第5話

文字数 2,845文字

そして、丸木さんに話を聞きに行く日が来た。場所は丸木さんの事務所、と言っても自宅の中のちょっとしたスペースだけど。涼と2人、最低でも2時間はかかることを覚悟して。

「ハレとケって言葉を聞いたことあるかい?江戸時代、普段の日常を『ケ』、非日常を『ハレ』と言ったんだけどそれともうひとつ『ケ』は日常に人間が生きていくエネルギーという意味でもあり、悩んだり病気をしたりすると『ケ』が枯れる、つまり『穢れ』になると言われてたんだよ。その『ケ』をまた充満させるために、普段の生活と違う『ハレ』を用意したんだ。今でも、『晴れ舞台』『アッパレ』と言うだろう?『ハレ』の日は神様をステージに迎えて一緒に過ごし、お供えを配って、いわば神様と人間との饗宴でエネルギーを取り込んで減って来た『ケ』を補充するんだ。祭りはまさに『ハレ』の日。神様をお迎えする儀式が『御霊入れ』で、地元の神社の神主に神輿の中に魂を入れてもらうんだ。御霊入れはその場面を見たら目が潰れる、と言われていて神主が入れている間はその様子を付き人が榊で隠しているよ。輿太郎とかにとっては、突拍子もない話に聞こえるだろうけど、本当に大事なものや真実は案外と目に見えないもんじゃないかな。今の時代はなんでも目に見えるからそれが全てである、と思いがちだけど、目に見えないことを感じたり、怖れる気持ちを覚えておくことはこんな時だからこそ大事だと思うんだ。昔は、隠れて悪いことをしようとすると『お天道様が見ている』ってよく言ったもんだ。祭りは神様との饗宴、と言ったけど同時に神様を怖れるものでもあるんだ。人間は『祟り』によって神様を感じて、それを鎮めるために祭りをするという意味もある。
見てはいけない、というのは御霊入れに限らず、高貴なものは直接目に触れてはいけない、という教えもあるんだ。だから神輿の神様のいる場所には瓔珞っていうカーテンみたいのがかかっていて、直には見られないようになっていて。時代劇とかで殿様や偉い人の前には薄いカーテンがかかっているのを見たことあるかい?それは御簾というんだけど、やはり一緒の意味なんだな。そして神様が宿った神輿が町の中を練り歩くことによって、その町に平和と繁栄をもたらしてくれるようにと祈るんだ。神輿は町内を練り歩いたら、最後に神田明神の境内に繰り込んで行くんだがそれを宮入と言うのさ。境内に入ってしばらくその場で神輿をゆさゆさと担ぐんだが、担いでる連中や周りで見守っている人たちの心が合わさった時に、神輿のてっぺんの鳳凰がまっすぐ御社殿を向いて神輿に付いている4つの房が綺麗に同じ動きをして、その後、5月のよく晴れた空に向かって神輿を持ち上げる、差す、って言うんだがその神輿を差した瞬間、神輿が笑うんだよ。まあそれは、さっき言った『目に見えないものを怖れる、そして信じる』って話なんだけど。
そういや、輿太郎のとこの舞は手古舞をやるんだろう?手古舞が持ってる錫杖って杖で地面を叩くとチャリーンって音がするだろう、その音っていうのは上にいる神様に『この場所にいます』ってことを教えているんだ。そうすると、神輿の中にも神様がいるのになんでまた上にも?って思っちゃうけど、日本は昔から八百万の神様がお祀りされているって言うように山や森や海の中、ちょっと前にトイレの神様って歌もあったけどどこにでも神様がいる、って考えなんだよ。八百万ってのは『数えきれないほど』って意味。千と千尋の神隠しって映画もそれを表しているよな。手古舞の錫杖の音と同じように、山車もより高く作ることによって天に近づけて神様にわかりやすくしてるんだ。今は祭りといえば神輿だけど、昔は山車がメインだったんだ。道路事情とかでだんだんと山車の往来が難しくなって。
まあ、とにかく、祭りはいいもんだよ。4月に入ったらもう祭りが始まったような皮膚感覚だし。5月になれば神田を皮切りにあちこちで祭りがあるけど、シーズン最初ってのがいいよな。神田の人間は祭りバカだけど、バカと言われても、そう俺バカなんだって笑い飛ばせる良さがある。なんだかんだ祭りがめんどくさい、とか文句言ったり、それぞれ考えの違いはあっても、誰も祭りをやめよう、とは言わないしな。心楽しく、でも、ただ面白いというんじゃなく、嫌な思い出が残らないよう、終わったら良かったね、と言い合えれば最高さ。
ずっと昔、戦争で焼け野原になった時も、祭りがあるから気持ちの張り合いが出来てだいぶん救われたって聞いたし、都電が道路の真ん中を走っていた時期は『神輿が通るから』って神輿が通り過ぎるまで都電を止めてもらって、無理矢理止めさせたようなもんだけど、でもあの頃はおおらかで楽しかったなぁ。この土地を離れて行った人も祭りの時には戻って来たり、祭りは心のふるさとなんだ。ただ、最近はここいらも新しい人も増えて来たし、世代交代っていうか次の世代に祭りも受け継いでもらっていかなきゃそのうち廃れていってしまうし、いつまでも古い人間が幅を利かせているようじゃあダメなんだ。新しい人たちにも興味を持ってもらえる祭り、町会にならないと。なかなかいい方法が浮かばないんだけどな」

てな感じで、丸木さんオンステージ、熱弁をふるってくれた。最初こそ何から喋ったらいいんだいと言っていたけど、一旦始まったらトークが炸裂。神輿が笑うくだりは、わかったようなわからないような感じだったけど、子ども相手で多少は遠慮してくれたのか1時間半で終了した。
帰り道、涼が「丸木さんってかっこいい、あれは本当の江戸っ子だね。祭りに参加するのが楽しみだ」と。ちょいスピリチュアルがかってるけど、僕も神輿が笑うっていうのがどうにも気になって、家に戻って母さんに自分の町会の宮入の時間を聞いたら、朝早い時間で運良くその日はサッカーも近場で午後からだったので「祭りに行こうかなぁ」と言ったら、母さんが「へーえ、珍しい」と言いながら嬉しそうだった。その後、父さんが帰って来て祭りに参加することを伝えたら「ふんどし締めるか?」と聞くから、「ふざけないでくれよ」と言い返した。冗談じゃないっつーの、ふんどしなんか。そんな姿をうっかり誰かに撮られてSNSなんかに投稿されたらヤバいなんてもんじゃない。黒歴史どころじゃない。人生詰む。そしたら母さんが「パパ、もし今度のお祭りでふんどし締めるつもりだったら悪いこと言わないからやめた方がいい、お尻も垂れてきてるしみっともない」とピシャリと。父さんは反論もせず、しょんぼり。どうやらふんどし締める気満々だったようだ。それから、まあふんどしは嫌ならいいけど、輿太郎だって神田の人間の端くれとして、普段着で祭りに参加するわけにいかないからと祭り衣装の用意。鯉口、股引、腹掛けは父さんのお古、地下足袋だけは買うことにした。さすがにそこまでやってスニーカーはないから。半纏はおじいちゃんのものなんかもまだあるから、それを着ることに。


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