RESIST 6「死の女帝」

文字数 13,444文字

 ランタンの明かりに照らされ、ぼこぼことした岩肌が浮かんでは消えていく。腫瘍だらけの産道じみた洞窟はうねり、のたくって、蜘蛛の巣状に入り組みながら闇の奥にいざなっていた。波打つ足元を黒ブーツで、とっ、とっ、と踏む大鎌少女の背に続く、こん棒を担いだラル、ランタンをかざすシーズァ、遅れまいとするノラ――
 大鎌少女の名は、ジョエンタ――
 プレイヤーに捨てられた、浮浪ドールだという。いい逃げ道がある、と言われ、半信半疑ながらラルたちはついてきたのだが、こんな地下迷宮とも言える洞窟に入っていくとは思わなかった。
 地下鉄の連絡通路並みだったものが、地下街に至ったかのように開ける。真っ暗な天井を仰ぎ、すう、と息を吸いかけたラルは、何やら寒気のする臭いにしわを寄せた。
「うわっ!」
 ノラが悲鳴に近い声を上げ、暗闇でかすかに反響する。どうしたのか、とランタンを向けたシーズァはぞっとした。ノラの足元には、人骨らしきものが散らばっていた。周りをよく照らしたところ、砕けた頭蓋骨、大腿骨や肋骨の一部らしきものがそちこちにある。驚いていると、大鎌を右肩に担いだジョエンタがこともなげに言う。
「この地下洞窟の一部は、地下墓地として使われていた。そういう設定ということね。だから、驚くようなことではありませんわ」
「はあ……」
 シーズァは、ランタンでジョエンタを照らした。暗赤色の髪をハーフアップにし、黒のカチューシャで押さえた、ゴシック・ファッションのトップスにフレアパンツ――大鴉の頭部に似た刃の大鎌と合わせると、まさにサブカル系の死神少女といったところだ。年齢はノラとそう変わらないはずだが、ひどく冷めきった瞳のせいで大人びて見える。こうしたまなざしは、やはりプレイヤーのせいなのだろうか、とシーズァは見つめた。一方、ラルは別の興味を抱いていた。初めてという気がしない、以前にも覚えがある、そんな感じがするのだ。そのことを確かめたいのもあって、ここまでついてきたのだ。今までのところいくら凝視し、嗅いでもはっきりしないが、どうもそれはジョエンタの背後からのようだった。
「申し上げましたように、地下洞窟(ここ)はあちこちにトラップが仕掛けられています」
 ハーフアップを揺らし、ジョエンタが闇の奥を向く。
「うっかり命を落とさないよう、ジョエンタについてきてください」
「どこに連れていくつもりなんだ」
 ランタンが、ゴシック・ファッションの後ろ姿を照らす。
「どんどん地下に潜っていくみたいじゃないか。ぼくたちは、サンクチュアリに行くんだぞ」
「もうじきです」
 振り返らずにそっけなく答え、大鎌が暗闇を進んでいく。トラップのある、地雷原のようなところを今さら引き返すことはできない。ラルたちは、仕方なく後に続いた。もうじき、だそうだが、すでにかなり歩いている。ウェラー、アラリーで消耗しているにもかかわらず、ここまでろくに休んではいない。メガギガドリンクも飲んだが、それだけでは足りなかった。
 そろそろ、ログアウトしたいな……――
 リアルの時刻を確認し、シーズァは口の中でぼやいた。明日はまた仕事、差し支えるようなことは避けたい。ノラは黙っているが、その歩みは疲れで重たげである。それらの先に立って、ラルはこん棒を担ぎ直し、ふんっ、と足を前に出した。この奥に何かがある。自分を呼ぶものがいる。そうした感覚に引き寄せられていた。
 黙々と、なるべく骨を踏まないようにしばらく歩く。と、前方にぽつんと光が見えた。
「あそこです」
 ちら、とジョエンタが振り返る。ようやく見えたゴールにラルは前のめりになった。ノラとシーズァも、もう少しだ、と疲れを押す。ジョエンタはぐんぐん足を速め、行く手の光と一つになっていく。そして――
 足を踏み入れ、ラルは、うがあっ、とのけぞった。一足遅れて、ノラ、シーズァも仰天する。ここまでが産道だとすれば、子宮といったところだろうか。足元はもとより、左右、頭上も乳白色の泡のような、広大な大空洞にはアンデッドがひしめいていた。むせそうなほど腐敗臭が立ち込め、むき出しの関節が耳を聾するほどきしんで、おどろおどろしい怨霊が蚊柱のごとく飛んでいる。ゾンビ、スケルトン、ゴースト――ざっと見たところ、数千体はいるだろうか。ぐるる、とラルがこん棒を振り上げ、ノラとシーズァが身構えたところ、くちばし形の刃がそれを制す。
「心配ありません。どうぞ、こちらへ」
 ジョエンタが進んでいく。すると、湖が割れるようにゾンビ、スケルトンが道を空ける。頭上を覆うゴーストもおとなしく見下ろしている。ためらっていたシーズァは、行きましょう、とノラに促された。
「どうにかするつもりなら、とっくにやられています」
「そ、そうだな……」
 すでにラルはこん棒を下ろし、しかし柄をしっかり握って続いている。こんなところに取り残されたくない、とふたりは早足になった。ぼこぼこの地面が、やがてなめらかになっていく。前方では光がそびえていて、近付くと崩れかけの神殿らしきものと分かった。この建造物が、大空洞内を月明かりのように照らしているのである。ジョエンタの後からところどころひび割れ、欠けた階段を上がって、石柱の間を通ると薄暗く、冷え冷えとしていた。
「あっ」
 と、ノラ。正面奥、一段高くなったところで誰かが椅子に座し、その左右でかがり火が焚かれている。そして、揺れる炎で赤くぎらつく大鎌、ゴシック・ファッションが向かい合って、さながら王の御前のように並ぶ。それら十数名、顔形、背丈は違えども、いずれもジョエンタと同じ雰囲気だった。
 似た臭いがする、とラルは鼻をひくつかせた。生きてはいる。生きてはいるのだが、アンデッドと似た臭いが感じられた。ジョエンタと同じく――
「ネクロマンサー部隊です」
 振り返って、ジョエンタが紹介する。ネクロマンサーとは、アンデッドを作り出す魔術師のことである。
「そして、ここにいる全員が、プレイヤーに捨てられたドールです」
 ああ、とシーズァが嘆息を漏らす。捨てられたドールは、糧を得るために単身モンスターと戦うか、それだけの力がなければ、物乞い、あるいは身を売るしかない。それでもどうにもならず、野垂れ死にする者も少なくないという。そうした話をガイトから聞かされてきたノラは、ふうっ、と目の前が暗くなった。めまいに襲われ、そのままさらわれそうになる。ひょっとしたら、自分もそうなっていたかもしれない。こうして大鎌を手にしていたかもしれない。そうしたことが渦巻いて、また吐き気がこみ上げてきた。
 ぶいっ――
 鳴き声で、一重まぶたが上がる。素朴な瞳が、大丈夫か、とのぞき込んでいた。ノラはその、ラルのまなざしを見つめた。にらみ合ったことはあったが、こんなふうに見つめられ、見つめたことはなかった。
「……あ、ありがとう」
 ふっ、と鼻を鳴らし、ラルの視線が前を向く。ジョエンタの後から一歩一歩、大鎌の間を進んでいくと、かがり火を左右に座っている姿が見えてくる。ウィンプルというヴェールをかぶった、黒いワンピースにブーツという、修道服っぽいゴシック・ファッションで、神官や巫女をほうふつとさせる。その傍らには手まりくらいの、青い火の玉が浮かんでいて、それに照らされた顔は――
 ラルは、一瞬固まった。黒いヴェールの下の顔が、ブロックノイズ状にあちこち崩れている。後ろのふたりも息を呑む。ワンピースの袖から出て、ひじ掛けに置かれた細い手も同じだ。遠目では分からなかったが、玉座風の石椅子はかなりひび割れていた。
「エリーザ様であらせられます」
 ラルたちに向かって告げ、ジョエンタは主に一礼し、恭しく脇に下がった。瞬きし、シーズァが自分たちの名を伝える。段の下、石椅子から少し離れたところから、ラルはまっすぐエリーザを見た。まなざしは崩れておらず、きれいで、とても哀しげだった。
 やはり、初めてではない。
 ラルは確信した。そう、あのとき……自分を呼んだのは、この人物ではないか……――
 ひじ掛けから両手が上がって、指揮者のごとく舞う。と、そばに浮かぶ青い火の玉から平板な声が聞こえた。
『ようこそおいでくださいました。まずは、このお見苦しい姿をお詫びします。データの破損が進行しているのです。声を出せなくなったので、今はウィル・オ・ウィプスに手話を音声変換してもらっています』
「……あなたも、ドールだったのか?」
 シーズァの問いにうなずき、手の動きはわずかに強くなった。
『このような崩れから、捨てられたのです。これはバグです。私は、あなた方と同じバグなのです』
「同じ、バグ……」
 シーズァが繰り返す。
『ドールとして、モンスターとして、そしてプレイヤーとして、本来とは異なった挙動をする。それはバグ以外の何ものでもありません。だからこそ、私はあなた方を見守り、ここにお招きしたのです』
 そこまで語って、エリーザは苦しげに息をついた。脇からジョエンタが気遣うと、右手が、心配いらない、といったふうに上がる。
『……皆さん、お疲れのことでしょう。休める場所を用意してあります。ゆっくりしていってください』
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 シーズァが、一歩前に出る。
「なぜ、ぼくたちをここに連れてきたんだ?」
「エリーザ様は、お疲れなのです」
 ぴしゃりと言って、ジョエンタがにらみつける。
「あなたたちに手を差し伸べようという、エリーザ様のご厚意です」
『ジョエンタ』
 ウィル・オ・ウィプスからの声で、ジョエンタは頭を下げた。
『失礼をお詫びします。私は、同じバグとしてあなた方を助けたかったのです』
 そしてまた苦しげに息をつき、両手がひじ掛けに戻った。病人に無理をさせるようで、シーズァは食い下がれなかった。ノラはノラで、頭がいっぱいという表情である。ジョエンタが軽く右手を振ると、スケルトンが関節をきしませながら入ってきた。
「彼がご案内します。どうぞ」
 速やかにお願いします、と言わんばかりにジョエンタが手で促す。エリーザを見つめていたラルは、シーズァに呼ばれ、手招きされてようやく従った。
 ラルたちは大空洞の一隅、コテージ風の建物に案内された。観光地にあるような、しっかりとした丸太組みだ。スケルトンが立ち去ると、ラルはさっそく寝床に飛び込んだ。柔らかなベッドで、こん棒と一緒に安らぐ。ノラとシーズァが、リビングからキッチン、洗面、トイレ、バスと見て回ったところで、スケルトンが食事を運んでくる。丸パン、缶詰のサラダ、スープ、ドリンクといったもので、グレイスには高価なエサがあった。
 外でグレイスを出すと、四肢を突っ張らせて伸び上がり、ふううっ、と長い鼻で深呼吸をした。ノラが巨体を撫で、手ずから高価なエサを与えたところ、あっという間に平らげてしまう。そして銘々丸パンをかじり、先割れスプーンで缶詰を食べて、ラルはさっさとベッドに潜り込んだ。
「ここから、わいていたんだな……」
 シーズァが窓辺をうろうろし、手のドリンクボトルをいたずらに揺らす。長椅子に腰かけたノラが、長テーブルの空き缶から視線を向けて――
「アンデッドですか」
「そうだよ」
 窓の外を見つめた瞳が、生けるしかばねと怨霊で満ちる。窓から離れて、ぐいっ、とシーズァはドリンクボトルを傾けた。ただの水ではあったが、気持ち悪さはいくらか紛れた。
「……あのネクロマンサーたちが作り出したんだ。よくもこれだけの数を……一体、何を考えているんだろう……」
 またボトルを傾け、シーズァは左手で顔をごしごしこすった。その顔、とりわけ目元は、疲れがいっそう濃くなっている。
「シーズァさん、もう休んでください」
 ノラが立ち上がって、いたわる。
「こっちは心配いりません。グレイスの世話もちゃんとやっておきます」
「あ、ああ、だけど……」
「わたしも、それなりにレベルアップしています。それに……」
「それに?」
「ラルもいますから。グレイスのことも守ってみせます」
 シーズァはノラをまじまじと見つめ、ふっ、と疲れた顔を和らげた。
「そうだね。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
 明朝、また顔を出すと言って、シーズァはログアウトした。ノラは空き缶、空のボトルを片付け、外に出た。グレイスがのっそり起き上がって、長い鼻で甘えてくる。それをノラは優しく撫でた。その向こうでは、ゾンビがふらふらうろつき、監視するようにゴーストが飛び回っている。
 そういえば、とノラは、ジョエンタのことを振り返った。その瞳は光を屈折させるガラス玉だが、自分へのまなざしにはまた違ったものが感じられ、そうした瞬間、なんだか沼をのぞき込んでいるように思えるのだ。
 ともかく、休めるときに休んでおこう……――
 ノラはグレイスを休ませ、玄関ドアを閉めた。そして深呼吸をして、ラルのいびきを聞きながら隣のベッドで横になった。


 がっ、とこん棒をくわえ、ラルは手頃な岩の出っ張りをつかんだ。ボルダリングよろしく、でこぼこの岩肌に手を伸ばし、足をかけ、重心移動しながら、ぐいっ、ぐいっ、とよじ登っていく。そして、座りのいいところに腰をかけ、こん棒を毛むくじゃらの膝に置く。この高さからだと大空洞が一望でき、ひしめき合うアンデッドたちもよく見える。ゾンビ、スケルトン、ゴーストといったモンスターが、ネクロマンサーたちによって地面、もしくは虚空から作り出され、出入口から次々と送り出されていく。そこかしこにトラップがある、という迷宮から地上に向かっていくのだろう。それはまるで、巨大な子宮からどんどん生み出されていくようだった。
 おのずと、ラルの体はこわばった。
 逗留して数日、その間にもアンデッドは目に見えて増えている。そして地上でプレイヤーを襲っているのだろう。その後に残るのは、破壊、もしくは死……そんなことを考えるほど、小さな頭は恐れでいっぱいになっていく。
 怖いのは、嫌だ……――
 ふうっ、とラルは嘆息した。今もあの惨劇が、同類が惨殺されていく光景が、脳裏から離れない。殺すのも、殺されるのも嫌だ。生き延びようとこん棒を振るってきたが、けっして望んでやっているわけではない。本当は、誰も傷付けたくない。なぜ、この世界はこんなにも暴力に満ちているのだろう……――
 あそこに行きたい……――
 サンクチュアリに行きたい、あの幻想的な空に昇りたい、とラルはうずうずした。こんな地の底に長居をするつもりはなかったが、外は危ないから、とエリーザに止められ、一日、また一日と延ばされて……コテージの方に目をやると、近くでノラがグレイスを散歩させている。重たげながら、その足取りには力がこもってきている。いっそう焦れったくなってきたとき、シーズァがコテージ近くにログインしてくる。ラルはすぐさま下り、こん棒片手に駆け寄った。
「やあ、ラル」
 欲求不満あらわな顔に苦笑いし、シーズァはもぞもぞと体を揺すった。そしてノラたちに手を挙げ、集まったところで憂いをにじませた。
「……アンデッドが、問題になっている」
 ラル、ノラに見上げられ、グレイスに見下ろされて語ったところによれば、目に見えてアンデッドが増えたことから町の近くも危険になり、運営に苦情を入れるプレイヤーもいるという。
「――それこそ、休日の雑踏みたいだからな。『100体斬り』なんてタグができてさ、どれだけ倒したかを競ったりもしている。なんか、ますますひどくなっていくよ……」
「ひどくなっていく?」
 聞き返すノラにうなずき、シーズァはしかめ面を左右に振った。
「みんながみんなじゃないだろうけど、どんどん暴力的に、っていうのかな……もちろん、今までだってモンスターを殺してきた……そうなんだけど、アンデッドはたくさんいて、次から次へと倒していくうちに麻痺していくというか……」
「シーズァさんも……」
「うん?」
「……シーズァさんも、怖かったときがありました」
「……そうかもな。アンデッドには傷みも感情もない、ただのロボットだからって、つい……」
 シーズァは辺りをうかがって、声をひそめた。
「エリーザは、どういうつもりなんだろう……」
「……戦争、するつもりでしょうか」
「その割には、アンデッドをただ送り出しているだけ……戦術や戦略があるように見えないんだよな。それに戦争をやっても、運営が乗り出してきたら終わりだよ」
「運営って、そんなにすごいんですか?」
「ノラも見ただろ、あいつがアカウント停止にされたところを。あれくらい、いつでもできるんだ。モンスターだってそうだよ」
「それなら、どうして放置しているんですか。わたしたち、バグのことも……」
「それは多分、話題性があるからじゃないかな」
「話題性?」
「バグにしたって、アンデッドのことにしたって、話題になれば盛り上がる、ゲームに注目が集まる……そうなれば、おのずと利益も上がるからな。プレイしていればお腹も空くし、癒やし水などのアイテムだって必要だ。新規プレイヤーなんか、衣服から武器、防具一式をそろえなきゃならないし。結局、損得しか考えていないんだよ、運営は」
「……わたしたち、利用されているんですね」
「きっとね」
 うんざりという顔で、シーズァは頭の後ろで手を組んだ。ノラのそばで、グレイスが長い鼻から、ふうっ、と嘆かわしげな息を吐く。
「エリーザだって、そのくらい分かっているはず……だから、分からないんだ。何を考えているのか……それに、ぼくたちのこともどうするつもりなのやら……」
「……やっぱり、いつまでもここにいない方が……」
「うん……――ラル、どう思う?」
 ぶいっ、と鼻を鳴らし、ラルは強くうなずいた。詳細は分からないが、ここを出ていこうか、という話らしい。確かにエリーザは助けてくれた。不思議な親しみも感じる。それは、バグ同士だからなのかもしれない。しかし、ここに満ちている臭いを好きにはなれなかった。なによりも、サンクチュアリが次第にかすんでいくようで……――
「よし。それじゃ、これからエリーザのところに――」
 通知音に遮られ、ポップアップ画面が目の前に浮かぶ。えっ、という顔で、シーズァは目を丸くした。
「どうかしたんですか?」
「新しいイベントだ……これって……」
 〈死の女帝を討て〉――
 それが、イベントのタイトルだった。ゲームを盛り上げるため、イベントが不定期開催されているのだ。内容はなんと、地下洞窟に巣くうアンデッドを倒し、最奥の大空洞にいるアンデッドのボスを討伐せよ、というもの――
「エリーザが討伐対象じゃないか……すごい報酬額だな。ルートボックスも特別キャンペーン、通常料金から30パーセントオフ……ん? バグたちもそこにいる、だって?」
「えっ?」
「運営は、ぼくたちの居場所をつかんでいる。神様みたいなものだからな……」
 ぶおっ、とグレイスが鼻を鳴らす。深刻そうなふたりの顔を見上げ、ラルはこん棒を握り締めた。またしても危険が迫っているらしい、と牙をのぞかせる。
「ここにプレイヤーがなだれ込んでくるぞ。早く知らせなきゃ!」
 グレイスをカプセルに戻し、シーズァが走り出す。ノラを追い越し、ラルもこぶだらけの岩肌を蹴った。しかし、それはすぐゾンビ、スケルトンの大群に阻まれた。連休中の繁華街のようにごった返していて、かき分け、かき分け、悪戦苦闘していたところ、急に障害がなくなって、ラルたちはぽっかりとした空間に立っていた。数百数千、いや数万それ以上にぐるりと取り囲まれ、頭上からゴーストたちが見下ろしている。どうしたのか、とうろたえていると、左右に割れた向こうから、ジョエンタが大鎌を右肩に担いでくる。
「慌てる必要はありません」
 無表情で告げ、ジョエンタは見据えた。
「イベントのことは、こちらでも把握しています。いずれ、こうなることは分かっていましたが、あなた方まで利用するとは実に商魂たくましい」
「ど、どうするつもりなんだ、君たちは?」
 青い顔のシーズァ、ノラ、そして尖った目つきのラルを見て、しかし、ジョエンタは眉一つ動かさなかった。
「ここは、そう簡単に落ちはしません。とはいえ、あなた方も覚悟はしておいてください」
「覚悟……」
 ノラがつぶやく。ジョエンタが左手を上げると、ノラの後方が左右に割れた。戻ってください、といわんばかりに道ができる。前からよろよろと、腐臭が押し流すように迫ってくる。ゾンビの波に押され、ラルたちは引き返すしかなかった。
「覚悟、だってさ」
 玄関扉を閉め、シーズァは飲み込みかねるように言った。ノラはリビングで立ち尽くす。その近くで、ラルは今にもこん棒を振り回しそうだった。これでは檻と同じではないか。自由を奪われ、行きたいところに行けない、これほどの暴力はない。サンクチュアリに行きたい――ぶふうっ、と豚鼻が憤った。
「……とんだことになったな」
 右に左にうろうろし、シーズァは壁から壁へむなしく歩いた。そしてメインメニューを開いて、SNSやチャンネルを片っ端からチェックする。それを見ていたラルは、尖り耳を、ぴくぴくっ、とさせた。どくん、どくん、と大空洞が鼓動している、そんな異様な動きが窓ガラスを、丸太組みの建物さえもかすかに震わせている。
 ぶうっ――
 窓に飛びついて、思わずラルは驚きの声を上げた。あふれかえったアンデッドが、心臓からのように続々と送り出されていく。後ろからのぞくノラ、シーズァも言葉を失った。
 地上は、アンデッドだらけになってしまうかもしれない――
 そんな考えが、それぞれの頭をかすめた。圧倒されていたシーズァは、ともかく、と画面に視線を戻した。SNSはこの話題で持ちきり。すでに複数のチャンネルが、地下迷宮攻略のライブ配信をスタートさせている。どこかなまめかしい岩肌をランタンで照らし、暗闇からアンデッドが飛び出してくる映像もあれば、地雷でも踏んだのか、爆発とともに途切れる映像、悲鳴を上げながら暗闇に落ちていく映像もある。ジョエンタが言っていたとおり、そこかしこにトラップがあるらしい。それでもプレイヤーたちは、ソロ、もしくはパーティを組んで奥へと踏み入っていく。報酬であおられているとはいえ、画面からの怒張したような興奮はなんともおぞましかった。
「げえっ!」
 シーズァは、とんでもなく顔をしかめた。オススメされたライブ配信では、真緋呂が黄金の突きでゾンビを串刺しにしている。払いのけるようにチャンネルを変えたところ、傍若無人なわめき声が響いてくる。龍王之刃を振り回し、ガイトがスケルトンを蹴散らしていた。それは酒癖の悪いバカ騒ぎに似ており、鼻につり上がったしわを寄せ、ぐるる、とうなったラルは、すぐそばの異変に気付いた。
「うっ!」
 口を押さえて、ノラがその場に倒れ込む。青ざめきったその横顔は、汚物を吐き出せずにもだえているようで、シーズァがあわてて背中をさすってやる。
「吐いていいよ。気にしなくていいから……」
 そうしてさすっていると、やがてえずきは治まっていった。苦しげにあえいで、涙目のノラは、すみません、と消え入りそうな声で詫びた。
「いいんだよ。君は、何も悪くないんだから……――な、ラル」
 ラルはうなずいた。金髪の鬼が関係しているのだろう。うずくまった、つらそうな姿に怒りのしわがいっそう深まる。
 ノラを長椅子に座らせ、いたわったシーズァは、地下洞窟攻略の推移を見守った。ログイン中はもとより、ログアウトしているときもすき間時間にチェックした。身動きが取れないことにいらいらしながら、もしガイトや真緋呂がたどり着いたらどうしよう、はたして防ぎきれるのだろうか、とやきもきする。さすがに膨大な数のアンデッド、加えてトラップによって攻略は遅々として進まず、どうにか進んだかと思えば退却を余儀なくされ、悪くすると落命、パーティ全滅することもあった。アバターの死はアカウント消滅。引退を余儀なくされたプレイヤーもいて、尻込みをする者、あきらめる者もちらほら出る一方、何がなんでもクリアしようと目を血走らせる者もいて、イベントは日ごとに殺伐とし、罵声、怒声が飛び交うなかでアンデッドはぶった切られ、ばらばらにされ、とどめを刺されていった。
 そのうち、ちらちらとしていたものが、かっ、と目を焼く光になった。邪魔するなだの、下手くそだの、とトラブルはあったが、とうとうプレイヤーキルが起きたのである。しかもそれでたがが外れたのか、立て続けに傷害、殺害事件がコミュニティを騒がせた。なんといってもお互い競争相手、攻略のストレスから暴力に走るのは不思議ではなかったが、その刃はともするとアンデッド相手に近い、もしくは同じ勢いだったので、ひどく凄惨な結果になった。一旦決壊すればもろいもので、弱い者は次々と強い者の餌食になり、金やアイテム、果ては命まで奪われていく。地下洞窟の外で、イベントに参加していないプレイヤーが襲われることもあった。強者同士もいがみ合い、攻略そっちのけで殺し合う姿も見られ、大空洞にたどり着くどころではなかった。しかしシーズァは不安を拭えず、じりじりしているラル、顔色の優れないノラと謁見を求めた。
『ご心配をおかけしているようですね』
 かがり火の舞台で崩れかけの手が舞い、ウィル・オ・ウィプスから声が響く。ブロックノイズ状の崩れは、日を追うごとにひどくなっているようだった。傍らにはジョエンタが控え、炎に染まった顔でラルたちを見据えている。エリーザは両手の平を出し、そして人差し指を×の字に交差させた。
『今のところ、ここは安泰です。敵は、殺し合って全滅するかもしれませんね』
 かがり火が揺れたせいか、傍らで笑みが浮かんだように見えた。呪わしげな笑いだった。ラルが豚鼻をひくつかせたところ、エリーザからはうまく嗅ぎ取れなかったが、ジョエンタからは何やら血の、ぽた、ぽた、としたたる臭いがするようで、首の後ろの毛がぞくぞくと逆立つ。そうしたものに半ば固まったノラの横で、シーズァは思いきって尋ねた。
「あ、あなたは一体、何をしようとしているんだ?」
 しじまが下り、炎とともに陰影が揺らぐ。エリーザはかすかな息をつき、石のひじ掛けから上げた手をゆらりと動かした。たおやかながら、それは丁寧に皮をはいでいくようだった。
『アンデッドには、呪いがかかっています』
 青い火の玉からの声に、シーズァはしばしぽかんとした。
「呪い? 呪いって……」
『運営がかけた呪いです』
 青白い爪が、ひゅっ、と空を刈る。
『アンデッドだけではありません。呪いは、モンスターすべてにかけられています。ラル、あなたにもです』
 シーズァ、ノラから見つめられ、ラルは怪訝な顔をした。
「ラルにも……」
 ノラが、手探りするように――
「どういうこと、なんですか……」
『私はバグ、そう説明しましたね』
 優しげな動きで返し、シーズァ、そしてラルを見て、エリーザは続けた。
『バグった私は、不完全ながらプログラムを解析できるようになりました。この世界というシステムを読み解き、これから何が起きようとしているか、知ることもできるのです。ですから、今回のイベントも準備段階からつかんでいました。この力で様々なことを調べていくなかで、モンスターに仕込まれた呪いのことを知ったのです。――シーズァさん、このゲームは何を楽しむものですか?』
「えっ? な、何をって……畑仕事やクラフトとかもあるけど、基本的にはモンスターを狩ること……」
『そうです、モンスターを殺すこと。他のプレイヤーと競いながら、ね。そのためには課金して食料や回復アイテム、高ランクの武装、魔法を手に入れ、強化素材でレベルアップさせなければならない。それがこのゲームの構造。運営の一番の関心は、利益を上げることなのです』
「……それは、そうでしょう。ビジネスですからね」
『利益を上げるには、このゲームにのめり込ませなければならない。そのファクターこそ、モンスターなのです』
 シーズァは話が飲み込めず、ノラも瞬きするばかりだった。ジョエンタはマネキン人形のごとく、かがり火に彩られながら立っている。エリーザはラルを見つめ、ゆっくりと手を動かした。
『モンスターと戦って、殺す。そのたびにプレイヤーは影響を受け、暴力的傾向を持った者ほどより暴力的になっていく。そうした仕掛けが施されているのです。私たちは、それを利用したに過ぎません。皆でネクロマンサーになって、アンデッドをどんどん地上に送り出す……アンデッドには痛みや感情がない、刃を振るう心理的ハードルが低い、という点でももってこいでした』
「……ほ、本当に、そんな仕掛けがあるのなら……」
 シーズァが、声を詰まらせる。
「大問題、ちょっとした炎上どころじゃ済まないぞ……」
『もちろん、運営は隠蔽するでしょう。ですが、シーズァさん。あなたにも覚えがあるのではないですか。暴力に呑まれそうになったことが』
「……それで、それであなたたちは、アンデッドをたくさん……」
『暴力が蔓延すれば、互いに傷付け合うようになる。そうした風潮を嫌って引退するプレイヤーも出てくるでしょう』
「だ、だけど、その暴力は君たちを標的にしているんだぞ。運営だって、このまま手をこまぬいては……」
「殺してやりますよ」
 ざっ、と刈り取るような、ジョエンタの声――
「ひとりでも多くのプレイヤーを道連れにしてやります。全員、その覚悟はできています」
 かがり火と同じ瞳だった。ラルは嗅ぎ取っていた。鼻の奥をつく、むせ返りそうなほどの憎悪を――ノラ、シーズァもはっきりと悟った。目的は復讐、踏みにじった者たちへの報復なのだ。
 ここにいてはいけない――
 だが、案内なしで地下洞窟を進んだら、たちまち罠の餌食になってしまう。プレイヤーと鉢合わせの恐れもあるだろう。身動きが取れない。ここでエリーザたちと運命をともにする他ないのか。
 ぶうっ、と鳴き、こん棒を下げてラルは進み出た。シーズァたちを苦しめないでくれ、とぶいぶい鳴く。鎌の刃で下がらせようとするジョエンタ、それを制して、崩れかけの手が優しく言い聞かせるようとする。
『悪いようにはしません。これは、あなたたちのための闘いでもあるのです。モンスターは殺され、ドールは弄ばれる、そんな世界は破壊しなければなりません。たとえすべては無理でも、破壊できるだけ破壊すべきなのです』
「だ、だからって」
 シーズァが前のめりになる。
「こんなやり方は間違ってますよ。いたずらにみんな傷付いて、あなたたちだってただじゃ済まない!」
『それなら、どんなやり方があるのですか?』
「ぼくたちは、チャンネルやSNSで訴えてきたんだ。ドールを大切にしろ、モンスターを殺すな、って。ゲームの仕組みを変えるよう運営に求めてもきた。それさえ変われば、ラルやノラがひどい目に遭うこともなくなる。賛同者だって、まだそう多くはないけど、いることはいるんだ」
『あいにく、私たちはそれほど楽観的ではないのです』
 握りつぶすような、あるいは握り締めるような崩れかけの右手だった。それがさらに強いアクセントで切り返す。
『あなたたちも、サンクチュアリを目指しているではありませんか』
「そ、それは……」
 シーズァには言葉がなかった。疲れのにじむ手が下り、ひじ掛けに収まる。エリーザは黙り込んだノラを見て、その目に夜更けの海のような色を浮かべた。重たげに、ひじ掛けから手が上がる。
『いささか疲れました。下がっていただけますか』
「エリーザ!」
 シーズァは食い下がろうとして、くちばし形の刃に遮られた。エリーザは石椅子にもたれ、目をつぶってしまった。一同はコテージに戻るしかなかった。
「……」
 木組みの空間を歩き回って、シーズァは丸太の壁に手をつき、ぶつぶつ言いながら額を押し当てた。ノラはぐったりと座って、木目の卓上に崩れかかっている。半ば放心した姿は、さんざんなぶられた後のようでもあった。
 ラルは窓辺で背伸びし、ガラスの向こうに目を細めた。見えるのは、あふれんばかりのアンデッド。そして、ぼこぼことした乳白色の岩肌ばかりである。それらは次第に迫ってきて、このコテージごと埋めてしまいそうだった。
 サンクチュアリに行きたい……――
 窓を叩き割りたくなって、ラルはこん棒をつかんだ。今すぐ地上に駆け戻りたかった。いら立ちが、ぐるる、と喉を震わせる。
「ラル」
 シーズァが横から、肩に手を置くようにのぞき込む。
「ぼくもどうにかしたいよ。どうにかしなきゃ、どうにか……そうだ、新しい動画を作ろう。イベントを中止させるんだ。このままじゃ、犠牲が増えていくばかりだ」
「……できるでしょうか」
 うつむいたまま、ぽつりとノラが口にする。
「こんな殺伐とした世界、誰だって嫌だろ。このゲームのプレイヤー以外にも呼びかけるんだ。声が大きくなれば、運営だって無視できなくなる。とにかく、やらなくちゃ。――ラル、君にも協力してもらうよ」
 シーズァに呼びかけられ、ふんっ、とラルは意気込んだ。何かやるらしい、としか分からないながらこん棒を右肩に担ぐ。なんだってやってやる、風穴を開けるためなら――おのずと鼻息は熱くなった。
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