RESIST 9「サンクチュアリ」 (終)

文字数 5,971文字

 一番乗りしたラルの前には、めまいがするほど巨大な火口があった。アリジゴクの巣状のカルデラ地形で、雨水も溶岩もたまっていない底を歩くことができそうだ。見上げた先には揺らめく輝き――今まででもっとも近く、とはいえ依然として手は届かないが、安らかな日差しにきらめく緑、彩なす花々まで見え、微風の薫りや心地よい葉擦れ、美しいさえずりも伝わってくるようだった。ノラ、シーズァも頂に立ち、カメラドローンで上空を映すと、視聴者の興奮も頂点に達する。一同はしばらく、夢にまで見た終着点に呆けていた。
「あっ……」
 ノラが我に返って、視線をさまよわせる。
「あそこに昇る……昇るところ……」
「あっ、ああ、そ、そうだ……」
 と、シーズァもきょろきょろする。おそらく、サンクチュアリへの転移装置などがあるのだろう。崩れそうな縁沿いに視線を一周させたが、それらしいものは見当たらない。とすると、やはり火口の底だろうか。ふたりのやり取りを見て、ラルは急斜面を下った。黒い土や礫が、ぱらぱらと転がり落ちていく。そうして底に立ち、何かないか、と見渡したが、天上からの光で黒さが際立っているだけだった。ノラとシーズァも首をひねり、コメント欄は、どうやって昇るのか、という疑問であふれた。
「どうすればいいんですか?」
 ノラの問いにシーズァは口ごもり、蜘蛛の糸を探すように仰いだ。
「……火口の中央に立つとか、なのかな……」
 そうしてみたが、吸い上げられたり瞬間移動したりはしなかった。ラルはいら立って、ぴょん、ぴょん、と跳ねたが無駄だった。らちが明かず、シーズァは運営に問い合わせた。そういったことは聞いていないが、特別なアイテムや呪文などが必要なのだろうか。あるいは何らかの条件を満たさなければならないのか。しかしながら一向に応答はなく、繰り返し問い合わせたところ、ようやく返ってきた。
「えっ?」
 画面を凝視して、シーズァは絶句した。横からのぞき込んだノラも言葉を失う。一体どうしたのか、とラルが裾を引っ張ったところ、シーズァからうわごとのような声が漏れる。
「ない……サンクチュアリは……」
 うつろな響き、すっかり色を失った表情は、絶望的な事態を示していた。運営からの回答には、サンクチュアリは存在しない、設定のみ、とあった。ヘーブマウンテンの頂から、というのも話だけだという。視聴者からも運営に問い合わせがあって、その回答が共有されるとコメント欄は一気に騒がしくなった。
 ははははっ!――
 哄笑が降ってきて、ラルたちはそちらを見上げた。煌々とした視界に染みがあった。湾曲した大剣を担いで、ガイトが火口の縁から見下ろしていた。
「ざまあねえな! ありもしないものに必死になってよ。マジでウケるわ!」
 腹を抱え、げらげらと汚らしく笑われて、ラルたちはぼう然とするばかりだった。
「さぁて、と」
 ぼっ、と発火した龍王之刃を下げ、ガイトは底へと下り始めた。その姿をカメラドローンが追う。
「チャンネルをご覧の皆さん、いよいよデバッグも大詰めだぜ。モンスター狩りって言った方がいいかな。異常な挙動のオーク、ドール、それを助けるプレイヤー……こいつらは普通じゃねえ。イカれてやがるんだ。このゲームを壊す怪物、モンスターなんだよ」
 龍王之刃が振り上げられ、剣先が、ぐるっ、と回って、渦巻く火炎が火球と化す。
「灰になっちまえ。きれいさっぱりとなっ!――」
 火口底めがけて、飛んでいく火球――急ごしらえの水流とぶつかって、蒸気とともにラルたちは吹っ飛ばされた。
「シーズァさんっ!――」
 黒土まみれのノラが起き、駆け寄っていく。水蒸気爆発の間近にいたシーズァが顔から手足まで火傷を負い、またしてもひび割れた鋼の胸当てと倒れていた。
「ログアウトしてください。このままじゃ、死んじゃう……消えちゃいます!」
「そ、そんなわけには、いかないよ……」
 うめきながら起き上がって、シーズァは震えるカプセルを握り締めた。グレイスがまた出たがっている。しかし、そうさせるつもりはなかった。これ以上利用してはいけない。それに出てきたら、今度こそ殺されてしまうだろう。
「そうそう、そうだよなあ」
 ごろごろする溶岩石を蹴って、楽しそうにガイトが近付いてくる。
「そんなわけにはいかないよな、ええかっこしいはよ。へっ、吐き気がするぜ。うちの視聴者からもたくさんコメントが来てるぞ。てめえみたいなのが一番嫌いだ、ってな!――うおっ!」
 脇からこん棒を食らいそうになって、ガイトがよろめく。たたみかけようとして、ラルは危うくぶった切られそうになった。
「とことんムカつくブタ野郎だな! あー、すっげえ肉が食いたくなってきた。てめえから先にバラしてやるよ!――」
 ずおっ、と振り下ろされる湾曲の刃をかわし、ラルはこん棒越しに相手をにらんだ。凶暴な斬撃を右に左にかわし、飛びのいて牙をむく。空振りのたびにいら立ちを募らせ、ガイトの目尻は急上昇していった。
「このブタ野郎があっ!――ぐおっっ!」
 土塊の右こぶしが胸ぐらに直撃し、ガイトは、どすん、と尻餅をついた。虎縞ファーコート、レザーシャツが黒土で汚れている。いくらか回復した分での、ノラによる一撃だった。かっとなった金髪ロン毛頭にこん棒が炸裂、目から火花が出て、たまらず頭を抱えたところをラルは滅多打ちにした。
「この、ざけんじゃねえぞっ!――」
 ガイトから炎が噴き出し、飛びのくラルを焼き殺そうとする。炎は渦を巻いて竜巻になり、土塊の右腕をたちまちばらばらにするとノラに襲いかかった。幻影に照らされながら少女のボブヘアが、もだえる表情が溶け、サバイバルベスト、迷彩服が黒く焼けていく。ほどほどのところで炎の竜巻は獲物を吐き出し、焦げかけのあわれな姿が転がった。
「殺しやしねえ……」
 龍王之刃を地に突き刺し、支えに立ち上がって、ガイトは横たわったノラをにらみつけた。
「てめえは、オレ様のものだからな。そこんとこ、徹底的に分からせてやるぜ……」
「やめろ!」
 よろよろと、シーズァがノラの前に立つ。その視線に添って、カメラドローンがガイトを正面からとらえた。
「こんなことをして恥ずかしくないのか! いじめて、殺して、面白いのかっ!」
「面白いね。面白くてたまらないぜ。てめえには分からないだろうがな」
「そんなもの、分かってたまるか!」
 それは、叫びだった。ガイトと対峙しながら、シーズァは傷から血があふれるように叫んだ。
「視聴者の皆さん! 運営の人たち! こんな奴を許していいのか! 何もかも、この世界もめちゃくちゃになってしまうぞ!」
「うっせえんだよっ!――」
 ごおっ、と火球が飛び、ウォバリを飛び散らす。衝撃であおられ、シーズァはしたたか背中を打った。いよいよ限界が近く、水のバリアの厚み、強度は、レースカーテン並みに落ちている。それでもなお、シーズァはこぶしを強く固め、震わせた。
「……こんなこと、許しちゃいけない。こんな……」
「へっ、てめえはとことんバカだな。オレ様をよく見ろ。この伝説の武器もブランドファッションも、何もかもが視聴者のお陰なんだぜ。てめえらみたいにピーピー泣きわめくクソザコより、オレ様の方がずっとずっと、ずぅーっと人気があるんだ! 運営にとってもありがたいインフルエンサーなのさ。そういうことなんだよっ!――」
 再び放たれた火球に、ウォバリはあってなきがごとくだった。火だるまになったシーズァは地面を転がって、水魔法でなんとか消すことはできたが、もはや死にかけの虫のようだった。カメラドローンだけが宙に浮き、ガイトを撮影し続けていた。
「気持ちわりいな。カメラはこっちだけでいいんだよ」
 プレイヤーを始末すれば、カメラドローンも消える。とどめを刺そうと踏み出したガイトは、うなりを上げるこん棒を龍王之刃ではじいた。
「そうだったな、クソブタ……てめえから死ねえッッ!」
 飛びかかる火球――避けきれないと見て、真正面からこん棒が叩きつけられる。打ち返すことはできないまでも炎は崩れ、ラルは転げ回って火を消した。体毛がかなり焦げ、焼けた肉の臭いも漂った。
「まっずそうな臭いだな。まぁ、オークの肉に違いはねえ。ぶっ殺したら、さっそく焼いて――おおっと!」
 投げつけられた溶岩石の欠片をかわし、ラルをにらんで、ガイトは、はああっ、と息を吐いた。
「上等じゃねえかっ!――」
 龍王之刃を振り上げ、刃から炎が噴き上がったとき、むき出しの叫びが鼓膜をぶち抜く。そちらを見たガイトは、突っ込んでくるノラに目をむいた。激しくわめきながら、捨て身の自爆攻撃をするごとく――思わずひるんだ顔面に土塊が直撃し、ガイトは素っ頓狂な声を上げながらよろめいた。潰れた鼻から血が吹き出す。その隙を逃さず、ラルは懐に飛び込んだ。砲撃のように吠え、思いっきりこん棒を叩き込む。
 ぐおおおおおおっっっっっ―――――
 めり込んだ下腹部から、ひび割れた絶叫が迸って――股間を押さえ、どっ、と膝をつくガイト。そこで金髪ロン毛頭を、どがあっ、とフルスイングされ、黒土にまみれながらのたうち回る。そうした無様な姿もライブ配信され、コメント欄は喝采と嘲笑でいっぱいになった。
「……こ、このクソゴミどもが……」
 左手で股間を押さえながら、真っ赤な顔のガイトが立ち上がる。へっぴり腰の、よたよたした足取りが視聴者の物笑いになって、その形相は炎の鬼そのものになった。
「……殺してやる……殺してやるッ!」
 龍王之刃から再び炎が、今までになく凶暴に噴き出し、周囲の空気をゆがめていく。ラルは柄を握り直し、倒れそうなノラの前に立った。逃げる、という選択肢もあった。この火口を飛び出し、薄霧の林に下っていくこともできただろう。だが、そうはしなかった。そんなふたりをかばって、ぼろぼろの黒焦げ姿が立つ。もはや立っているのがやっと、満身創痍でありながら、シーズァはカメラドローンとともにガイトをにらみつけた。
「……そんなに死にてえか。だったら、まとめてぶっ殺してやらあっ!」
 大上段の猛炎は火口を灼熱の空気で満たし、上空の輝きまで焼き尽くしそうだった。振り下ろされたなら、ここは炎の海、瞬く間に灰になってしまうだろう。それこそ、毛の一本も残さないまでに……多くの支援で力を増したガイトに対し、ラルたちは殺されるのを待つばかりになった。シーズァ側のコメント欄は、やめろ、殺すな、という叫びであふれ、さらにガイト側にも同様のコメントをしたが、当人はまったく目をくれなかった。
「死にさらせえッッ!――」
 振り下ろされる、猛炎の竜巻――それが急速に熱を失い、かすんで、龍王之刃も消えていく。虎縞ファーコートやレザーシャツ、牙のネックレスから革ブーツまでもが薄れ、驚くガイトがはらはらと崩れ始めた。
「なっ、ど、どういうことだっ?」
 あっけにとられるラルたち、その視界でうろたえる姿が塵になっていく。アカウント停止とは違う。アバターが消滅しているのだ。みっともなくあわてふためき、ガイトはわめき声をかすれさせた。
「て、てめえら、このままで済むと……――」
 恨めしそうな声が消え、空っぽの空間をラルは見つめるばかりだった。こん棒は固く握り締められ、振り上げられたままになる。
「……何が、起きたんでしょうか……」
 ようやく、ノラがそう口にする。しかし、シーズァにも皆目分からなかった。コメント欄でも戸惑いが流れていく。と、そこにポップアップ通知――運営からのメッセージだ。開いたところ、次のような内容だった。

 ご利用ありがとうございます。
 ご報告のアカウントについて違反が認められましたので、当該アカウントは削除されました。サポートチームはこれからも皆様に楽しんでいただけるように努めてまいります。
 よろしくお願いします。

「アカBAN、か……」
 そうつぶやくシーズァの後ろで、ノラがへなへなと座り込む。どうやら敵はいなくなったらしい、とこん棒から力が抜け、ふらっ、とラルは倒れそうになった。視聴者にも事情が共有され、喜びや安堵のコメントで満ちあふれた。通報した甲斐があった、というコメントも少なくなかった。一度はアカウント停止させたものの、その後はいくらシーズァが通報してもなんの反応もなかったのだが、たくさんのアカウントからの通報で運営も無視できなくなったのだろう。目に余る言動がゲームの雰囲気を悪化させ、プレイヤー離れを招いてしまう、と判断したのかもしれない。
「……みんなのお陰だよ」
 カメラドローンに向かって、シーズァは礼を述べた。
「ぼくたちだけでは、運営も動かなかった。皆さんのお力があればこそです。ありがとうございました」
 そうして深々と頭を下げると、そんなことはない、あなたたちが頑張ったから、といったコメントが続々と返ってくる。幕が下りるように一帯が薄暗くなって、見上げるとサンクチュアリが消えていくところだった。輝くまぼろしはやがて跡形もなくなって、ライブ配信画面の光が引き立つようになる。小さな、ぼんやりとした光……コメント欄をのぞいていたノラは、こん棒を杖代わりの立ち姿に近付き、尖り耳にささやいた。
「お空のあれはまぼろしだった。だけど、もしかしたらここにあるのかもしれないよ。サンクチュアリは」
 画面の光を見つめる、ノラ……そのまなざしから感じ取って、ラルは、ぶいっ、と鼻を鳴らした。と、ドローンのカメラが向けられ、シーズァがふたりの健闘をたたえた。
「……ごめんね。ぼくがサンクチュアリに誘ったのに、こんな結果になって……」
「いいんです」
 首を左右に振って、ノラが傍らを見る。ラルは見つめ返し、曇りのない瞳に自分を見た。ノラは視線を戻し、まっすぐに言った。
「あそこに昇れたとしても行かないです。ラルもそうでしょう」
「えっ?」
「自分たちだけ助かればいいのか、って、エリーザさんが言っていましたよね。やっぱり嫌です、それは……モンスターもドールも、誰もひどい目に遭わないようにしたい。だから、残ります。――そうだよね?」
 ラルはこん棒を担ぎ、胸を張って、ふんっ、と応えた。シーズァはかみ締めながらうなずき、グレイスのカプセルを取り出した。落ち着きを取り戻したそれは、手の中で安らいでいた。
「終わったよ、グレイス。とりあえずはね」
 ライブ配信を続けながら、シーズァはふたりの隣に立った。
「行こう、みんなが待ってるよ」
 手を貸し、支え合って火口から出ると、東の地平は白みつつあった。ランタンで足元を照らしながら、消えた幻影を背にラルたちは黎明を下っていった。
                                       (了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み