第1話 聖也

文字数 1,399文字

 カ・サ・サ・ギ―――

 理科室の実験台に刻まれた、掠れたひっかき傷を文字と認識した瞬間、鵲聖也(かささぎせいや)は自分の人生にスポットライトが当たったように感じられた。
 腹の底から沸き上がる高揚感。

 これは本当に俺の名前を意味しているのだろうか?
 (かささぎ)と言う苗字は珍しい。この学校には、多分俺しかいないだろう。
 でも、鵲と言う鳥は実在しているから、この文字が人の名前を表しているとは断言できない。

 そもそもこの傷が文字なのかも怪しいと思い改める。
 これは自意識過剰な己の思いが脳に影響を及ぼして、自分の名前のように錯覚させているだけかもしれない。

 聖也はほうっと肩の力を抜くと視線をあげた。目の前に座る高橋夏美(たかはしなつみ)が、非難めいた視線を送ってきていることに気づいて、はっと我に返った。
 そうだった。実験道具を取りにいく当番だった。
 慌てて立ち上がった。
 
 だが、一度見てしまったモノ、一度認識してしまったモノは、そう簡単に意識から離れてくれない。
 理科の授業の間、もんもんと考え続けることになる。

 これが俺の名前だと仮定して……一体誰がどんな気持ちで刻んだのだろう?
 密かに恋心を込めて綴ってくれたとしたら、嬉しいな。
 そんなわけないか。
 
 直ぐに不安が押し寄せる。
 
 いや、反対に恨みを込めて切りつけたのかもしれない。
 
 カッターのような尖った切っ先でつけられたその傷は、人の怨念のはけ口と考える方が妥当な気がした。
 ぶるりとしてから、慌ててその考えを否定する。

 まさかな。だって俺は、まだこの学校に転校してから半年しかたっていないからな。
 
 離婚した母親が実家に戻ったため、聖也はこの春転校してきたばかり。クラス替えのタイミングだったとは言え、中学二年からの転入は馴染むのに苦労した。
 閉鎖的な中学と言う世界。既に出来上がっている人間関係の中に食い込むには勇気がいる。だから部活も入部しなかった。 
 知り合いはクラスの子だけ。恨みを買わないように、静かにそうっと暮らしている。

 理由はともかく……

 理科室の席は一か月ごとに変わる。四人向かい合わせの席で、班として一緒に実験をすることになるのだ。
 担任で理科教師の

こと設楽真(しだらまこと)先生は、この席替えをくじ引きで決めていた。月初めの授業の前にくじ引きをして新しい席に座る。
 出会いの時でもあり、割とみんな楽しみにしていた。

 先月、先々月にこの席に座っていたのは誰だっけ?

 淡い記憶をたどる。
 
 先月はカズだったな。
 
 大沢和成(おおさわかずなり)
 聖也がこのクラスの中で何とかやっていられるのは、和成のお陰だった。
 転校初日に声をかけてくれた時は本当に嬉しかったと思い返す。
 和成は明るくておおらか。クラスの中でもムードメーカーで、みんなからも好かれている。無口な聖也をフォローしてくれる、頼もしい友人だ。
 
 行き当たりばったりでいい加減なところもあるが、学校の備品に傷をつけるようなことはしない。だから彼では無いと言い切れる。

 その更に前は……確か、稲生真紀(いなせまき)さんだ。

 今は斜め前に座っている女の子。
 聖也は同じ班になれて嬉しかった。実は真紀のことが気になっていたから。
 彼女はいつも地道にコツコツ仕事をしている人。やはり備品に傷をつけるようなことはしないだろう。

 結局のところ、こんな風に想像しているうちが幸せなのかもしれない。
 半年経ってようやく、(かささぎ)と言う苗字に心が馴染んだと思えた。
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登場人物紹介

鵲聖也《かささぎせいや》

 両親の離婚により母方の故郷へ転校してきた。鵲の苗字にようやく慣れてきたところ。

 

大沢和成《おおさわかずなり》

 明るくてお調子者を演じているが、中身は繊細な男の子。

高橋夏美《たかはしなつみ》

 正義感の強い女の子。聖也のことが好きだけれど自分に自信がなくて告白できない。


稲生真紀《いなせまき》

 大人しくて目を合わせて会話をするのが苦手。聖也のことを密かに想っている。

設楽真《しだらまこと》 仇名 ダラセン

 担任の先生。いい加減な雰囲気だが、子どもたちのことをよく見ている。

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