第５話　　１６才

【その写真には】

　小さな男の子が大学生の僕にしがみつくように抱きついている。小学六年生の美宇はその子を、まるでおもちゃの取り合いのように洋服を掴んで僕から離そうとしていた。


【あとから】

「愛理に聞いた話だと、当初は、喜生さんが誰の子かを話さなかったので、また事件に巻き込まれたのではないかと疑われたり、医師から体がもたないから中絶を進められたり、そんな中で子供を守る為に喜生さんは必死だったみたいで『私は暴力を受けるために生まれてきたのではない。女として生まれてきたのにどうして好きな人の子供を産んではいけないのか？私は産みたい。どうしてもウテの子供が欲しい』と愛理を動かしたらしい。

　当時十五才の子供の言う言葉じゃない。と、愛理は言っていたよ。体調が悪い事を理由に友達を遠ざけ、何度も危篤状態になりながら、生まれた子は、誤解を受けたまま、お父さんから、暴行を受けていたという事だ。お母さんが怒って、翌年にはご両親は別居することになった。お母さんは仕事で外出することが多くなり、喜生さんが一人でサンを育てたんだ」


【僕の手元にある写真を指さし】

「サンが三才の時に初めて韓国に愛理と来た時の写真だよ」

　カズヨの手紙の中に『どういう経緯かわからないが、サンが韓国に遊びに行っていて、その間に検査入院をしている喜生は、寂しくて毎日泣いている』と書いてあった。

「何も知らないはずのサンは、お前が好きで韓国に来るといつもお前を探していたさ」
「どうして？僕だけ知らないのですか？」

　僕はさっき聞いた経緯が納得できない自分の中の怒りを吐き出すように言った。

　父は「逆にどうして聞かなかった？」と僕の目を見つめ「聞かれたらいつでも答えられるようになっていた」と落ち着いた声を出した。

　僕は言葉に詰まった。

「喜生が結婚したと聞いたから」
「誰に？聞いたのだ。どうしてそんな話を信用した。なぜ確かめなかった？」
「それは、…。喜生にも叱られた」


【僕は、なぜ、信じたのだろうか？】

　僕は何を信じたかったのか？受け入れがたい事であったのに、混乱する頭の思考を止められる、唯一の方法だったのか？僕はなにを止めたかったのか？

　僕は父の受入られない言葉を無理矢理に飲み込み、やっと思考が回り始めた。あの頃の僕は、大人の都合で別れたと言い訳をして、大人を信用しない事で、自分を守り、大人の判断を理解しない事ですべてを納得したかったのかもしれない。

　多分、当時まだ16才の高校生だった僕は、まだ力がなくて幼稚で何もかも思うようにいかなくて、目を閉じてしまったと思う。

　考え込んでいる息子に怒鳴る事もなく、父は長い時間をかけて、傍に寄り添って一緒に同じ方向を見ようとしている。僕がこの父と同じ父親になるのか…。僕にそれが出来るだろうか…。少しずつ不信感の波が引いていくのがわかる。


【日落ちし】

　僕は部屋に灯をつけ「現実を見る勇気がなかったのだと思う」とボソッと父の顔を見ないで言った。

「今ならどうなのかな？今なら判断がつくだろ？誰も強制はしない。理解をしている。サンから、喜生さんは韓国で暮らすことは出来ないので、その事は考えて欲しいと言われている。生まれる前からのお母さんとの約束では二十才と言う事だったが、今、喜生さんの体調も悪くなってきて、サンと暮らす事が危ぶまれているようだ」