命をかけて

「ラヴィ・・・俺を起こして、ナイフを抜いて。」
「え・・・でも・・・。」
「大丈夫。出会った時もそうだったろ？」

　ラヴィは言われた通りにした。それから、レインがそばの木の幹(みき)によりかかれるように体を支えた。　

　うつむいたレインはぐったりしていて、乱れた浅い呼吸しかできずにいる。それでも、手や足が焦(あせ)っているように震える。無理に動こうとしているように、ラヴィには見えた。
　
　思ったとおり、ラヴィも、レインが孤児院に来てからずっと人の血を飲んでいないのだと気づき、そして思い出した。吸血鬼について書かれた本によれば、人間の血は彼らにとっては栄養分となり、体を回復させるのが最も早い薬だと。

「私の血を飲んで！」

「それ・・・今、言う・・・？」

　あろうことか血が滴(したた)る首すじを差し出して哀願(あいがん)してくるラヴィに、レインは困惑した。そんな願っても無い誘惑を拒否することに無理を強(し)いた。ただでさえ飢えていた体に派手に傷まで負ったせいで、乾いた喉(のど)が無性に血を欲しているというのに。

　ダメだ・・・！

「そうすれば早く治るんでしょう？」
「君は・・・分かってない・・・。」

　さすがに今、こんな状態で吸血したら・・・俺自身、どうなるか分からない。制御(せいぎょ)できる自信がない・・・。

「もう我慢しなくていいから・・・その傷、私の血で治して。」　　

「それが・・・どういう・・・ハァ、ハァ・・・ウウッ・・・。」　

　そのうちヒドい動悸(どうき)で気が変になり、レインは自分の顔面を引っつかんで顔をそむけた。

　そんな様子が遠目にも分かる追手の二人は、歩いてそこへ向かっていた。ここまで追い詰めれば、もはやどうにもできまい。いいかげん観念するだろう。

「あの男、あんなにボロボロなのに、なぜそばにある生き血をぜんぜん飲もうとしないんだ？バカで助かりましたね。」

「・・・分からないのか？」

「はい・・・？」

「極限状態の吸血鬼に、限度をわきまえられると思うか？」

「我慢・・・ですか？ ああ、いや・・・。」

「うっかり殺したくないんだろうよ。今までは、ただ正体を知られたくなかっただけのようだがな。」

　近づいてくる気配に気づいたラヴィは、戦慄(せんりつ)や恐怖を通り越して、レインを背後に庇(かば)うように向きを変えていた。

「来ないで！」

　レインの体から抜いたナイフを拾い上げたラヴィは、思い切って、刃先を自分の首に当ててみせる。

「死人の血は飲めないんでしょう！？　近づいたら死んでやるんだから！」

「強がっても無駄だ。できもしないことを口にするな。」

「レインは・・・私を守りきって死ぬつもりだから・・・私も・・・あなた達につかまるくらいなら・・・死ねるわ！」

「・・・どうしますか。」と、手下の吸血鬼。
　
「ないとは思うが・・・興奮しているようだから自棄(やけ)になられても困る。少し機会をうかがうか。」
　はあ・・・と息を吐き出し、腕組みをして、吸血鬼の集団・・・あらため兵団のリーダーは答えた。

　このあいだ黙って見ていただけのレイン。だが、ラヴィの決死の覚悟を知って、その胸中では激しい葛藤(かっとう)が起こっていた。

　確かに・・・そうだ。あいつらに奪われるくらいなら、ラヴィと一緒に賭けに出る。こんな体じゃあとても守りきれないから、限界を超えるため・・・。

「ラヴィ・・・ハァ・・・俺は今・・・すごく・・・ウゥ・・・血が欲しい。」
　ラヴィの肩に額(ひたい)をつけて、レインは息も絶え絶えにささやきかけた。

「うん・・・。」

「でも、だから・・・ハァ・・・ハァ・・・加減が・・・。」

「うん・・・いいよ・・・あなただから。」

　涙があふれた。レインは両手を伸ばして、ラヴィの背中をぎゅっと抱きしめた。

「レイン・・・もしも、その時は・・・子供たちをお願い。」

「殺さないよ・・・。」

　持ちこたえろ、俺の自制心・・・！

　レインは精一杯気をひきしめ、背後からラヴィの髪をそっと横へかき流した。そしてネグリジェの襟(えり)ぐりを開けば、首まわりの綺麗な肌に、すでに男がつけた傷からの出血が目に飛び込んできた。そそられ、狂おしい感情がわきあがるのを押さえつける。ともすればおかしくなりそうな意識のままゆっくりと口をつけたレインは、遠慮がちに牙を剥き出して甘く噛みついた。

　すると・・・。

　芳醇(ほうじゅん)で酔うほどに魅惑的な味が喉(のど)を潤(うるお)してくれ、体中に沁(し)みわたり、傷や疲労をみるみる回復してくれるのが分かる。それどころか何か得体の知れない力に変わりゆくような感覚。レインは複雑に昂(たかぶ)る感情に戸惑った。

　ああ・・・最高に美味い・・・。

　ラヴィは目をぎゅっとつむった。鋭い牙が突き刺さる瞬間は痛かった。それに果汁のように血を飲むレインに、少し驚いて、怖い・・・とも感じてしまった。
　けれど、すぐに気づいた。
　かすかな嗚咽(おえつ)と、震える肩。人の生き血をむしょうに欲しながらも抗(あらが)いたくて、だがその本能はあまりにも強くて、彼が負けじと咽(むせ)び泣いていることに。

　ラヴィはレインの頭に片手をまわし、笑みを浮かべて引き寄せた。吸血されているせいで力が抜けて、その腕は思うように動かせなかったけれど。

　一方、追っ手たちは木の葉越しに空を見ていた。瑠璃(るり)色に変わりゆくそこに薄い雲が浮かび上がろうとしている。

「さて、こっちも限界が近い。そろそろ落ち着いただろう。隙(すき)をついて――。」

　二人はぎょっとした。完全に油断した。さっきまでは後ろから寄りかかっていただけが ――！

「しまった、あいつ血迷ったか ――！」

　噛みついている・・・!?