まあ間違いは誰にだってある、という話

文字数 3,382文字

 最近天国の門の前はやたら混みあっていた。
 天使たちが口口に不平不満を言っていた。
「神様無計画すぎだ。ここまで人口が増えたら、こうなるの判っていたのに、なんでこんな狭い門にしたんだ」
 天国の門は人一人が通れるだけの幅しかない。
「しかも、常時開きっぱなしの地獄の入り口と違って、一人毎に開閉してるとか、正気とは思えない」
 門の柱には張り紙があって、順番が来たら扉をノックするように指示が書かれていた。
「見てみろよあの列」
 天国の門の上の見張り台から一人の天使が下を見下ろして言った。
 そこには、ダダーッと長蛇の列が数千人分も出来ていた。
 これがもし地獄だったら、列では割込みや喧嘩が絶えないのだろうが、天国に来る人間はそんなことはしない。みんないつも大人しく順番を待つ。
「しかし、なんだろう、いつにも増して列が整然としてないか?」
 天使の一人が首を傾げた。
 他の二人の天使も、下を見ると、なるほど、何故か列がビシッとしており、しかもある一定区間ごとに区切りがつけられ、前のスペースがある程度開いてから、後列が前に進んでいるようだった。
「奇妙な動きだ」
 天使たちが首を傾げていた。
 彼らは気付いていなかったが、この列は一人の若者…いや正しくは若くして天に召された男によって仕切られていた。
「はい、待つのも楽しい天国行き、ここは礼儀正しく前列が進むのを待ちましょう」
 殆どが老人の列に、若者はてきぱきと指示を出し、この待機列を形成させていた。
 この景色、恐らく日本人なら少なからず見覚えがあった筈だ。そう、この夭折した若者は、コミケの警備中に倒れてここにやって来た行列担当ボランティアだったのだ。
 列に並んだ人々は、彼の指示できちんと一塊の集団を作り、前のスペースが開いたら端の列から順番に進み、また集団を形作る。この方式だと、ただ長蛇の列を作るより確実に占有する長さが短くて済む。
「兄さん賢いねえ」
 この指示に感心した老人たちが声をかけるが、若者はにっこり笑って答えた。
「いやあ、僕は慣れているのです。毎年二回これやっとりましたから」
 まあ、老人たちは知らないだろうが、そう歳を重ねずここに来た人々は、この言葉でだいたい彼の素性を察した。
「あの、もしかして君はオタクという方々の一人かしら?」
 30代後半くらいで亡くなったと思しき婦人が彼に聞いた。
「はい、自分は普段は自宅警備員でありましたが、コミケでは交通整理が楽しくずっとやってたのです。ちなみに、薄い本にはあまり興味がないので中には入りません。僕の興味は、フィギュアだけです。ああ、お母さんが一緒に燃やしてくれてたら、あの娘やあの娘も一緒にここに来れたかもしれないのに、残念だなあ」
 いや、質問した婦人にこの彼の言ってる話はまったく通じてなかった。
 そしてである、彼の懸命な交通整理は、天使たちには全く把握できていない行為であった。
 なので、門の内側ではいつもと変わらず死者の身元を表した帳簿をもとに、この先の行方について指示が出されていた。
「おめでとうございます、上界行きです。この世の終わりまで楽園をお楽しみください」
 朗らかな顔の老人にそう告げた天使は、はるか向こうから足早に近づく先輩の大天使の姿に気が付いた。
「どうなさいました?」
 大天使が言った。
「例の三つ離れた世界、あそこから要請のあった戦士の転生、その候補者の順番が間もなくやって来る筈なのだ。しっかりと、転生の為の泉に案内するように」
「ああ、魔族のいる世界でしたねえ。こちらの世界では絶滅危惧種なのに、ちょっと離れただけで大きな違いだ。あちらでは、勇者の補佐に強い戦士が必要だけど、人間が衰退しちゃって手が足りないんでしたね」
 大天使が頷いた。
「そうなんだ」
「うちとは大きな違いだなあ。まあ人間余ってるから、よそに融通できるんだけど、どうも神様は他の世界の神様に恩を売っている節がありますね」
 それを聞いて別の天使が言った。
「滅多の事は口にしないでください」
「いやあ、悪気があって言っているのではないから、神様は徳を積んでおられるなと思ったわけだ」
「ああ、それなら問題ないですね」
 その頃、外の行列は依然として整然と進んでいた。
 あの若者が、最後の門前の広場に列を誘導している時の事だった。
「ねえ君、そうやって動き回っているが、自分の本来の順番は判っているのかね」
 一人の屈強そうな中年…で亡くなった男がそう声をかけてきた。
「ああ、整理に夢中になって忘れてました。あ、あれ、どこだったろう?」
 中年が微笑みながら彼の肩を叩いた。
「ずっと見ていてやり方は判った。この先は、私がしばらくの間かわりに整理するよ。君は、私の番に門を叩きなさい」
 若者がすまなそうに頭を下げた。
「すいません、良い人ですね。ありがとうございます」
 天国であるから、良い人じゃないと来られない。その大事な部分を、若者は忘れて居る。
 良い人と頭の良い人は全く関係ないから、まあそういうことだ。若者の頭は少しだけ残念だった。
 というわけで、中年男性のいた場所に立った若者は、自分の番が来て天国の門の扉を叩いた。
 コンコンと小気味よい音が響いた。本来なら中年男の順番に、まさか、それが天国では禁じられていた行為だと知らずに…
「入りなさい」
 荘厳な声が響き、美しい天使が彼を出迎えた。若者は知らなかったが、大天使であった。
「こ、こんにちは」
 若者が礼儀正しく頭を下げた。自宅警備員をやってたって、良い子は良い子なのだ。
「貴方は特別な使命を得て、この天国に召されました。どうぞ、あちらへお向かいなさい」
 大天使はそう言うと、部下の天使に命じ彼を奥の方に連れて行かせた。
「な、なんですか、特別な使命って?」
 若者は首を傾げる。
「それは、転生の間で説明いたします」
 天使は彼を、一つの荘厳な円形の建物に連れて行った。
 入り口を入ると、建物の中には一個の美しい泉が水をたたえていた。
「普通、現界に戻る場合は、再生の儀式を受け赤子として地上に降り誰かのお腹に入ります。ですが、あなたはその豊富な知識と技術を異世界の平和のために役立てていただきたいので、今の姿のままあなたが生まれ育ったのとは別の世界に転生していただきます」
 若者が困惑の表情を浮かべた。
「よくある転生話ですけど、なんで僕が?」
 何も知らない無垢な人間なら驚くべきところだが、オタクにとって異世界転生は普通にあるよね~、と思ってしまう事態だから若者はそっちでは驚かない。
 そのただ、何故自分が選ばれたのかな~、というだけの態度が天使には、やはり大した人物なのだと勝手に思い込ませた。
 ちなみに実際には、異世界への転生というのはかなりレアケースなんだけど、若者の常識と天国の実情は、日本のラノベ業界によって意識にギャップを生んでいたのであった。
「無論あなたのスキル、これが選ばれた原因です。さあ、泉に入ってください」
 若者に勿論心当たりはない。だが、天使が嘘を言うはずないから、首を傾げながらも泉の中へと歩を進めた。
 すると水が急に金色に輝きだした。
「これは?」
 若者が聞くと、天使が答えた。
「この空から三つの次元を隔てた世界、マレンガロエールへの通路が間もなく開くのです。そこで、あなたは、勇者デリの手助けをする役を神様に任されたのですよ。刑事太田雄介さん」
 若者が大きく口を開き慌てていった。
「違います。僕は田中大介ですう……」
 天使が「えっ」と言って慌てて泉の方を見たが、もうこの時若者の姿は消えていた。
「も、もしかして、やってしまいましたか」
 そうやってしまったのだ、人違い。
 天使の言ってた人一倍正義感が強く抜群の体力を誇ったのに足を滑らせて歩道で頭を打って死んだ刑事太田は、表の行列で彼の交通整理の役を肩代わりした男だったのだ。
「まずい、これはとてもまずことに…」
 天使はおろおろとするばかり、その間にも若者田中大介の身体は、別世界目掛け異空間を突き進んでいた。
「これ、僕どうなるんでしょう?」
 それは、まだ神様や天使たちにもわからなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み