RESIST 2「大炎上」

文字数 8,429文字

 地の果てでぐずぐずに崩れ、空一面が焼けただれている。消えゆく陽は緑まばらな、焼け跡のような野を黒ずませて、どこへともなく歩く二つの影を飲み込もうとしていた。
 右手の短剣を下げ、黙々と後を追うノラ……それを振り切ろうとする、こん棒を担いだラル……少しでも開けた方へ、開けた方へと進むうちに森を出て、見渡す限りの荒野をふたりは歩き続けていた。
 それにしても、ここは……――
 どこだろう、とノラは、影絵になっていく景色を見つめた。この辺りに足を踏み入れたことはない。マップはガイトが持っているので、大まかな現在位置を知ることもできなかった。日が沈んで、真っ暗になったらどうなるのだろう。対象を見失うこともそうだが、モンスターに襲われたら、と考えると不安は深まるばかりだった。最近はアンデッドが増えたそうで、ノラはガイトのお供でゾンビ討伐ミッションに参加したこともあった。痛みも感情もなく、ひたすら迫ってくる腐った怪物の群れは、今でもありありと脳裏に浮かぶ。むせそうな腐敗臭までよみがえって、ノラはぞくぞくっと身震いした。あのようなモンスターに遭遇したくはない。さっさと始末して帰ろうか、そう思いながら歩くノラは、相手がどこかに急いでいることに気付いた。
 一体、どこに……――
 疑問はすぐに解けた。薄暗い行く手に、ぽつんと明かりらしきものがある。どうやら家の明かりのようだ。短い足はそこへとまっすぐ向かっている。
 まさか、助けを……――
 だが、オークはモンスターだ。誰が助けてくれるだろうか。驚いて逃げられるか、あるいは殺されるか……そう考えると、おのずと足が速まった。自分は、あのオークを仕留めるように命じられている。この手でやらなければならないのだ。両手で握られる短剣――しかし、一向に距離は縮まらず、そのうち明かりはカントリー調の柵に囲まれた、それなりに広い庭付きログハウスの窓からと分かるまでになった。
「あっ!」
 思わずノラは声を上げた。柵の向こうは菜園で、ぷっくりとした実で一杯だった。そこに入り込んだラルは豆のさやをもぎ、ミニトマトにも手を伸ばしてがつがつする。他の畝には支柱に支えられたナスやピーマン、ニンジンやジャガイモも植えられていた。
「ちょ、ちょっと……」
 柵の外で、ノラはおろおろした。急いでいた理由はこれだった。よほど腹が減っていたのだろう。むさぼる姿を見ていた方も腹が鳴り、どうしたらいいのか、と考えあぐねていたところ――
「何をしているっ!」
 かっ、と光を向けられ、ノラはびくっとした。クラリネットを激しく吹くような声の主は、数メートル離れたところからランタンをかざしている。細身の影は、どことなく花のつぼみに似ていた。
「も、申し訳ありません!」
 右手の短剣を消し、深く頭を下げるノラ――それは条件反射のようだった。ランタンが近付き、中性的なシルエットがいぶかしげに問う。紫のマッシュボブ、男とも女ともつかない顔立ちで、褐色肌に半袖シャツ、ズボン、ブーツという、菜園に似合った格好をしている。
「君は誰だ?」
「ノラと申します。ドールです」
「ドール? それじゃ、――」
 ランタンが、咀嚼している姿を照らし出す。
「こっちは君のマスターなのか?」
「い、いいえ、違います。それはオークです。本物のオークです」
「オークだって?」
 青年は一歩下がって、侵入者たちをよく照らした。
「一体どういうことなんだ? ドールとモンスターが、しかも畑を荒らすなんて……」
「大変申し訳ありません。その、お腹が空いていたみたいで……」
 柵越しに小さくなるノラ、それを横目にラルはもぐもぐし、ごくんと飲み込んだ。青年はため息をつき、被害現場をあらためて照らした。
「手塩にかけて育てたんだぞ、まったく……ああ、ひどいな……」
「本当に、本当に申し訳ありません」
 ノラは、いっそう深く頭を下げた。もう少しで土下座しそうだった。止められなかった自分が悪い、そう考えた。そうした姿に青年も強くは言えず、こん棒片手の野ブタ面に視線を転じた。
「このオークを追ってきたのか?」
「はい、そうです」
「殺すために、か?」
「……その、何となく……」
 ノラは口ごもった。なぜか、はっきりと答えられなかった。青年はまたラルを、じっと見つめ返す瞳を見た。
「……お腹が空いていた、か……」
 そうつぶやき、青年はランタンを下ろした。
「事情はさっぱりだけど、とにかく殺生はしたくない。ぼくは、シーズァだ」
「はい、シーズァ様ですね」
「やめてくれよ」
 シーズァは首を左右に振って、ノラのメイド服姿に眉をひそめた。
「様とかいらないよ。シーズァでいい」
 シーズァはログハウスの方に戻って、ランタンを腰のベルトに下げ、がむしゃらに茂った木から実を二つもぎ取った。
「こっちの方が美味しいぞ」
 近くに招き寄せ、それぞれの手に投げられたそれは、小振りのリンゴだった。ラルはたちまち芯まで平らげ、ノラは恐縮しながら一口ずつかじった。しゃりっとした歯応えの、悪くはない甘みだった。辺りはすっかり真っ暗で、ぽつぽつと星がともっていた。
「……それで」
 シーズァは観察するごとく、それぞれに目をやった。
「君たちはどこに行くんだ?」
「それは……」
 ノラは答えに窮し、ラルの方を見た。ラルは地べたに足を投げ出し、まぶたを重そうにしている。腹が膨れれば眠くなる。考えてみれば、ここまでまともに休んではいないのだ。
「知っているかい? 最近は、アンデッドがやたら出没すること」
「はい、知っています」
「うーん……」
 思案顔で、シーズァは夜陰を見回した。その目が、ぱっと明るくなる。
「サンクチュアリだ」
 指差された方を見て、ノラは一重の目を丸くした。はるか北の空がオーロラさながらに輝き、陽光と緑あふれる楽園のような地が揺らめいている。見上げたラルの目からは眠気が吹き飛び、ぽかっとした口の上で鼻孔が広がっては縮む。それはまさに神秘、具現化した幻想という表現がふさわしかった。
「見るの、初めて?」
 と、シーズァが聞く。
「はい。あれは何ですか?」
「サンクチュアリ、侵されることのない聖域だってさ。ヘーブマウンテンって、北の果てにある山の頂から行けるらしい」
 遠い憧れのごとく口にし、目を奪われているうちに薄れ、天空のパラダイスは見えなくなってしまった。しかしラルたちの瞳からはいつまでも消えず、そのせいで今までとは見え方が変わったかのようだった。
「君たち、今夜はうちに泊まっていきなよ」
 唐突な言葉に視線を転じると、シーズァがのぼせたような顔をしていた。
「知ってるだろ、夜はモンスターとのエンカウント率が上がるって。そんなところに放置はできないからな」
「えっ! あの、わたしたちですか?」
「そうだよ。君とその子だ」
 遠慮するノラだったが、ラルは階段からテラスに上がって、丸太で組み上げられた家屋に入った。シーズァの呼びかけ、手招きに害はなさそうだったからだ。そこはキッチン付きのリビングルームで、その奥の作業台には様々な素材や道具が置かれ、作りかけのアクセサリーらしき物もある。隅の、バケツ並の鉢からは、尖ったハートの葉がいくつも広がっていた。結局ノラも入ってきて、勧められたソファにぎこちなく腰を下ろす。
「立派なお家ですね」
「ありがとう」
 シーズァは微苦笑し、キッチンからペットボトルを両手に持ってきた。
「建築材料をそろえて、見よう見まねで建てたんだ。けっこう苦労したんだよ。さ、この水をどうぞ。喉が渇いているだろ?」
「お心遣い、感謝致します」  
 丁重に礼を言って、ノラはペットボトルを受け取った。その横で、ラルがごくごくと飲み始める。
「それにしても……」
 シーズァは、ふたりを不思議そうに眺めた。
「こんなのは初めてだな。オークは群れで行動するし、ドールは大抵マスターと一緒だろ」
「申し訳ありません……」
「とがめているわけじゃないよ。ただ、珍しいなって……訳ありなんだろ、とりあえず、ゆっくりしたらいいよ」
「ありがとうございます」
 両手で持つペットボトルを、ノラは見るともなく見た。中の水越しに、自分の指が柔らかに膨れている。
「……ノラって言ったね。君は、ドールシステムをどう思っているの?」
「えっ?」
 思いがけない問いに、ノラは目をぱちくりさせた。
「……どうとは、どのような意味でしょうか?」
「いや、その、君たちはジェネレイトされてすぐに売られ、マスターに仕えることになるだろ。良心的なマスターもいるだろうけど、ほとんどは奴隷としか考えていない。そして用がなくなれば、また売られるか、あるいは捨てられてしまう……そうしたドールは、野垂れ死にすることもあるそうだ。そういったことについてだよ」
「……他のドールのことは知りませんが、いずれにしても仕方のないことだと思います」
「仕方のないこと?」
「ドールは、マスターの所有物です。必要がなくなったら捨てられるもの、そう教わりました」
「違うよ!」
 あえぎ、跳ねる魚のような声に驚き、ノラはシーズァを見上げた。
「ごめん、大きな声を出して……ドールシステムなんて、金儲けの手段じゃないか。ドールシステムだけじゃない。何もかも運営が作ったものなんだ」
「作ったもの……」
「君たちは知らないかもしれないけど、ここは〈MONSTER RESISTANCE〉ってオンラインゲームの中なんだよ。君のマスターやぼくはプレイヤーといって、普段は外の世界で暮らしているんだ」
「それは知っています。あの……」
 言葉に詰まって、ノラの唇は緩んだままになった。
「……ご主人様が、いつも言っていましたから。忙しいとか、次はいつログインするとか……」
「そっか……考えてみれば、そうだよな……」
 シーズァはひとりでうなずき、ふと目を横にやった。そこではラルが話に背を向け、丸くなっていた。かすかに寝息を立てていても、こん棒はしっかりと握り続けている。
「……オークの寝顔なんて初めてだな。ねぇ、この子に名前はあるの?」
「な、名前、ですか? ない、と思います……」
「ない、か。それじゃ、そうだなあ……ラルでどうだろう?」
「ラル?」
「うん。何となく、ラルって感じだろ?」
「あの、お、お任せします」
 ノラは、横目で隣を見た。焦げ茶色の体毛とともに、胸が穏やかに上下している。ラルと名付けられたことで、いっそう存在感が増したように感じられた。
「ノラもラルも、よかったらずっとここにいていいよ」
 シーズァは腕組みをし、どことなく嬉しそうにうなずいた。
「君たちふたりくらいどうってことないよ。うん、それがいい」
「あ、あの……」
 戸惑うのをよそにシーズァは、寝るところをどうしようか、などとぶつぶつつぶやいている。そのとき、遠くから吠え声らしきものが聞こえた。ノラが凍りつき、瞳から光が急激に失われていく。その横で三角耳がびくっとし、がばっ、とラルが飛び起きた。こん棒の柄を両手で握る顔つきは、天敵を間近にした被捕食者のそれだった。
「どうしかした?」
 ただならぬ様子に驚き、シーズァは窓の外をうかがった。真っ暗な闇に鬼火のようなものが浮かんでいる。凶暴な咆哮とともにそれは近付き、赤々と燃えるたいまつの炎だとはっきりする。掲げているのは、赤く照らされた悪鬼にも見えた。
「いるんだろ、クソブスっ!」
 怒鳴り声が窓ガラスを震わせる。聞き間違えようもなく、それはガイトだった。木製門扉の前から、再び怒声の砲撃が加えられる。
「忘れたのか! 位置情報はナビマップで丸わかりなんだぞ! はっ、Cランクはどうしようもなくバカだな! さっさと出てこないと、ただじゃおかねえぞっ!」
「……あれが、君のマスターか?」
 嫌悪あらわに振り返ったシーズァは、ペットボトルが床を転がり、今にも吐きそうになっているノラを目にした。ぶるぶると体を丸め、両手で口を押さえたその顔は、魂が抜けかかっているようにも見える。怪訝そうなラルの視界で、シーズァは曲がった背中に駆け寄った。
「だ、大丈夫か?」
 声をかけられても、ノラの目は見開かれたままだった。吐きそうなのだが、吐きたくても吐けないようで、繰り返し背中をさすられても苦しみが続く。その間も外からは聞くに堪えない罵りが投げ込まれる。
「いい加減にしろっ!――」
 激して、シーズァは玄関から飛び出した。テラスから、木製門扉の向こうを怒鳴りつける。
「人の家の前で騒ぐな! 迷惑なんだよっ!」
「ふん、てめえが家主か」
 たいまつを突き出し、ガイトがシーズァをにらむ。
「てめえ、女か? それとも男かよ?」
「そ、そんなこと、お前に関係ないだろっ!」
「まあ、アバターだからな。中身はおっさんかもだが、JKならオレは嬉しいぜ」
 たいまつで照らし、ガイトがじろじろ眺める。虫唾が走ったシーズァは、カメラドローンで撮影されていることに気付いた。
「勝手に撮影するな! 肖像権の侵害だぞ!」
「うるせえな。ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」
 せせら笑って、ガイトはそばに浮かぶ配信画面をチェックした。
「視聴者の皆さんも同じ意見だな。お前、生意気だってよ。泥棒の分際でな!」
「泥棒だと?」
「そうだよ、泥棒だよ。オレ様のドールを、その安っぽい家に隠してんだろ? それでてめえ、あいつにどんなことしやがったんだ? 前からとか後ろからとか、上の口か下の口か、あんなことかこんなことか。いろんなプレイがあるもんな、へへっ!」
「貴様なんかと一緒にするなっ! 今すぐ消えないと運営に通報するぞ!」
「おー、おー、イキがっちゃってよお」
 にやにやしながら、ガイトはコメント欄を一瞥――
「とにかく、今すぐオレ様のドールを返せよ。そのうえで土下座なら許してやるかもな」
「ふざけるなっ!」
「図に乗るんじゃねえぞ、てめえ!」
 たいまつがぶん投げられ、マッシュボブをかすめて玄関ドアに当たる。そしてガイトの両手の平から発火し、ソフトボール大の火の玉になった。シーズァの制止を無視し、右手の方は菜園、左手の方はリンゴの木に飛んで、むさぼりながら燃え上がっていく。さらに手の平から新たな火の玉が生じる。
「新しく覚えたファイボだ。この貧乏臭い丸太小屋、灰にしてやろうか」
「貴様、そんなことしたらBANされるぞ!」
「ははっ、また脅しか? まったく情けない奴だぜ。BANされるかどうか、試してみようじゃねえか!」
 待ってください、とかすれた声が割って入り、よろよろとノラがテラスに出てくる。その後ろでは、こん棒を構えたラルが低くうなっていた。
「やめてください、ご主人様……シーズァ様は助けてくださったのです。乱暴はなさらないでください……」
「何様のつもりだ、クソドール」
 両手の火の玉が、ごおっ、と火力を増す。
「このオレ様に指図とはな。てめえがバックレなきゃ、こんな面倒になってねえんだよ! そこのオークと仲良くなって、一緒に逃げようとでも思ったか?」
「い、いえ、そうでは……」
「どうでもいいぜ。とにかくてめえは、そいつをぶっ殺してないんだからな。この役立たずがっ!」
「も、申し訳、ありま……」
 ごぼっ、とこみ上げ、ノラはテラスにしゃがみ込んだ。喉が詰まって、首を絞められているように目の前が暗くなっていく。もがくこともできず、かすかに震えながらこわばるばかりだった。
「へっ、仮病かよ。いつからそんな悪知恵がついたんだ? もたもたしてねえで、とっとと戻ってこい! 出来の悪いてめえをたっぷり教育してやるからよ!」
「ダメだっ!」
 シーズァがはねつけ、ぱっ、と出した細身の剣――レイピアをためらいがちに握る。
「てめえ、やる気か」
「帰ってくれ……戦いたくなんか、ない……」
「やりたくてたまんねえんだよ、オレ様はっ!――」
 両手から炎の塊が飛び、びくっと構えたレイピアの左右で外壁にぶつかり、窓ガラスをぶち破った。振り返ったシーズァの瞳を赤く染め、窓枠を焦がしながら炎が噴き出してくる。
「よそ見してんなよっ!――」
 木製門扉を蹴破って、ガイトからの一太刀――レイピアでしのぐシーズァに二太刀、三太刀と続く。その間にも火勢は増していき、熱い煙が吐き出されてくる。
「はっ、早く逃げろっ!」
 ガイトをけん制し、シーズァが叫ぶ。ラルがテラスから跳び、ノラもよろめきながら庭に下りて、炎と化したリンゴの木の脇を抜けていく。シーズァもすぐにその後を追った。柵を乗り越え、コールタールのような暗闇をひた走っていく。その後ろで炎はかがり火さながらに燃え盛って、ガイトが太刀を振りかざしてずんずん迫ってくる。
「逃がさねえぞっ!」
 左手からの火の玉がかすめ、眼前で炸裂してラルの、そしてノラの足を鈍らせる。それにつられたシーズァが振り返ると、獰猛な火炎が襲いかかってきた。
「うわああっっ!」
 悲鳴を上げ、我が身をかばおうとするシーズァの半袖シャツ、ズボンが燃え、褐色肌や紫の髪が焼け焦げていく。その光景はまさに丸焼きだった。焦げ臭さが鼻を突き、ノラはがたがた震え、ラルは両手でこん棒を握り締めながら立ち尽くしていた。
「はははっ! 燃えろ、燃えろ! 燃えちまえっ!」
 火炎放射――火魔法ファボーを放ちながら、ガイトは爽快そうに声を上げた。レイピアを落し、もがく火だるまをカメラドローンが食い入るように撮影している。
「おらおらっ! 死ね、死ねっ! このくそったれ――」
 野蛮なはしゃぎ声が途切れ、がくっとシーズァが膝をつく。嬉々としていた火炎どころか、荒ぶる金髪の悪鬼、カメラドローンまでもが瞬く間に消えてしまった。あまりの不可解さにラルは目を疑い、どこへ行ったのか、ときょろきょろした。
「あ、シ、シーズァ様っ!」
 駆け寄って、ノラはありったけの力でヒーリをかけた。回復魔法によって、焦げた肌が水ぶくれから赤みに戻り、ぼろぼろの半袖シャツやズボンも元通りになっていく。そしてようやく、シーズァは生き返ったように息をついた。
「あ、ありがとう……」
 レイピアを拾い、ふらふらと立ち上がって、シーズァは空中ディスプレイを表示させた。ぱっぱっ、と画面が切り替わっていく。
「アカウント停止か……」
 通知欄を見ながら、シーズァは肩の力を抜いた。
「ざまあない。ダメ元で通報した甲斐があったな」
「……どうなったのですか?」
 奇跡を目の当たりにした顔のノラに、シーズァは説明した。加害行為を運営に通報し、認められたことでガイトはペナルティをくらったのだ。
「……だけど一時的なものだから、いずれ復活するだろう。ともかく助かったんだ」
「そう、なのですね……」
 ふたりのやり取りを、ラルはそばから見上げていた。どうやら危険は去ったらしい、とこん棒を下ろす。向こうの暗闇では、もうもうと煙を吐き、炎を踊らせながらログハウスが葬られていく。
「ああ……」
 遠目に見て、シーズァが嘆息すると、ノラはひざを折って地面に額をこすりつけた。
「本当に申し訳ございません。どのような償いでも致します。何なりとおっしゃってください」
「いいよ、そんなこと……」
 シーズァはノラを立たせ、白のニーソックスについた土を払ってやった。そして、焼け落ちていく様に肩を落とした。
「……悪いのは、あのクソ野郎だろ。ともかく、君たちが無事でよかったよ」
 そう話す顔は、どこかうっとりしていた。いぶかしげに眺めていたラルの、とんがり耳が、ぴくっ、とする。ぴくっ、ぴくくっ――見渡す限りの闇にこん棒を持ち直し、突き出た鼻をひくつかせる。ひどく嫌な臭いがした。蛆や蠅が好みそうな、胸の悪くなる悪臭が暗闇から漂ってくる。
「どうかしたのか?」
 だが、シーズァもすぐに異変に気付いた。ノラもそちらに目を凝らす。ぐちゃっと腐った臭いを放って、闇でうごめく影がある。一体二体ではない。もっとたくさんのそれらが、ずっ、ずっ、と何かを引きずってくる。シーズァは、ためらいがちにランタンを突き出した。
「うわっ!」
 叫び、ランタンが激しく揺れる。明かりに浮かぶ白濁した瞳、ぽっかりと半開きの口、顔から四肢までどろどろに崩れ、骨格がいびつにゆがんだおぞましい姿は、動く腐乱死体そのものだった。
 ゾンビ――
 足を引きずってくるそれらは、アンデッドにカテゴライズされるモンスターだった。光の届かないところにどれだけいるのか。十数体か、それ以上なのは間違いない。闇の空を赤く染める炎に引き寄せられてきたのだろう。
「こ、こっちだっ!」
 レイピアを振り、シーズァがゾンビを蹴り飛ばす。そちらに走るラルは、ぐわっ、とつかみかかってきた影を殴りつけた。こん棒は腐った顔を直撃し、がくがくっ、と崩れさせる。ノラもまた、土塊を飛ばしてシーズァをサポートする。ランタンの明かりを揺らし、それぞれは群がる死の手から逃れようと一心不乱になった。
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