RESIST 5「慈悲深い殺意」 

文字数 10,378文字

 土ぼこりで空と地上はざらつき、わずかな草木まで色褪せていく。バキュームノズルっぽい鼻を伸ばし、ひくひくさせて、グレイスが荒涼としたにおいを嗅ぐ。大きな尖り耳は翼さながらに広がって、黒曜色の瞳が鈍く光っている。やがて鼻はぶらりと下がって、そった牙の間から傍らのサバイバルウェアに鳴いた。
「あっちなのね」
 ノラは鋼色の脇腹を撫で、動き出した巨体に従った。ずん、ずん、と乾いた土を踏み、ひづめが進んでいく。歩幅の差から、スニーカーはおのずと早足になる。砂消しゴムをかけられたような頭上で、かすんだ陽がのそのそと昇っていく。
「あっ」
 ひづめが止まって、すぐさまノラも身構えた。あちらこちらから、奇妙な球体が転がってくる。遠目には小さかったそれらは、バランスボール大の、とげとげしい草の塊だった。マーダルという名の、タンブルウィードに似た植物系モンスターだ。このところアンデッドとの遭遇が多く、それ以外というのは珍しい。ノラはゴーレムの右腕、左腕を生成し、ぶおっ、と鼻を振り上げるグレイスを制した。
「だめだよ。わたしがどうにかするから……」
 戦わせたくなかった。フレモンとして深く傷付けられた生命が、ようやく回復の兆しを見せてきているのだから……しかし、それを押してグレイスはいななき、とげとげの塊の一つに、どどっ、と突進した。そり返った牙でえぐって、鼻の横殴りで草の臭いもろとも飛び散らせる。とげで傷は負ったが、鋼並みの皮膚ではかすり傷程度。そこに突っ込んできた別の塊は、ひづめで思いっきり蹴り飛ばされた。
「だめって言ってるのにっ!――」
 土塊の左こぶしが飛び、草の塊に叩き込まれる。グレイスをフォローするその一撃でマーダルはゆがみ、続く右ストレートで吹っ飛ばされた。見事なワンツーパンチ、それは研鑽の賜物だった。
「襲ってこないで!」
 マーダルたちに叫ぶ、ノラ――
「わたしたちは先に行きたいだけ! 敵じゃない!」
 しかし通じはせず、千切れた草がばらばらに散っていく。やがて相手側は全滅し、むおっとする草の臭いでノラはえづきそうになった。くしゃっとした、涙ぐんだ顔をグレイスが心配そうにのぞき込む。
「ごめん、ありがとう……なんで、襲ってくるんだろうね……」
 うつむきながら口にする。答えは分かっている。そのようにプログラミングされているからだ。マスターにドールが従順なのもそうだ。自分やラル、グレイスがこうなのは、バグっているから、らしい。いずれにしても、こうした構造は作られたものなのだ。
 ばさっ、とグレイスの耳が動く。長い鼻、顔が向いた方にノラも目をやった。後方から、紫髪がはずんでくる。
「シーズァさんだ」
 追い付いたシーズァはあえぎ、ぐいっ、と額の汗を拭った。
「……ごめん、申し訳ない……ね、寝坊してしまって……」
 頭を下げられ、ノラは慌てて首を左右に振った。
「そんな、こちらこそ勝手に出発して……」
 先を急ぎたかったから、と申し訳なさそうにうつむく。昨夜のキャンプ地点でシーズァはクイックセーブ、ログアウトしたので、ログイン地点はそこになる。先に出発されれば、遅れるほど距離は開いていく。とてもばつの悪そうな顔で、シーズァはまた頭を下げた。
「クソリプがひどくて、そいつらとレスバしていたら……本当にごめん……」
「……そんなにひどいのですか?」
「いや、まあ、その……NPC解放なんてバカげているとか、頭がおかしいとか、そういうのが多いよね……」
 シーズァは顔を暗くした。真緋呂のように発信しよう、そうすれば支援が集まって、サンクチュアリへの道のりが楽になるかもしれない。もしかすると、旅をしなくてもよくなるかもしれない。そう考えたのだが、ドールやモンスターを傷付けるのはやめよう、その生を、命を尊重しようという訴えには、嘲笑、誹謗中傷のたぐいが多数寄せられている。
「……ま、それなりに理解してくれる人もいるんだけどさ……」
「すみません、わたしたちのために……」
「ぼくたちが悪いんだ。人間のせいなんだから、謝るのはこっちだよ」
 紫髪の乱れをかき上げ、シーズァはグレイスにも目を向けた。鈍いつやの黒瞳、そこには弱音を飲み込もうとする顔が映っている。
「……とにかく、サンクチュアリを目指そう。あ、そうそう! コミュニティにこんな投稿があったんだ」
 メインメニューが開かれ、ポップアップ広告、コミュニティに移動――見せられたものは、リアナの町にオークが出没した、という話だった。
「リアナはこの先だ。通常、モンスターは町に入ってこない。そうプログラミングされているから、町が襲撃されるイベントでもないかぎりは、ね。だから、ちょっとした話題になっているんだ。これはラルだよ。間違いない」
「……急ぎましょう」
 シーズァはうなずいた。本日は休日、一日フリーなので、今日のうちにけりを付けたい。グレイスをカプセルに入れ、ふたりは先を急いだ。何度かモンスター、ほとんどはアンデッドにエンカウントし、小休止をして、しばらく行くと橙色の洋瓦が群れている。
 リアナの町――商店や宿屋、食堂などに加えて、外れにはギャンブル場、モンスター同士を戦わせる闘技場もある中規模の町だ。木陰から、シーズァは周囲をうかがった。カメラドローンは見えない。バグだ、と騒がれたのは初めだけ。見世物にされたときは注目が集まるものの、最近はつきまとわれることも少なくなった。世間は熱しやすく冷めやすいものである。
 ふたりはそこらの町人にしか見えない、目立たない格好に着替えた。シーズァは黒髪ウィッグをかぶった。何かのときにストーカーたちの目をくらますため、とオンラインショップから購入しておいたものだ。
 気だるげな陽にさらされ、町はどことなく殺伐としていた。
 武具屋、雑貨屋などの店員――NPCの愛想はよいが、行き交うプレイヤーの目つきは概して悪く、肩でもぶつかろうものならたちまち殴り合い、たとえぶつからずとも弱そうな相手なら自らぶつかっていきそうである。ギャンブル場や闘技場があるからか、とも考えたが、それだけとも思えない。変装したシーズァとノラは、トラブルに巻き込まれないように道の端を歩いた。
「聞き込みができる雰囲気じゃないな」
 シーズァがノラにささやく。
「このところPVPが増えている、ってのも分かるよ。どんどん雰囲気が悪くなっていくな、この世界」
 町娘姿でうなずくノラには、これまでのことが思い浮かんだ。初めてモンスターと対峙したときは、恐ろしさのあまり震えていた。傷付けられることはもちろん、傷付けることも恐ろしかった。それが場数を踏むたびに麻痺していったのだ。それが、ラルと出会って……しかし今でも、戦ううちにためらいが薄れていく。それはとりわけアンデッド、心も感情も、痛みの感覚さえない対象のときに顕著だった。相手は生きていない、動く物体だから容赦なく攻撃してもいい、そうしたときに助長されてしまう。自分だけではない。シーズァにも同じ傾向がある。激しやすい性格からいっそう強く、影響は戦闘が終わった後もしばらく残って、近寄りづらい、話しかけづらい、と感じさせるのだった。やがて薄れてはいくのだが、見えないながら少しずつたまっていって、また何かあったとき、たとえば真緋呂とのいざこざのようなときに爆発するのではないか。ノラは恐ろしくなって、シーズァの顔をまじまじと見つめた。
「……ぼくの顔、何か付いてる?」
「あ、い、いいえ……傷付け合うようなこと、ない方がいいですね」
「気をつけるよ。かっとなりやすいからな、ぼくは……」
 黒髪ウィッグをなでつけ、シーズァは苦笑いした。そして、じっとノラを、湿っぽいまなざしで見つめた。
「……どうかしましたか?」
「……落ち着いたら、ノラもちゃんと治療とか受けよう。それがいいと思うんだ」
「わたし、ですか……」
「うん。その、いろいろあったんだろ、あいつと……」
「……」
「何か、いい方法を考えるよ。とりあえず、今はラルを捜そう」
 シーズァは周りを警戒し、あらためてコミュニティの投稿を確かめた。
「そのオーク、ラルは、青果店の店先から奪っていったそうだ。逃げる途中でほとんど落としてしまったそうだけど」
 人通りが減った、気の抜けた昼下がりの出来事だそうだ。ふたりは市場通りに移動した。店先に色形様々な野菜、果物が並べられ、パンやファストフードの香ばしいにおいが漂って、NPC店員が愛想よく呼び込みをしている。ちょうど昼時、大衆食堂の扉も開け放たれ、ちらとのぞいた中は満席だった。あちこちに目をやりながら、ふたりは通りの端まで歩いた。
「どこかに隠れているのでしょうか。先に進んだのかも……」
「満足に食べてないからな。ここには食べ物がある。だから、また姿を見せると思うんだ」
 シーズァは、その可能性に賭けていた。武具店を一瞥して、ぐるっとスタート地点、市場通りの入り口に戻る。携帯食をかじり、水分補給をしながらしばらく時間を潰す。プレイヤーたちがあれこれと買い物し、大衆食堂に入っては出ていく。賭けに勝ったの、勝負に負けたの、というやり取りもときどき聞こえ、祝い酒なのか、やけ酒なのか、真っ昼間から千鳥足も見かけた。ピークを過ぎ、徐々に人通りが減ってきたところで、ふたりはまた同じルートをゆっくりなぞり始めた。のろのろ歩いて、数百メートルほどの通りを抜けたら、回れ右して入り口に戻っていく。入り口に戻ったら、また回れ右……ぱっとしないふたり連れを気に留めるプレイヤーはおらず、NPC店員も初めこそ声をかけたが、それ以上しつこくすることはなかった。
 何度も行ったり来たりするうち、人通りはまばらになった。NPC店員も引っ込んでしまい、市場通りがうつらうつらする。狙うなら今だろう。ふたりは店頭、その周辺にも目を配ったが、それらしい影は一向に見えなかった。
 現れないのではないか――
 そんな考えがよぎったときだった。叫び声がして、ふたりは振り返った。小柄な影が視界をよぎって、パン屋からエプロン姿の店員が飛び出してくる。泥棒だ、と叫んでいて、居合わせたプレイヤーが驚きの声を上げる。その中の数名が、カメラドローンとともに走り出した。コミュニティで話題のオークだろう、ぜひともカメラに収めよう、そんな考えに違いない。ノラとシーズァは息をはずませた。
 すばしっこい影は薄暗い路地に飛び込み、曲がり損ねたカメラドローンが、がっ、と角にぶつかった。追跡者のブーツが落ちた丸パンを踏み、蹴飛ばしていく。入り組んだ裏路地で見失って、あっち、こっちと走り回るうち、ぶつかったの、ぶつかってないの、邪魔だの、といさかいが起きる。そうした騒ぎを避け、ふたりは北の方に走った。どのように逃げるにせよ、いずれはそっち、サンクチュアリの方角に向かうだろう、という読みだった。はたして石畳が途切れ、むき出しの地面から草ぼうぼうになっていく。そのただ中に、毛むくじゃらの後ろ姿――
「ラルっ!」
 声の限りに叫び、黒髪ウィッグを外してシーズァは追いかけた。ノラもサバイバルベスト、迷彩服姿で走る。息を切らしながら、懸命にひた走っていく。
「ラルぅッッ――!」
 声をかすれさせ、あえぐシーズァは、つんのめりながら立ち止まった。ラルがいた。得物のこん棒を下げ、もう片方の手で丸パンをいくつか抱えている。ノラが追い付き、はあ、はあ、と膝に手をつく前で、ラルは口にくわえていた丸パンを頬張り、もぐもぐした。
「……よかった」
 はあっ、と大きく息をつき、シーズァの目が潤む。
「捜したんだぞ。ごめんな、ひとりにしてしまって……本当にごめん……」
「あの……」
 ノラがラルに近付いて、今にも泣き出しそうになる。
「ごめんなさい……わたしが、もっとしっかりしていたら……えっ?」
 丸パンを突き出され、ノラは目をぱちくりさせた。こん棒を脇に挟んで、ラルが無愛想に、ぶいっ、と鼻を鳴らす。
「……わたしに、くれるの?」
「そういえば、軽くしか食べていないからな」
 と、口にするシーズァにも丸パンが突き出される。ひとりであの空の輝きを目指そう、そう決めてここまで来たのだが、食料の調達一つ取ってもやはり厳しい。だからといって、また一緒にやりたいと思っていたわけでもないが、しかしこうして再会して、こういう涙のにおいをさせられるとまいってしまう。ようやく得た食べ物を分けてやろうか、という気にさせられるのだ。
 とりあえず近くの木立で腰を下ろし、それぞれは丸パンをかじり、道具袋からのドリンクボトルで喉を潤した。
「……後で、パン屋に支払わなきゃだな。他にも盗ったんだっけ?」
 見つめられたところで、ラルには分からなかった。シーズァは苦笑して、草のしとねで仰向けになった。腹が減って、美味しそうなにおいがした。だから取った。それだけなのだろう。枝葉の間には朱が混じって、いつの間にか暮れつつあった。
「そろそろ、ログアウトしないとな」
 そうつぶやき、シーズァはむっくりと起き上がった。立ち上がると、ノラ、ラルも腰を上げる。もう少し人目につかないところに移動しよう、とシーズァが促す。木立の奥は緩やかに盛り上がって、怪物が寝そべっているような山並みになっていた。
「グレイスも出してあげたいし、ゆっくり休めるところを――」
 どっ、と鋭い衝撃にのけぞって、シーズァは倒れ込んだ。矢が、黒い羽根、赤いシャフトの矢が、右肩甲骨辺りに突き刺さっていた。ばっ、とラルは木陰に飛び込み、ノラがシーズァの上に覆いかぶさる。
「シ、シーズァさんっ!」
「……っく、へ、平気だ……」
 ノラに支えられながら、シーズァは木陰に入った。地平が野火さながらに染まって、木々を影の檻に変えていく。隠れているのか、射手の姿は見えない。
「ノラ、矢を抜いてくれ。それから、ヒーリを……」
「はっ、はい」
 思い切って抜き、治癒魔法で元通りになってから、シーズァは樹皮の上衣、ズボンに鋼の胸当てを装着した。うかつだった。いつまでも軽装だったから、と悔やむ。
「後退しよう。ラルっ! 下がるぞ!」
 その手の動きで察し、ラルは後ずさった。ノラ、シーズァと、幹を盾にしながら下がっていく。それらの姿は暗がりに紛れていった、が――
 ダンッ――
 すぐそばで音がして、ひっ、とノラが声を漏らす。幹に突き刺さった、黒ずんだ矢――尖り耳を張り、豚鼻をひくつかせて、ラルはこん棒を、ぐぐっ、と握った。
 いる――
 夜霧のような息遣いが、土を踏む足音が聞こえる。かすかながら血の臭いがする。姿なき殺意が近付いていた。ぐるるっ、とうなって、ラルの両目がぎらつく。
「ま、待てっ!」
 シーズァが制する。
「と、飛び出すらよ。だ、だめら……」
 ふらついて、シーズァは膝をついた。ろれつが回らず、手足も自分のものではないように鈍い。矢に毒が塗られていたのか。ノラが顔をのぞき込む。
「シーズァさん、大丈夫ですか?」
「ど、毒ら……と、とにかく、もっろ奥へ……」
 こういうときのために買っておいた毒消し薬を出し、ドリンクボトルの水で胃に流し込む。だが、効き目はなかなか現れない。強い毒なのだろう。くすぶったうなり声のラルを引きずるようにして、シーズァとノラは暗闇の奥へ、奥へと斜面を上がって――
 どぉおんっ、と爆発で、前方の幹が吹き飛ぶ。ノラ、シーズァは悲鳴を上げ、ラルは縮み上がった。大きすぎる風穴を開けられ、ざざざ、ばきばき、と倒れて、燃えかけの杭さながらの部分だけが立ち尽くす。先端に小型爆弾を取り付けた爆弾矢だ。もっと近くだったら、体を低くしていなかったら、と血の気が引いた。傾斜はどんどんきつくなり、ひゅっ、と下方から爆弾矢が飛んできて、すぐ近くの幹を吹き飛ばす。
「な、なんれ、こっちの位置は分かるんだ……」
 すでに山の木々は、宵にどっぷりと浸かっている。なるべく音を立てず、陰から陰へ移動しているのだが、暗視ゴーグルのたぐいを装着しているのだろうか。ぱん、ぱん、と自分の頬を叩き、神経をしゃっきりさせて、シーズァは斜面下の闇に叫んだ。
「やめろっ! 何が目的なんだ?」
 声が闇に吸い込まれる。シーズァとノラは耳をそばだて、いかなる動きも見逃すまいとした。ラルも尖り耳をぴんとさせ、もしあそこから飛び出してきたら、とこん棒を強く握る。しばしの張り詰めた間があって――
「そのオークを渡しなさい」
 暗闇から、すらっとした声が返ってきた。それは研ぎ上げられたスキナーナイフのようで、ラルは全身の毛がそそけ立った。声は、冷酷に光った。
「ひと思いに殺してあげます」
「ひ、ひと思いに、殺ふ?」
「シーズァだっけ? あなたは、自分の間違いが分かっていない」
 すうっ、と闇が近付いてくる。姿勢を低くし、こん棒にしがみつくようにして、ラルは、じりっ、じり、と後ずさった。それをかばって、シーズァがノラに支えられながら下がる。闇から、また声がする。
「そのバグは、殺されて食われるか、生け捕りから見世物にされるか、レアとして高値で取り引きされるか、あるいはフレモンとして死ぬまで戦わされるかもしれない。MODで改造されたりしてね」
 寒気のする矢音、目の前で幹が爆発――とっさにウォバリを張ったものの、シーズァ、そしてノラは衝撃でよろめき、手や膝をついた。
「それがモンスターの運命というもの。そんな逃避行は無駄なあがきでしかない。だから、私が苦しまないように殺してあげます」
「ふっ、ざけるなっ!」
 水の矢が生成され、声の方へ飛ぶ。水魔法ウォロー――それは暗闇に消え、おそらくは木の幹に当たった。
「そんな、か、勝手な理屈で殺されれたまるかっ!」
 シーズァの叫びは、ラルの叫びでもあった。言葉は分からないながら、怒りの声につられてラルは闇に吠えた。牙むき出しで、ぐおっ、とこん棒を振り上げた。
 研ぎ音じみた、含み笑いが聞こえた。
「それが、優しさというものでしょう。――」
 またしても幹が爆発し、風穴からめきめきと倒れていく。放たれるたび、爆弾矢はラルたちを頂へと追い詰めていった。反撃しようにも相手の姿は見えない。たとえ見えたとしても、弓矢の方が魔法よりも飛距離で勝っている。一射、また一射――斜面が緩やかになり、盾代わりの木々がまばらになって、ぽっかりと開けた山頂付近に達してしまった。
「あっ、あれ!」
 仰いで、ノラが声を上げた。コールタール状の夜空に、きんとした双子星がある。否、それは眼光だった。恐ろしく冴えた双眸――ヒガンバナのように翼の両腕を広げた、鳥人の影が浮かんでいた。
「私のフレモンよ」
 樹間の闇から声がする。
「ガルーダのアラリー、SRランクのモンスター。そうそう、まだ名乗っていなかったね。私はウェラー、ハンターとしてそこそこ名は通っているんだよ」
「あれが、上空から見れ、いたのか……」
 うめき、シーズァが引きつるように体を揺する。ラルも見上げて、ふつふつと喉を震わせた。こん棒を投げたところで届くはずもない。下りてこい、ぶちのめしてやる、そう怒りをたぎらせた。それをあおる、ウェラーの声――
「アラリーは、瞬きでモールス信号ができる。ターゲットの位置を伝えるのは造作もない。そして、こういうこともっ!――」
 ごおおおっ、とギロチンの刃のごとく、両脚のかぎ爪が急降下――水の障壁を破って、鋼の胸当てごとシーズァの両肩をえぐった。
「あぐっ!」
 よろめき、尻餅をつくシーズァ、巻き添えで倒れるノラ――こん棒が振られるも、かすりもせずに鳥人は急上昇する。ウォバリでガードしたにもかかわらず、えぐれた鋼の下からどくどくとあふれる血。すぐさまヒーリがかけられたが、深手だったのでノラは注力しなければならなかった。そこに暗闇から爆弾矢が飛んで――
 ばきっ!
 こん棒にはじかれ、矢は空中で爆発した。横から、シャフト部分を狙ったのだ。爆弾を打っていたら、ラルはもちろんシーズァとノラも吹っ飛んでいただろう。
「なるほど、そこらのオークとはひと味違うな」
 暗闇で、感心した声がする。
「だけど、忘れているぞっ!」
 毛むくじゃらに急降下したかぎ爪は、土塊の右腕をずたずたにした。ノラが身代わりにさせたのだ。土がばらけ、羽ばたいてアラリーが上昇――間髪入れず空を切る矢が、水流とぶつかって爆発する。
「空と地上……しかも、片方は姿さえ……」
 ようやく呂律も戻って、シーズァはウォバリを展開させた。すぐにウォダー、もしくはウォローを放てるようにする。だが、毒が薄れても窮地に変わりはない。かぎ爪に切り裂かれるか、爆弾でばらばらに飛び散るか……そうなっても、自分は死ぬわけではない。このアバター、そしてアカウントが消滅するだけだが、大切な分身を失うのはもちろんのこと、二度とこの世界の土を踏むことができなくなってしまうのは耐えがたい。しかし、それで済むならまだましだ。ラルとノラは死ぬ。殺されたら消滅してしまうのだ。
「――!」
 震えている、とシーズァは気付いた。だが、この震えは自分ではない。はっとして、道具袋に手を入れる。やはり、カプセルの震動だった。グレイスが出たがっている。危機を感じ取っているのだ。
「だめだ、だめだっ! あの矢とかぎ爪にやられるだけじゃないか……」
「わたしがやります」
 ノラが再び土から両腕を、加えてずんぐりした胴体、ぶっとい両足、ぼこっとした頭部をぎこちなく作り上げ、仲間たちの前に、ぬうっ、と立たせる。身の丈は2メートルほど、幼児の手による泥人形、あるいは小太りのドワーフといった、けっして見てくれのいいものではなかったが、拙いながらもノラがようやく完成させたゴーレムである。
「この子をあの暗闇に突っ込ませます。盾にしながら突撃しましょう。懐に入れば、弓矢は無力です」
「近接武器があるかもしれないけど……――ラル、それでいいか?」
 鼻息荒く、ラルはうなずいた。打って出るという、ふたりの目つきにこん棒を握り直す。
「よし。その前に……」
 シーズァは息を吸って――
「一つ聞いておきたい」
 と、声を張り上げた。すると、闇から酷薄な声が返ってくる。
「命乞いなら、まずそのオークを渡しなさい」
「あんたにじゃない。上にいる君にだ」
 シーズァは、上空の鳥人を見上げた。
「君は、それでいいのか? これまでも安全地帯からの命令に従ってきたんだろ? 君ばかり危険にさらされて……もっと自分を大事にするんだ。フレモンじゃない生き方だってあるんだぞ!」
 すると、眼光が不規則に瞬き、ふふっ、とウェラーが嘲笑を漏らす。
「うそ偽りなく翻訳してあげる。自分はフレモン、フレモンとは選ばれた存在である、だそうよ」
 シーズァは、目に染みるような顔をした。その横で、ノラがこみ上げてくるものにさいなまれる。そうした機微は分からなかったが、ラルはいっそう怒りが高じてきた。あの木々の陰、暗闇に飛び込んで、隠れている卑怯者を叩きのめしたくてたまらなくなった。
「……そうか。なら、仕方ないっ!――」
 シーズァに先んじて、どた、どた、とゴーレムが闇に走り出す。と、同時に上空から殺気――
「やあっ!」
 渾身の水が噴き上がって、かぎ爪の急降下を鈍らせる。だが、そのときゴーレムの上半身は爆弾矢で吹き飛んでいた。それでも下半身は止まらず、暗闇に突っ込んでいく。そして幹に激突し、暗闇に飛び散って――ばらけた土塊にひるむウェラー、その隙にこん棒が手のクロスボウを破壊する、が、代わって短剣が握られ、獲物に振り下ろされる。
「バカめ、飛んで火に入る――」
 明かりに照らされ、刃が土塊にはじかれる。ランタン片手にノラが放ったクレイボだ。よろめくウェラーの、フード付きレザージャケットの腹部にこん棒が横殴り――
「うぐっ!――」
 たたみかけようとしたラルは、苦悶の叫びで動きを止めた。二発目、三発目を放とうとしていたノラも振り返る。鋼の胸当ての上から両胸にかぎ爪が食い込み、両肩、両腕も押さえられたシーズァは、猛禽類に捕らわれた獲物さながらになっていた。
「う、動くな」
 腹部をさすり、ウェラーが鋭く言う。黄褐色のボウズヘア、雌ライオンをほうふつとさせる顔は、勝ち誇った牙をのぞかせていた。
「かぎ爪が心臓をえぐるよ。あいつが、この世界から消滅してもいいのか?」
 その脅しは、ノラを縛った。マスターを守らなければならない、という、染み付いた習性がそうさせた。ラルもまた動けなかった。もっと殴りつけたい、やってしまおう、と思いながら、シーズァを気にせずにはいられなかった。
「ふふっ」
 ランタンの火に浮かぶ、赤みがかった刃――手慣れた屠殺人のごとく、ウェラーの右手の短剣が上がる。狙いさだめる先には、こん棒で威嚇する姿があった。
「怖がることはない。痛みは、ほんの一瞬だよ」
「や、やめ、ろ……」
 もがくシーズァだったが、かぎ爪はいっそう食い込む。その苦悶を冷笑し、ウェラーが獲物めがけて――
 反射的にかばおうとしたノラは、目の前でウェラーの首が飛び、どっ、と落ちるのを見た。短剣を握った体が崩れ、塵に変わりながら倒れていく。ぼう然としていたところ、引き裂かれるような鳴き声が聞こえた。アラリーにゴーストが群がって、呪いの爪で両翼をぼろぼろにしている。たまらずシーズァを離し、夜陰に追い払われて――マスターを失ったその姿は、驚くほど無様だった。ぽかんとしていたラルは、暗闇から浮かび上がってきた影に目をむいた。
「ゲロクズめ」
 ほとんど消滅した生首にそう吐き捨て、どす黒いカーネーションを思わせる少女は大鎌の血を振り払った。
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