アラフォー刑事と犯罪学者 全仕事

エピソードの総文字数=3,577文字

 京都市内のとある住宅街。味気ない灰色を中心に彩られた土地に、規制線の鮮やかな黄色がアクセントを加えていた。殺人事件が起こるときはいつだって唐突だ。
 住宅と住宅の間にある路地。規制線が仰々しく封鎖していたのは、人がすれ違うのが精々な幅の道だった。わざわざ通行止めにしなくても、普段から通っていた人はほとんどいないだろうと思わせられるほど、目立たなくて薄汚れた道だ。
 私は高い背丈を思い切り屈めて規制線をくぐり、その道へ足を踏み入れた。中ほどまで進むと人型に縁どられた白線が目に入った。そばには黒く固まった血痕と、12月の寒さで萎れかかった花束。この事件の被害者はここに倒れていた。
「被害者の名前は加藤博、27歳の工事現場作業員でした」
 後輩の刑事である川島が後からついてきて、メモを読み上げていた。建物の間を抜ける風が彼の灰色のコートをはためかせた。周りの色と同化して溶け込みそうだ。
「死亡推定時刻は13日の22時から翌4時の間だそうです。通報したのは近所の住民で、朝の8時ごろ登校する小学生が最初に発見したとのことです」
 川島はそのまま続けて事件の状況を説明していた。私は遺体を見つけてしまった不幸な小学生に心の中で同情した。せめてその前の大人が見つけていたらよかったのだが。それとも実は見つけていたが、酔っ払いが寝ているのだと勘違いして見て見ぬふりでもしていたのだろうか。ありそうな話だ。
「被害者の友人の話によると、被害者は13日の22時ごろに市内のバーで酒を飲んでいたようです。これはバーテンを含む複数人が証言しています。そのあと22時半ごろに、家に帰ると言って店を出たようですね」
「店を出たのは1人?」
 川島の説明に私は口を挟んだ。12月の京都はめっきり冷え込んでおり、口でも何でも動かさないと凍り付いてしまいそうだった。
「いえ、友人が1人だけついていったようです。名前は……光浦恭平と。でも光浦も途中で別れたきりだと言っていました」
「物取りって訳ではないの?」
「確かに財布はなくなっているのですが、被害者がつけていた高級な時計には手を付けていませんでしたね。それに、物盗りがナイフで心臓を一突きというのはやり過ぎでは」
 川島はそう言うと手帳をしまった。
「腕時計は、詳しくなければ見逃すこともあり得るでしょう。それに物盗りでも抵抗されたはずみで殺人をすることは稀じゃないわ」
 私はそう反論すると、白線のところにかがんであたりを観察した。今日は15日だ。14日の時点で既に鑑識があらかた調べてしまっていて、手がかりになりそうなものは残っていない。親友が勤めているからというわけではないけれど、京都府警の鑑識課が何かを見落とすほど無能ではないことはよくわかっている。
「ただ、被害者に抵抗した形跡はなかったんですよね。それと、凶器のナイフには光浦を始めとする友人の指紋が複数ついていました」
「そういう大事なことは先に言いなさいよ」
 私が立ち上がりながら憮然としてそう言うと、川島はすいませんと軽く謝った。強い風が吹いて、私のコートを長い髪と一緒にはためかせる。耳がちぎれそうなほど痛い。
「うん?じゃあ犯人は光浦じゃないの?帰っている途中に何かで口論になって殺害」
「警部もそう言っていましたよ。ただ光浦本人は否認しています。そこで僕らの出番というわけでして」
「どういうこと?」
 私は、自分の推測が嫌いな上司と同じだったことにいら立ちながら川島に尋ねた。極めて一般的な推測だったから誰だってそう考えるのだろうけど、警部と同じというだけでなんとなく気に入らないのだ。
「先程も説明したように死亡推定時刻が22時から翌4時です。その間で光浦にアリバイがないのが24時前までですね。それ以降は交際相手の家にいたことがわかっています」
「なるほどねぇ。殺害が行われたのが日付の変わる前なら光浦がホシで間違いなしと」
「ええ、逆にもし日付が変わったあとだとしたら少し面倒になってきます。その間にアリバイがない被害者の友人が結構多くて」
「ふんふん。で、聞き込みは今どれくらい終わってるの?」
「昨日の時点であらかた終わってしまっているのですが、1つだけ住んでいない家がありまして」
 川島はそういうと、前方を指さした。
「あの家の人は昨日留守にしていて、聞き込みできなかったそうですよ」
「じゃ、それをとりあえず済ませようか」

 その住民の家は、周りの他の家と同じでくすんだ色味を帯びた没個性的な住宅だった。先程の路地を入った場所からそのまままっすぐ進んで出た所の、向かって右に鎮座していた。2階建てであるところまで周りの家とそっくりで、こっそり神様が家を入れ替えても住民たちは気がつかずに入っていくかもしれないと思われた。
 私と川島は、鍵のかかっていない門を勝手に開いて玄関口までたどり着いた。玄関の周りには途中で飽きて放り出したのか、枯れてそのままになっているのか乾いた土が入れられただけのプランターがいくつか置かれていた。
 私は無言で川島にインターホンを押すように促すと、彼は不承不承といった表情で押した。家の内側からチャイムの鳴り響く音が聞こえ、それに反応したのか小型犬が騒ぎ出す鳴き声も聞こえてきた。
 しばらく待ってみると中からどたどたという足音が響いてきて、玄関のドアが開いた。少しだけ開いたドアの影から顔を出したのは、高校生くらいの年齢の少女だった。髪を2つに束ねていて、いかにも垢抜けないといった感じだ。川島はスーツの内ポケットから警察手帳を取り出すと、彼女に開いて見せた。
「すいません。京都府警の者だけど、お父さんかお母さんはいる?」
 少女はその手帳を興味深そうにじっくりと眺めると、黙ったまま首を縦に振った。川島が「呼んできてくれる?」というと、彼女はドアを閉めてばたばたと家の中に駆けて行った。
「高校生くらいだよな……平日の昼間にどうして家にいるんだろう」
「風邪ひいて休んでいるとかじゃないですか?」
 私の独り言に川島が律儀に反応した。しばらく玄関先で寒風に晒されながら待っていると、いかにも今起きましたといったスウェット姿にぼんやりした顔を張り付けた中年の男がのしのしと歩いてきた。髪は総白髪で、皺だらけの顔は50半ばの警部よりも年上に見えた。
「なんでしょうか」
 男は不機嫌そうな口調で尋ねた。寝ているところを起こされれば誰だって気を悪くするか。
「お休みのところすみません。京都府警の者です。少しお尋ねしたいことがありまして」
 私は男に向かって決まりきった文句を言う。それを聞くと男はさらに不機嫌そうな顔になっていった。
「先日あそこの路地で死体が発見された事件はご存知ですか?」
「死体?ああ、あれね」
 川島が私の言葉を引き取って言うと、男の口調が少し真面目なものに変わっていった。
「殺人が行われたのが12日から13日の深夜だと我々は推測しているのですが、その時間にあの道を通ったりしましたか?」
 川島がさらに続けて尋ねると、男は腕組みをしてしばらく考え込むような仕草をした
「その日って何曜日でしたっけ?」
「えーっと、日曜日ですね」
 男の突然の疑問に、私が反応して答えた。ちなみに今日は火曜日だ。
「日曜日か……たしかあの日は職場の飲み会で……ああそうか、思い出したよ!」
 男はそういうと拳で平手を打った。典型的な思いついた!のジェスチャーだ。古い。
「その日は市内で飲んだあと夜遅くに帰ってきてね。帰る時にそこの道を通ったんだよ。ちょうど近道になるからね」
 京都の人間が市内というときは、京都市のさらに中心街を指している。この男もたぶん駅前の店で飲んだのだろう。
「具体的に何時かわかりますか?」
 川島が慌ててメモを取り出しながら言った。私も手にしたメモを握りなおした。この証言で容疑者が絞れれば、寒いなかわざわざ外に出てきたかいがあったというものだ。
「時間もしっかり覚えているよ。ここの最寄りの駅に電車が止まるのが23時47分だろう。その駅から歩いて10分少々だから、日付が変わるのと同じくらいの時間だったということになるだろうね」
 深夜24時。それは容疑者である光浦にアリバイが存在するようになる境界の時間だ。彼がその時間になにか不審なものを目撃していれば、光浦が容疑者である可能性は一気に高くなる。
「それで、死体とか、それ以外にもなにか不審なものとか見ませんでしたか」
 私は緊張した声で男に尋ねた。川島も次の言葉を息をのんで待っている。男は少しだけ何かを思い出すように目を泳がせると、はっきりとした口調で言った。

「いや、特には何も」

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