イエスの誕生は紀元4年とされているのだから、その命令を死者が下せるはずがそもそもない。ヘロデは、確かに政治的な父殺しのために血族や司法関係者の多くを暗殺したが、聖書に描かれたような嬰児狩りを行っていない。彼はローマ政界の変化を利用し、ハスモン家に代わり、ユダヤの王を称して、46年間もこのカナンを統治している。彼はユダヤ人による史料では激しく糾弾されているが、開発独裁のスハルトやフェルディナンド・マルコスのように捉えるべきだろう。

 宗主国ローマとユダヤの民衆要求のバランスを巧みにとろうとし続け、繁栄をもたらしている。独裁者は権力闘争をしぶとく生き残ってきた経験があるため、概して、外交に長けているものである。グレコ・ローマン風の建物を建設させる一方で、エルサレムの神殿をソロモン王以来の大改築させている。ヘロデは、ローマの協力者(Collaborator)として、いわゆる協力者のジレンマに陥らないように苦心していたが、先の権威主義的指導者たちがそうであったように、民衆からの支持は最後まで得ることはできなかったものの、政治手腕は決して低くはない。

 けれども、ヘロデ式手法がいつまでも続けられるものではない。アメリカが横暴で民衆から不人気だったゴ・ディン・ディエムを見限った後、南ベトナムでは、クーデターが13回、内閣交代が9回と頻発している。ローマとしても、ヘロデの死後、こうした政治的混乱を避けなければならない。

 「子供狩」はローマの占領政策の方針転換を意味している。それは、軍事力を中心とした押さえ込みから、教育を通じたイデオロギーの内的浸透による自発的な従属への認識変更である。ユダヤ属州の支配の長期化を睨んだ場合、ローマにとっては、ハード・パワーよりソフト・パワー重視の方が得策だろう。

 この「子供狩」の過程で、「おれ」は3歳ぐらいの男の子を抱いたマリアと再会している。マリアも夫のヨセフもその子を「神の子」と呼ぶが、「おれ」は自分の子であると確信する。事情を知らない部下がその子を連れて行こうとするのを「おれ」は、「決してつまらんことではないと感じはじめ」、押しとどめ、その場を立ち去っている。

 それから20年以上も経った後、「おれ」は三度目のユダヤ駐在を命じられる。しかし、その属州は一度目のときの「三倍」も状況が悪化している。と同時に、あの子が、今や、「神の子としての、ほんものの予言者としての、まちがいのない精神的指導者らしき男」という評判が高まっているのを知る。
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