そのころ天国では…

文字数 3,793文字

 別世界で自宅警備員田中大介が、命がけの追いかけっこを演じていたころ、天国ではこの間違いを巡る秘密裏の話し合いが行われていた。

「まさか天国でこんな後ろめたい話をしなければならぬとは」
 大天使が嘆かわしいという顔で言った。
「私たちの行為、神様への背信にはならないのでしょうか」
 門番の天使がおろおろとした顔で言った。
「いや、もう、こうなったら我ら保身のために、ここは堕天使降格も覚悟せねばなるまい」
 大天使の言葉に、門番役の天使たちは一斉にがっくり肩を落とした。
「ただし、この処理がうまく作用して、あちらの世界からクレームが来なければ、事態は上に報告せずに済むかもしれない。重要なのはここだ」
 大天使はそう言うと、その場にいるただ一人の人間に視線を向けた。
 そこにいたのは、本来だったら異世界に転生するはずだった男。
 そう殉職刑事太田雄介であった。

「まあ、事情は分かりました」
 太田刑事はそう言って、神々しく光る天使たちを見回した。
「この件に関しましては、本官にもかなりの責任があると思います。私が、あそこで代わりを申し出なかったら、この間違いは起きなかったわけですから、大いに陳謝いたします」
 太田はそう言うと深く頭を下げた。
 さすが天国に送られてきただけに、根っからいい人間である。
 この態度に、天使たちが逆に恐縮してしまったほどだ。
「いやいや、あなたは悪くない。心からの善意で彼を労おうとした結果なのですから、ここには悪者は誰もいないのです。これは言うなれば、我ら天使の怠慢が故の間違いです。あなたは、頭を上げて私たちの願いを聞くかどうか判断してくだされば結構です」
 大天使に言われ、太田は頭を上げた。
「そうですか。しかし、そうは言っても責任は強く感じます。間違えて送られた彼は、確実に危険な目に遭っているでしょう。本官のように、体術の心得もないと聞きました。このままでは異世界でまた死んでしまい、無用な苦しみを受けてしまう。それは、私には大きな呵責になります」
「あなたもつくづく良い人ですね。まあ、ここに来る方は全員そんな感じですが」
 門番の天使が言った。
「そんなあなたの申し出に甘えるつもりでいる我らは、本当にダメ天使です」
 大天使が大きくため息を吐きながら言った。
 すると太田が言った。
「決心は変わりませんよ。私は彼と異世界、その両方を救う覚悟です」
 大天使は頷いた。
「大変ありがたいです。それが叶えば、もう我らの間違いもすべて帳消しになりますし、あの若者も無事に異世界で第二の人生を送れることになるのですから」
 そこで門番の天使が口を挟んだ。
「しかし大天使様、この方法はあまりにリスキーです」
「わかっています。大いに判っています。だから、こうしてひそひそと誰の目にも触れぬように話し合っているのでしょう」
 どうやら、彼らは何か裏技を使おうと画策している模様であった。

 さて一方、異世界に飛ばされて逃げ回っていた田中大介18歳は、目の前に現れたエルフの美少女に目を丸くしていた。
「あ、あの魔物を撃ったのは貴女なのでありますか?」
 まだひっくり返ったまま大介が聞いた。
 エルフの少女は、まだ冷酷そうな笑みを唇の端に浮かべたまま頷いた。
「そうよ、光矢二本ちょっと高い出費だなあ。あんたお礼してもらえるわよね?」
 大介の顔が少し変化した。
 浮かんだ表情は困惑、これが的確な説明になる模様であった。
「お礼でありますか? それはもちろん感謝してるであります。もう一度死なずに済みました、ありがとうであります」
 エルフの少女が、ちっちと人差し指を振った。
「言葉貰っても、お腹膨れないでしょ。ここは、そうね、銀貨3枚で手を打とうかしら」
 大介の目が大きく開いた。
「お金を取るのでありますか? 自分転生したばっかりで無一文であります!」
 この言葉を聞いて、エルフの少女の表情が変わった。
 こちらの顔は、怪訝という説明が的確のようだ。
「無一文ですって! それにあんた、今転生って言わなかった?」
「その通りよカーミラ、こいつは転生召喚者だよ」
 ひっくり返ったままの大介が声の方に目を向けると、血に染まった姿のメルダが立っていた。
「あら、誰かと思えば、へぼ戦士のメルダじゃない。悪いけど、獲物奪わせてもらったわよ」
 エルフの少女が、腕組みして自分より長身のメルダを見上げ、いやいや正確には睨み上げて言った。
「もう一匹を倒してくれたのは感謝する。余分な仕事とは言わん。この転生者のガーディアンを助けてくれたんだからな」
 メルダが言うと、エルフの少女カーミラは、はっと表情を変えた。
「それよ! この男本当に転生者なの? この何の役に立ちそうもない男が、救世者なの?」
 そこでメルダは、血まみれの片手をパッと上げカーミラを遮った。
「いや、それがだな…」
 なんとも気まずそうに大介を見てから、メルダは続けた。
「何か手違いがあったとかで、間違って天界から送り出された、ただの役立たずなのだ」
 ずばりと役立たずと言われ、善人の大介でもさすがに傷ついた。
「そうでありますね、自宅警備員に世界は救えないであります…」
 まだ立ち上がれない大介が、半分顔を背けながら自嘲気味に呟いた。
「まあおめえの責任じゃねえし、そこはいじけるなよ。危機も何とか逃げ切ったし、強運は持ってるんじゃねえか」
 メルダが言うと、カーミラが、あっと言って話に割り込んできた。
「それよ、それ! あたしの弓矢代! 払ってもらえるんでしょうね!」
 メルダが腰に両手をあて、うーんと唸った。
「そうだなあ、これ払わないと不義理すぎるよな。あれいい矢だろ」
 そこで大介が口を挟んだ。
「銀貨3枚と言われたであります」
 メルダが目を剥いた。
「おい! いくらなんでもそりゃぼったくりだろ!」
 カーミラが、ちらっと舌を出して答えた。
「いや、ほれ、こいつ見かけない顔だったから、ついさふんだくれるかなあって」
「もう、本当にがめついわね。で、いくら出せばいい?」
 カーミラが、少し考えてから答えた。
「じゃあギルドの定価でいいわ、一本銅貨5枚だから丁度合わせて銀貨1枚ね」
 メルダが頷いた。
「よし、じゃあカバンチを探して払わせよう。財布はあいつが持ってる」
 ようやく上半身を起こした大介が、カーミラを見ながら言った。
「3倍も取ろうとしたのでありますね」
 カーミラが大介を見下ろしながら言った。
「何、文句あるの? 商売なんだから、分捕れそうなとき吹っ掛けるのは常識じゃない」
 大介は、まあこの世界ではこれが常識なのかとぼんやり理解した。
「いえ、文句はありませんです。命を助けてもらったのです、文句言うはずがありません、もし自分がお金持っていたら、素直に言い値を払うつもりでありました」
 カーミラが目を剥いた。
「あんた、もしやお人好し? カモじゃないの、それ完全に」
「はい?」
 大介が首を傾げた。

 そしてまた舞台は天国に移る。
 話し合いはまだ続いていた。
「なるほど、その方法でなら問題の世界に私は向かえるというわけですね」
 太田刑事が、納得したという顔で頷いた。
「申し訳ない、このような非常識な方法をあなたにやらせてしまうなんて」
 大天使が心底すまなそうに言った。
「いえ、これもまた運命でありましょう。困難な任務であればあるほど本官は燃えます。謹んでこの任務させていただきます」
 太田はそう言うと天使たちに敬礼をした。
 天使の誰かが呟いた。
「私たち善人にすがりすぎて、とっても悪い天使に思えてきた」
 大天使が、えへんと咳払いして声の聞こえたあたりをちらっと見てから、太田に言った。
「では、これが事情を説明した書簡です。あちらには、くれぐれもよろしく言ってください。一度だけなら、何でも無理を聞くと私が言っていたとも申し添えて」
 書簡を受け取りながら太田が頷いた。
「了解いたしました」
「では、よろしくお願いします。苦難の旅路にはなると思いますが、なんとか彼を見つけ出し、救ってください。あ、もちろん、世界の方も」
 太田が胸を叩いた。
「人を探すのは本官の得意技です」
「そうでしたね、だから選ばれたんですよね、最初…」
 大天使が遠い目で天国よりさらに上の方を見た。
 だが、すぐに気を取り直し太田に言った。
「それと、今回特別に、これお渡しします。天界の防具、おそらくあちらの世界では大いに役立つでしょう」
 ペラペラの肌着にしか見えない布を渡され太田は少し戸惑った。
「これが防具なのですか?」
「ええ、とりあえず、着ていれば、いわゆる魔法は全部防げます。物理攻撃は無理ですが」
「便利ですな。まあ、組み合いや射撃なら自信ありますし、ありがたくいただいていきます」
 太田がぺこりと頭を下げた。
「では、あちらの入り口まではこちらの天使が送っていきます。どうぞご武運を」
 一人の下っ端天使を太田の方に押し出しながら大天使が言った。
 太田は再度敬礼をして天使一同に言った。
「かしこまりました! では太田雄介巡査部長、これより地獄に向け出発いたします!」
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