猪目希望の証言

文字数 2,810文字

 紫木と別れ私が職場である京都府警の捜査第一課へ到着したとき、警部の機嫌は最悪だった。この人は不機嫌がデフォルトだけど、今日は一段と機嫌が悪いなと遠くからでも感じ取れる。正直近づきたくはないがこのまま手をこまねていても始まらないので私は慌ただしく行きかう人の波をかき分けながら警部のもとへ向かった。
「遅いぞ神園! どこ行ってた」
「休憩してました。で? 仕事というのは?」
 警部の質問をあしらい私は本題を尋ねる。前回の事件で紫木という素人(あくまで捜査員から見ればだけど)が首を突っ込んだことを未だに根に持っている彼へ、馬鹿正直に紫木と会っていましたと言えば火に油を注ぐようなものだ。
「事情聴取だ。今目撃者が取調室で待ってるからこの人物を目撃したかどうか確かめてこい」
「はぁ……」
 私は警部が乱暴に突き出す封筒を受け取って中身を確認する。中には資料にクリップで止められた写真が入っている。眼鏡をかけたスーツ姿の男性だ。良くも悪くもない平々凡々な顔立ちで大した特徴もない。会社のチャリティーか何かでつけろと命じられたのだろう、赤色の羽根をスーツにつけたまま険しい顔をするその男は悪人とも善人との判断がつかなかった。
 一緒になっている資料によれば彼は年末から年始にかけて発生している連続窃盗事件の容疑者らしい。ほかにも細々と事件の概要が書かれているが、私はそれを読む前に警部に尋ねる。
「……しかしなんで私が? この窃盗事件の担当というわけでもないですし、捜査員が足りないということもないでしょう?」
「目撃者が子供なんだよ。お前みたいな不良刑事でも女だ、話は聞きやすいだろう。それに今回の証言は重要でな、そこらの婦警に任すわけにもいかん」
「はぁ」
 私は警部の言葉にもう一度曖昧な返事を返す。女性警官だから子供から話を聞きやすいということはないだろうけど、警部とそのことを議論しても無駄なことは学習済みだった。
「ほら早く行け。目撃者を待たすな」
「はいはいっと」
 釈然としないものの目撃者を待たせるわけにはいかないというのはその通りなので、私は指示に従うことにして取調室へその足を向けた。その道すがら資料をざっと読んで最低限の事情は確認する。
 容疑者と目されているこの男の名前は西寺真守。一月十一日に大阪府枚方市で住居に押し入り、鉢合わせになった家主の男性に暴行したことになっている。取り調べに対し西寺はその時間、京都市左京区にいたと主張。つまり今来ている目撃者というのは西寺のアリバイを成立させられるかどうかを分ける重要な人物というわけだ。
 封筒の中には西寺のもの以外に、別人の写真が四枚まとめられていた。付箋が貼られていて「面通しに使ってください」と書かれている。この字は後輩刑事である川島のものだろう。几帳面な男だ。
 取調室の扉をノックすると、中から自信のなさげな声が漏れ聞こえてきた。扉を開くと椅子に座った親子が同じタイミングでこちらを向く。おそらく母親とその娘だろう。母親はロングヘアを粗雑に伸ばした、疲れて幸の薄そうな顔をしている。娘のほうは同じような髪形をしているが元気が有り余っていると纏う空気が盛んに主張していた。
「お待たせしました。捜査第一課の神園です」
「どうも……」
 私の姿を認めた女性はおずおずと会釈を返してくる。少女は母親の姿を見てそれを真似した。私は少女に微笑みながら部屋へ入り、彼女の対面に移動して腰掛ける。
「こんにちは。まずは……お名前を教えてくれる?」
「猪目希望です」
 私が少女に話しかけると、彼女が口を開く前に母親の方が前に出て答えた。不安そうな顔。過干渉か? 単に過保護なだけか……どちらにせよ事情聴取には都合が悪い。
 子供というのは大人の言うことに誘導されやすいのですよ。
 頭の中に紫木の声が響く。確か年末に食事をしたときに聞いた話だ。子供の事情聴取は大人のそれよりも慎重に行う必要がある。
「申し訳ありませんが……お母さんの方は部屋の外でお待ちいただけますか? お子さんの証言を出来るだけ正確に取りたいので」
「はぁ、すいません……希望、迷惑かけるんじゃないわよ?」
 私に言われると母親ははっきりしない口調で返事をし、何度もペコペコと頭を下げて部屋から出て行った。そんな母親の様子とは対照的に、少女は暢気にそれを眺めて足をぶらぶらとさせている。
「じゃあ改めて、お名前と年を聞こうかな?」
「猪目希望、七歳」
 私の質問に希望ちゃんははきはきと答える。私は彼女の元気な様子に笑みを返す。
「小学校はどこに?」
「左京小学校」
「何年生?」
「一年生!」
 希望ちゃんは指を一本立てて勢いよく前へ突き出す。私は彼女の返事を調書へ書き込んでいく。
「えっと……今月の十一日、午後三時ごろだけどあなたはどこにいましたか?」
「橋の上!」
「橋の上?」
「うん。家と学校の間に橋があるの。その上にいた」
「時間は確かに午後三時なの?」
「その日は五時間授業だから、そのくらいの時間になる……かも」
 彼女の通う学校の下校時間から逆算するとだいたいいつもその時間に橋の上を通るということだろうか。これは裏取りが必要かもしれない。
「ほかに一緒に誰かといた?」
「一緒に帰ってる友達といた」
「そう、それじゃあ……あなたはその橋の上でスーツを着た男の人を見ましたか?」
 私の質問に希望ちゃんは大きく首を縦に振る。肯定。とりあえずは第一歩だ。
 私は彼女に見えないように写真を取り出すと、西寺のものとほかの四枚を混ぜる。そうして順番をバラバラにしたものを一枚づつ希望ちゃんの前へ並べていく。スーツに眼鏡の男性の写真ばかりが五枚机の上に並ぶ。
「それじゃあ質問。あなたが見た男の人はこの中にいますか? あぁでも、この写真の中にあなたが見た人がいない可能性もあるからね?」
 私は希望ちゃんの目を見つめて尋ねる。あくまで写真の中に正解がない可能性に言及しながらだ。そうしないと目撃者は写真の中に自分の見たことのある人がいなくてもそれによく似た人を探してしまう傾向があると紫木が言っていた。この中に正解がないかもしれないと予め教えておけばそうした証言の歪みを防ぐことができる。
 希望ちゃんは顔を近づけ写真を一枚ずつじっくりと眺める。一通り全てを確認した彼女は、迷いなく真ん中に置かれた写真を手に取って「これ」とだけ言った。
「この人で間違いない?」
「うん」
 希望ちゃんはまた大きく首を縦に振る。自信はあるらしい。証人の自信と証言の正確性に関連はないというのも紫木の言葉だけど、やはり自信をもって証言してくれる方が心情的にもありがたい。
 私は希望ちゃんから写真を受け取って顔を見る。彼女が見た男は確かに西寺だったらしい。これで彼のアリバイは成立した。
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