4. 突然の旅立ち
文字数 2,151文字
その晩、帰ってきた父さん母さんに、あたしは半ば狂ったように泣きながら「エリザベツおばあちゃんの所に行きたい」とひたすらに懇願した。父さんも母さんもあたしがどうして急にそんなことを言い出したのかわからないまま、いつものあたしと違う様子にほとほと困り果てた。
あんまりにもあたしがしつこく頼むので父も根負けして
「村の人でエンカレム方面に行く人を探すから、もしいたらその人にあたしを預けて旅立つことを許す」
と約束してくれた。
それを聞いていたタマルが
と言って聞かなかった。両親も「マリヤ1人だけよりはその方がいいか」と、タマルと一緒に旅立つことを条件に加えてくれた。
その晩、あたしは眠れなかった。
運よくそれを免れたとしても、ヨセフがあたしを軽蔑しながら婚約破棄の離縁状を突きつけてくるだろう。
村の人たちがあたしを「不貞の娘」と蔑んだ目で見てくる。ナザレ村に住み続けるのはもう無理かもしれない…。)
どれもこれも、あたしを怯えさせ、今すぐにでもアドナイ様に「やっぱりやめます」と言わせるのに十分な迫力を持っていた。村八分にされたら、遊女にでも身を落とす以外、生きていくことは所詮、不可能なのだ。こんな貧しくて小さな村のコミュニティの、それもたった13歳の娘では、どうしようもないほどに。
おなかに手を当てて、布団の中で身を縮こませて、今までにないくらい真剣に、必死に祈り続け、いつしかあたしは眠りに落ちて行った。
翌朝、仕事に行った父さんが大急ぎで家に引き返してきた。
「マリヤ!タマル!見つかったぞ、エンカレムに行く人たちが!」
何でもナザレ村に立ち寄った商人たちのキャラバンに合流する形で、父の友人のエスロンが商売でエルサレムまで行くらしい。エンカレムという町はエルサレムからさらにもう数キロほど西にあるのだが、友人のよしみでエスロンがエンカレムのエリザベツおばあちゃんの所まで送り届けてくれる、というのだ。ありがたい!
「出立は明日の早朝らしい。…マリヤ、タマル、どうする?」
アドナイ様、早速ありがとう!感謝します!!
あたしたちの迷いない決断に父さんはまだ狼狽しているようだけれど、構っちゃいられない。今のあたしの状況を理解してくれそうな人は…何をどう考えても、エリザベツおばあちゃんだけだ。早く会いたい。会って、あたしが体験した全てを打ち明けたい。そうしないと、いろんな意味で死んじゃいそう。
「ああ…わかった。できるだけの準備はしてやるからな。しかしまた、なんで急に…。」
父さんはそうぼやきながらも、あたしたちの旅立ちのために準備を始めてくれた。
それは、ヨセフにすべてを打ち明けること
こわいよ
とっても、こわいよ
大好きなヨセフ
優しいヨセフ
あなたを失うかもしれないなんて
……でもあたしは、決めたんだ
アドナイ様に、あたしのすべてを差し出すって
……それに、きっとアドナイ様がなんとかしてくださるはず
きっと……
旅支度もそこそこに、あたしはヨセフの家へ向かった。
天使のお告げを受けたこと
ヨセフと一緒になる前に、聖霊によって神の子をみごもったこと
明日の早朝、親戚のエリザベツおばあさんの所に発つこと
そして、しばらく会えなくなること……
話を聞きながら、ヨセフの表情を見るのはつらかった
だって……あたしの話を「信じられない」って感じているのが、わかったから……
信じられない……わかるよ?
だけど……あたしを信じてもらえないことが、つらい……
どうしよう、こんな時にいちばん頼りにしたいのに……
じわっと涙が出て、鼻の奥がツンと痛くなる。
あなたを信じられなかったら、あたし誰を信じたらいいの?
あたし、生きていけないかもしれないんだよ……?
誰に理解されなくても、ヨセフだけにはわかってもらいたかった
なのに
なのに……
頼りない手つきで、ヨセフはお茶の用意をしてくれた。
戸惑い、混乱しているのが伝わってくる。
差し出された暖かいお茶を飲んでも、あたしの心は冷え切ったままだった。