RESIST 8「頂の先へ」

文字数 11,348文字

 暗闇を掘るようにして、息苦しそうな明かりが、前へ、前へ、と急ぐ。ランタンをかざすシーズァ、ノラ、ラル、と続く狭いトンネルは、飛び上がったら頭をぶつけ、すれ違うのがやっと、というもので、よどんだ空気は寒気がするほどひんやりとしていた。エリーザの言っていたことが本当なら、ヘーブマウンテンの麓に出られる。頂から、サンクチュアリに昇ることができるはず――
 こんな隠しトンネルがありながら、どうして……――
 ノラの焦点は、ぼやけた。なぜ自分は、こちらを選んだのか……サンクチュアリとは、なんなのだろう……そうした考えにとらわれながら、シーズァの背中に引っ張られ、ラルから急き立てられて、はっ、はっ、と息をこもらせる。そうさせるのは、出口の向こうだけではなかった。
 追いかけてくる――
 声も、気配もなかったが、背後からぞくぞくと感じられる。確かに追ってくるのか、影におびえているだけなのか、とにかく急ごうと足を速めて、ほとんど小走りでどれだけ進んだだろうか。上がり階段が浮かび上がって、立ち止まったシーズァにノラは危うくぶつかりそうになった。
「出口だ」
 そう口にして、シーズァがよく照らす。ぶうっ、とラルは後ろから急かした。こんな地下から一刻も早く出たい。また空を仰いで、サンクチュアリに昇りたい。心がはやって仕方なかった。そのすぐ前で、ノラも上がり階段の先、出入口を閉ざす石の蓋を見つめる。
「分かってるって。――ノラ、ランタンを持っててくれ」
 シーズァは階段をのぼって、石の蓋に両手をついた。腰を入れ、担ぐようにして、ずり、ずり、とずらしていく。隙間からのぞくと土や落ち葉、草、圧倒的な緑のにおいで鼻腔がいっぱいになる。どうやら林か森の中らしい。さらにずらして、ひょこっと頭を出し、体を出して、ざっ、と地面を踏む。歩行者天国さながらに木々が生え、ざわざわと茂っていて、濃紺の夜空が枝葉の間からのぞいている。ランタンがなかったら、圧倒的な闇に埋もれていただろう。
「ギガハ樹海だな」
 シーズァがワールドマップ、コンパスで方角をチェックする。
「ヘーブマウンテンの麓に広がっているんだ。山頂はあっちだ」
「山登りですね」
 自身のスニーカーに目を落とす、ノラ。登山ともなれば登山靴だが、どこの店にも売っていなかったのでこのまま行くしかない。それがどうした、とばかりにこん棒を担いで、ラルは毛深い素足でさっさと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待てよ、ラル! まったくもう……――行こうか、ノラ」
「……シーズァさん、リアルの方は大丈夫ですか? きっと長丁場になりますよ」
「えっ? ああ、心配いらないよ。いよいよとなったら、そのときはそのときさ。この状況で抜けるわけにはいかないからね」
 生活も仕事も、今は後回しだ。運営の利益になって癪ではあるが、強化素材で武装と魔法、ノラとラル自身もすでに上限いっぱい強化済みだ。こん棒はというと、ボディビルダーの腕みたいになっている。もっとも、伝説の武器でもなければ高級ブランドでもない、レアモンスターやドールでもないのだから、MAXといってもたかが知れている。後は腕と経験、そして気力が物を言うだろう。シーズァは透明のカプセルを取り出し、中のグレイスに語りかけた。
「グレ、ゴールは近いぞ。もうしばらくの辛抱だからな」
 グレイスは首振りもなくなって、瞳の光は力強くなりつつあった。この先、どのような危険があるか分からない。モンスターだっているだろう。戦力になるのは分かっているが、シーズァにはそうするつもりはなかった。グレイスの分まで頑張ろう、そうノラと視線を交わし、ランタンを腰に歩き出す。
 小走りでラルに追い付き、先に立って、シーズァが暗闇を切り開いていく。一足ごとに両手を振り上げ、こちらを威嚇するような木々が浮かび上がってくる。明かりがなかったら、たちまちこれらに群がられ、真っ暗な深みに引きずり込まれそうだった。と、不意に歩みが止まって――
「気をつけろっ!」 
 シーズァの警告で、ノラがすぐさま土塊の両こぶしを生成する。ぴりぴりと耳を尖らせ、鼻の穴を広げていたラルは、いち早くこん棒を構えていた。めきめきめき、と木々がなぎ倒され、目の前に現れたのは、ワンボックスカーサイズの巨影――それはヘルズリーという大熊のモンスターで、ごわあっ、と吠えながら立ち上がった。
「うわっ!」
 見上げるばかりの、猛った黒い巨体にシーズァがたじろぐ。それをめがけて、恐ろしく鋭い爪――かろうじて土塊の左腕で防ぎ。右こぶしが毛深いみぞおちにめり込む。ううっ、とうなって、よろめくところへ、こん棒を振り上げながらラルは飛び込んだ。
 があっ!――
 大黒柱並みの左足、膝の外側にこん棒が叩き込まれ、ヘルズリーは大岩が崩れるように倒れた。巻き添えになった木々が折れ、ばたばたと倒れ伏す。ごおおっ、と喉を震わせ、黒炎のような巨体が地面から盛り上がる。そして両手の爪が振り上げられ、倍にも膨れ上がって見えた。
「やめろっ!」
 シーズァがウォバリを唱え、叫ぶ。
「戦うつもりはない! ぼくたちは、山頂に行きたいだけだ!」
 水のバリアの内側で、土塊のこぶしがファイティングポーズ、こん棒は、近寄るな、とばかりに力む。ランタンに照らされたヘルズリーの、むき出しの牙の間には真っ赤な舌――うかつに動けば、たちまち飛びかかってくるだろう。暗闇に囲まれながら、何分か、それ以上か、どっ、どっ、どっ、と鼓動が響いていく。そうしてにらみ合っていたところ、ヘルズリーのうなり声が次第に低くなり、あらわな爪が下がって、ゆっくりと後ずさっていく。やがて黒い巨体は闇に消え、焼くような息遣いも聞こえなくなった。
 ようやく息をつき、ラルはこん棒を下ろした。しばらく緊張していたせいで、とりわけ肩や腕の筋肉がこわばっている。ぱらぱらとゴーレムの両腕は土に還って、そこに水のバリアだったものが染み込んでいく。はあっ、と胸を撫で下ろし、シーズァは額の汗を拭った。
「まったく、どうなるかと思ったよ」
「わたしたちの気持ち、分かってくれたんでしょうか?」
「どうかな。動物だってそう簡単じゃないからね。だけど、こっちが戦う気満々だったらこうはならなかっただろう」
「そうですね……」
「それにしても、モンスターがこんな挙動をするなんてね。プレイヤーを襲うようにプログラミングされているはずなんだから」
 もちろん、こちらが強かったわけではない。かなりの苦戦は免れなかったはずだ。シーズァは、ラルと目を合わせた。
「バグが広がっているのかもな。生態系に影響するように」
 ノラにも見つめられ、ラルはなんだかこそばゆくなった。よく分からないながら、こん棒を右肩に、ふんっ、と意気込む。行こう、サンクチュアリはもうすぐだ、と歩き出し、ランタンがすぐさま行く手を照らす。暗闇の向こうを警戒し、なるべく気配を消し、足音を立てないようにして、浮かび上がる幹を避けていく。それでも何度かエンカウントし、そのたびにどうにか追い払って、小一時間くらいだろうか、ようやく枝葉の覆いがまだらになったところでラルは目を見開いた。巨人族の城塞のような山影、その上空で輝きが揺らめいている。
 サンクチュアリ――
 シーズァ、ノラも仰ぎ、しばし見入った。ついにここまで来た。後は頂まで登るだけだ。小休止で水分補給をし、ラルが先頭で樹間を縫って、緩やかな斜面を上がっていく。天上は白銀の満月よりも明るく、ランタンもいらないくらいだった。
「このくらいならハイキングだけど、だんだんときつくなるぞ」
 シーズァが、隣のノラに話しかける。
「けっこう標高がありそうだな。ぼく、登山なんて初めてだよ。――ラル、飛ばすとバテちゃうぞ」
 ずんずん進む背中に忠告し、先ほどの小休止でのアドバイスを繰り返す。いたずらに急がず、小股でゆっくり歩きながら体を慣らし、ペースを作っていく――シーズァがネットから得た知識だ。はやる気持ちは皆同じである。しかし、最後の難関ともなれば、強力なモンスターが待ち構えているかもしれない。どこまでリアルに忠実かは不明だが、もしかすると高山病だってあり得る。いずれにせよ、何があるか分からないのだから、調子を崩したりけがをしたりは避けたい。
 邪魔な灌木を避け、うねうねとした根をまたいで、幻想的に照らされる木々の間を行くうち、脇や背中がじっとりとして、足は少しずつ鉛に変わっていくようだった。警戒にもかかわらず、モンスターにはまったく出くわすことがなく、山は不気味なほど静かだった。先頭のラルは目を光らせ、耳をそばだて、鼻をひくつかせつつ、いつでもこん棒を振るえるようにした。
 何度か小休止を経るうち、傾斜は頭をもたげて、薄霧をまとうようになった。半ば手探りでしばらく行く、とかすんだ林が途切れて、ごつごつとした石だらけの、黒い山肌があらわになった。シーズァが拾ってみた石は、よく見ると溶岩石で、拒絶する手触りをしている。
 追っ手は――
 シーズァは振り返った。薄霧の林が城壁さながらにあり、天上の光に照らされた麓の深緑が一望できる。耳を澄ましてみたが、これといったものは聞こえない。
 あの隠し階段は、見つからなかったのか……――
 視線を戻し、ラル、ノラの疲れた背中を追う。斜面は一段と急になって、足を滑らせたらどこまでも落ちていきそうだ。きらめく山頂はすぐそこのようだが、見えるのと手が届くのとは違う。まだまだ歩かなければいけない。もしかすると、ここまでと同じくらい――
 どすっ、と冷たいものが鋼の胸当てを貫き、肩甲骨の間に食い込んで、そり返りながらシーズァはうめいた。そのまま膝から崩れ、黒土の上にばったりと倒れ込む。振り返ったふたりにも衝撃があって、それぞれよろめき、膝、手をついた。ラルは左胸、ノラは右脇腹にスローイングナイフが刺さっていた。
「急所を狙ったんですけど、ちょっと距離がありましたね」
 数十メートル後ろに退廃的な美しさの人形が、数本のスローイングナイフを手に立っていた。タッジノだった。その傍らに浮かんだ空中ディスプレイでは、ジョーカーがソファでくつろいでいた。
「――あっ、ぶないっ!」
 ノラがクレードを唱える。土の盾にはじかれ、数本のスローイングナイフが落ちた。すぐさまノラはシーズァに駆け寄って、ごめんなさい、と背中から刃を引き抜いた。
「今、治しますっ!」
 手からの光で傷が塞がって、胸当ての破損も元通りになる。すぐにシーズァは立ち上がって、放たれた水流がペドレの映像ごとタッジノを飛びのかせた。その間にノラはラルにヒーリをかけ、それから刃を引き抜き、自分の傷を治した。
 ぐるうっ、とうなって、ラルがこん棒を構えると、タッジノは両手を上げて怖がり、画面越しにペドレがせせら笑う。
「ボクたちが一番ですね」
 軽やかにタッジノが踏み出す。両手に双剣がなかったなら、散策の足取りにしか見えない。
「石椅子の下の隠し階段、あそこから何人も来ていますよ。もっとも、潰し合っているから、こうやって出し抜かれるんですけどね」
『それでは、視聴者の皆さん』
 ペドレが、ぱん、と手を叩き合わせる。
『これからミーたちプレゼンツのショーをご覧に入れます。こういうバグの始末は滅多に見られませんよ』
 タッジノが地を蹴る。かまいたちさながらの刃が土の盾に防がれ、ぶんっ、とうなるこん棒をひらりとかわす姿を、ペドレ側のカメラドローンがライブ配信する。天上の輝きに照らし出されるそれは、この世に現れた魔性の舞踏を思わせた。
「あっちへ行けっ!――」
 ウォロー――いくつもの水の矢でタッジノが飛びのく。そして、シーズァがラル、ノラに叫ぶ。
「先に行くんだ! 早くっ!」
 ふたりはこん棒を構え、土塊のこぶしを固めて、けん制しながら斜面を上がった。それにシーズァが遅れて続く。目的はサンクチュアリ到達であって、追っ手を倒すことではない。だが――
「逃がしませんよっ!――」
 悪魔の人形が飛び出し、押し流そうとするウォダーをかわす。ひらめく左右の刃が、シーズァの右前腕、左前腕から鮮血をほとばしらせた。骨に達するほどの、深い防御創――加勢しようとするふたりを制し、早く行け、とシーズァは気合いさながらに発した。
「だけど、シーズァさん……」
 と、ノラがためらう。
「後から行くよ。せっかくここまで成長したアバターをダメにするもんか」
「……分かりました。――行こう、ラル」
 タッジノをにらみ、ラルは斜面を上がった。三人掛かりでも、おそらくかなわないだろう。となれば、逃げるしかないのだ。ウォローでタッジノの足を止め、シーズァは癒やし水で傷を治す。そしてまた、ウォダーが飛びかかっていく。しかしながらタッジノは捉えがたく、深手を負っては癒やし水を繰り返すうち、とうとうストックがなくなってしまった。
「どうしました?」
 溶けかけのバターのごとく、タッジノが微笑する。
「癒やし水を使わないのですか?」
「くっ……」
 後ずさったシーズァが、がくっ、とよろめく。うっかり溶岩石を踏んで、バランスを崩してしまったのだ。疾風のごとく突っ込むタッジノは、シーズァの道具袋から飛び出したカプセルに意表を突かれた。
「何だっ?」
 テニスボール大の球体から、爆発するように巨体が現れて――怪獣の尻尾さながらの鼻がタッジノを吹っ飛ばす。空中で柔らかに態勢を立て直し、どうにか着地して、サファイア色の瞳はいくらか赤みを帯びた。
「そうでしたね。そのキメラのことを忘れていました」
「グレイス!」
 ノラが叫ぶ。シーズァも驚いていた。道具袋、カプセルから勝手に飛び出してくる、そんなことは考えられなかった。ど、ど、どっ、とグレイスが突進し、そり返った牙でタッジノを狙う。
「不正改造のくせにっ!」
 ひらっ、とかわしざま、左右の刃が切り裂き、ばあっ、と血が吹き出たが、分厚い皮膚では深手にはならず、巨体に似合わぬ俊敏さにタッジノは危うく踏み潰されそうになった。黒土の上を転がって、双剣と跳ね起きたところ、グレイスをかばうようにしてノラ、シーズァ、そしてラルがこん棒を構えていた。
『ほらほら』
 画面の中で、ぱんぱん、とペドレが両手を叩く。
『そんな連中にいつまでかかっているんだ。タッジノ、ユーはSRランクのドールだろう』
「分かっていますよ、ペドレ様。――」
 ずいっ、と黒革ショートブーツが踏み込んだとき、ごおっ、と突風が吹きつけ、上空から猛火が襲いかかってきた。たちまち火だるまになったタッジノがもがくも、火炎放射は牙を食い込ませ、あごでがっちり捕らえたように焼き続け、悲鳴さえも黒焦げになっていく。度肝を抜かれたラルたちは、コウモリに似た翼を大きく広げ、口から炎を吐く怪竜――ワイバーンの巨大な影を上空に認めた。その背から、浮かれた蛮声が降ってくる。
「ははっ! 燃えちまえ、ペドレのラブドールっ!」
 手綱を握るのはガイトだった。がく、がくっ、と倒れてもなお炎は続き、ブラウスやショートパンツ、リボンタイはもとより、金の巻き毛も紫のカラーも何もかもが灰になって、とうとうタッジノは動かなくなった。ばっさばっさ、とワイバーンが両腕を羽ばたかせ、もうもうと黒土が巻き上げられる。それとともに灰も散って、ラルたちが目を開けたときには、カメラドローン、ペドレの映像ともども跡形もなくなっていた。
「オレ様が助けてやったんだぞ。感謝したらどうだ、クソブス」
 高みから、ガイトがにやにやする。大狼から乗り換えたワイバーンもさることながら、背負った龍王之刃、虎縞のファーコート、レザーのシャツとパンツ、グローブにブーツ、エレファントロックスの牙のネックレスまで輝いている。サンクチュアリの光を反射して、だけではない。武器、防具、衣装、アクセサリーすべてが最大限強化されているのだ。伝説の武器やブランドファッションの輝きは、同じMAXでもラルのこん棒などとは比べものにならない。
 うっ――
 と口を押さえ、ノラがえずく。よろめくところを支えて、シーズァはのけぞったラル、長い鼻をもたげてうなるグレイスに叫んだ。
「逃げるぞっ!」
 ノラの手を引き、駆け上がっていくシーズァ――守ろうとするキメラの巨体、毛むくじゃらの小柄が後に続く。
「はっはぁ! 逃がすかよっ!」
 サンクチュアリの光をかき乱して、ガイトを乗せたワイバーンが急降下――その模様は当然ながら、ガイトのカメラドローンでライブ配信されている。
「待たせたな、視聴者のみんな! まずは、あのクソブタを丸焼きにしてやるぜっ!」
 最後尾のラルめがけて、ぼおおおおっっ、とワイバーンが炎を吐く――が、すばしっこくかわされ、溶岩石が、じゃあああっ、と焼かれる。
 仲間を逃がそう――
 ラルはそう考え、横にぴょんぴょん跳んだ。強化素材で体はしっかり育ち、ここまでの旅路で鍛えられている。野の獣並みに素早かった。そして上空からという距離、さらには炎の吐きすぎで火力が落ちており、かわすのはそれほど難しくはなかった。
「なめやがってっ!」
 急降下するワイバーン――ごあっ、と息を吸い、吐いた炎に水流がぶつかる。どおぉんっ、と水蒸気爆発で、ラルがつんのめる一方――
「うぉぁっ!――」
 爆発の衝撃であおられ、ガイトが背から転落する。間髪入れず、シーズァのウォローで両翼にいくつも穴を開けられ、失速したワイバーンが斜面に突っ込む。黒土まみれの翼、かぎ爪の足――そこに頭からグレイスが体当たりした。体の大きさは同じくらいだったが、隙を突かれたワイバーンは鼻面からひしゃげ、砕けた鳴き声とともに、どう、とひっくり返った。巨象顔負けの巨体、それが急加速しての衝撃は、巨拳による渾身の一撃といったところだ。アイコンタクトなどをしたわけではなかったが、見事な連携だった。
「そらっ!――」
 仰向けのワイバーンに空のカプセルがぶつけられ、両腕の翼から尻尾まで、うろこ一枚残さずに吸い込む。グレイスの代わりを閉じ込め、転がったカプセルは、こん棒でゴルフボールさながらに飛ばされていった。
「いてて、ちくしょう……」
 悪態をつき、立ち上がるガイト。涙目でもだえるノラをかばって、シーズァが声を張り上げる。
「もうワイバーンは使えないぞ! 視聴者の前で恥をかかないうちに帰れ!」
「へっ、ご大層な口を利くじゃねえか」
 嘲りで口角をひん曲げ、ガイトは見せびらかすように龍王之刃をかざした。天上からの光を跳ね返して、そり返った大振りの刃はぎんぎんにぎらついていた。
「相当つぎ込んだんだぜ、最大限強化するのによ」
 その資金はもちろん、広告収入や支援者からの寄付である。ガイトはシーズァ、ノラ、それから、ラル、グレイスをにらみつけ、歯の間から、ちろちろと火が燃えるような笑いを漏らした。
「その威力をな、たっぷり味わわせてやるからな……」
「ぼくたちは、サンクチュアリに行きたいだけだ! お前と戦いたくなんかない!」
「オレ様は、お前らをギッタギタにしたくてたまらねえんだよっ!」
 龍王之刃が燃え上がって、ぶぉんっ、と一振り――巨大な火球がすぐ前で炸裂し、ラルは木の葉のごとく吹っ飛んだ。シーズァ、ノラも転がって、全身焼けただれたグレイスがうめきながら横倒しになる。グレイスが盾にならなかったら、ラルたちはもっと手ひどいダメージを負っていただろう。
「どうよ、この威力!」
 カメラドローンにどや顔し、ガイトは龍王之刃を振りかざしながら距離を詰めた。
「手加減してやったんだぞ。オレ様はフェミニスト、女に優しいからな。ほら、こっちに来いよ、クソブス」
 うう、と顔を上げ、ノラは凍りついた。いやらしく近付く、残忍な笑み――吐き気がいよいよ激しくなって、内側から食い破られそうな苦しみに震え、脂汗がじわじわとあふれ出す。両手で口を押さえるノラをライブ配信しながら、ガイトは小動物のパニックを嘲る笑みをたたえた。
「なんだよ、嬉しくてちびっちゃうか? よしよし、またたっぷりかわいがってやるからな。――んん?」
 真正面から、カメラドローンがガイトをとらえる。その後方で、紫髪、上衣などが焦げ、火傷も負ったシーズァがやっと立ち上がる。
「なんのつもりだよ。オレ様の人気にあやかろうってのか?」
「お前にだけ、好き勝手に配信されてたまるか!」
 にたにた笑う顔にきつく焦点を合わせ、シーズァはカメラドローンのマイクに声を振り絞った。
「こんな暴力、許していいのか! 見ていてなんとも思わないのかっ!」
「るッせえんだよっ!――」
 火球が突っ込み、ウォバリに激突――水蒸気爆発の衝撃でよろめくも、シーズァはウォロー、水の矢を連続でお返しした。だが、それらは炎の一振りであえなく散ってしまう。
「ふふん、てめえのおかげでコメント欄が盛り上がってるぜ。思い知らせてやれってなっ!――」
 またしても火球がシーズァを狙って――と、がっ、と左のこめかみに衝撃があって、ガイトがふらつく。こぶし大の溶岩石をぶつけて、ラルはこん棒を、逆転ホームランを狙う目つきで構えた。
「……このクソブタが! てめえからぶっ殺してやらあ!」
 放たれた火球が、横からの水流で、どおっ、と蒸気を散らす。
「邪魔すんじゃねえっ!」
 水のバリアが破れ、炎の斬撃を食らってシーズァは倒れた。鋼の胸当てからは煙が上がって、限界まで強化してあるにもかかわらず砕けかかっている。そして、ラルめがけて再び放たれる火球――高熱で溶岩石がどろっとなり、噴火を再現するように飛び散る。かろうじてかわし、ふう、とラルは熱い息を吐いた。続く火球も、すばしっこい獲物をとらえ損ねる。
「畜生が! そんなら、これならどうだっ!」
 振り上げた龍王之刃から、どおっ、と炎が噴き上がる。サンクチュアリさえも焼きかねない、すさまじい火柱にラルはたじろいだ。激しい炎の熱で空気は揺らめき、豚鼻の先から炙られていく。火力は火球の数倍、あれでは直撃を免れても無傷ではいられないだろう。ほろ酔いじみた顔のガイトは、自分の方に一歩、また一歩、と近付いてくる巨体に気付いた。ずんぐりむっくりの土人形が、ぐぐっ、とこぶしを固めてくる。その後ろでは、ノラが自らの胸をわしづかみにしていた。
「どういうつもりだ、クソブス。オレ様は、お前のご主人様だぞ」
「……」
「どういうつもりかって、聞いてんだよっ!――」
 火柱が狙いを変え、土塁のような頭に振り下ろされる。ひとたまりもなかった。燃えながら土塊が飛び散って――爆炎でノラは吹き飛ばされ、黒土にまみれていった。前髪はちりちり、顔や手は赤くなって、サバイバルベスト、迷彩服などもひどく焼けている。そこにずんずんと、踏みしだく足取りが近付く。
「あん?」
 ばらばらの土塊から、どうにか右腕が形作られる。そして懸命に太い指を曲げ、握り固められていく。左手で口を押さえ、前のめりで立ち上がったノラは、涙ぐんだ顔でガイトをにらんだ。
「なんだあ、その目つきは? ドールの分際でよ。やっちまうぞ、このメスガキ!」
「ぶっ!」
 左手の堰を切って噴き出し、ノラは倒れんばかりの前屈みになった。げえ、げえ、と嘔吐物を吐く。その姿をクローズアップし、ガイトは面白そうに配信した。
「ドールも吐くのか。よくできてるよなあ」
「……ど、どっかに行って」
 口元を拭って、かすれ声でノラは言った。
「はぁん? なんだってえ?」
「いなくなって!」
「てめえ、誰に口利いてんだ!」
「あんたなんか大嫌いっ!」
「なめんじゃねえぞっ!――」
 ぐわっ、と龍王之刃を振り上げた瞬間、左膝の裏に強烈な一撃――不意を突かれ、がくっ、とガイトはよろめいた。こん棒による横殴りだった。ノラにフォーカスしていたので、視聴者もラルの動きに気付かなかった。
「このブタ――」
 土塊の右こぶしが飛び、朱を注いだ右頬にめり込む。もろの右ストレートで吹っ飛び、ガイトは斜面を転がり落ちて、わめき声、カメラドローンもろとも薄霧に消えていく。
 ――
 膝をつき、あああ、とノラは号泣した。どくどくと涙があふれ、声が枯れるまで叫んで、むせび泣きに変わっていく。息を詰まらせ、あえいで、すすり泣きになって……そばに体温を感じ、ぐしょぐしょの顔を上げるとまどかな瞳があった。ラルはただ、寄り添うように立っていた。
「……ありがとう」
 鼻をすすり、何度も顔を拭って、見えない手に支えられながらノラは立ち上がった。
「シーズァさんとグレイスは……」
 横たわった巨体に目が留まって、ふらふらとノラは急いだ。ラルもこん棒片手に付き添う。グレイスは全身が焼け焦げ、ひどくただれて、とても見ていられなかった。胸は苦しげに上下し、今にも止まってしまいそうである。ノラとラルを認めた目は嬉しそうに潤み、抗おうとするかのように長い鼻が動いた。
「すぐに、すぐに治すからね」
 しかし、手からはかすかな光しか出なかった。先ほどの右こぶしで力を使い果たしてしまったのだ。かといって、癒やし水も使い切ってしまっている。
「お願い……お願い……!」
 全身から絞り出そうとするも、グレイスの息遣いは途切れがちになっていく。ラルにはどうすることもできず、瞬きせずに見つめるばかりだった。
「……誰か、助けて……グレイスを助けてください! お願いします……お願い……」
 涙ぐんだノラは、奇跡を目の当たりにした。焦げた皮膚が、醜いただれがきれいになっていく。見上げたそこにはシーズァがいて、癒やし水をどばどばかけていた。瓶が空になったら次を出し、数本を空にするとグレイスの呼吸は落ち着いた。
「シーズァさん……」
 目をしばたくノラに、シーズァは恥ずかしそうに微笑んだ。
「癒やし水を寄付してもらったんだ。ほら、ラルの分もあるぞ」
 瓶を受け取って、ラルは頭からかぶった。火傷が元通りになっていく。シーズァは自身にも癒やし水をかけ、配信画面に目をやった。
「視聴者の方からだよ。やっぱりラルが一番話題だぞ」
 確かに、ラルに関するコメントが多かった。ちびのオークが必死になっている、その姿が共感を呼んだらしい。シーズァのカメラドローンは撮影を続けていて、ノラたちにも応援コメントが寄せられている。
「あいつの配信で注目が集まって、それでこっちも、ってことさ。今までにない視聴者数だよ」
「……ここまでしないとダメなんですか」
「えっ?」
 聞き返すシーズァにうつむき、ノラは唇をかんだ。
「ずっと助けを求めてきたじゃないですか。必死に頑張って、死にそうになって、それでようやく……」
 切なげな涙のにおいに、ラルは、ふうっ、と深いため息をついた。そうだな、とシーズァがうな垂れるようにうなずく。
「……鈍すぎるんだよ、みんな」
「それで、どれだけ犠牲になったんですか。エリーザさんたちだって、助けてあげるべきだったんです。あんなこと、やめさせなきゃいけなかったんです」
「ノラ……」
「鈍いからモンスターは殺され、ドールはおもちゃにされる。ひどいです。ひどすぎます」
 そう吐き出して、ノラはカメラを恨めしげににらんだ。それに批判コメントがいくつか寄せられる。そのことを黙って、シーズァは話題を変えた。
「もうちょっとで頂上だ。また追っ手が来るかもしれない。急ごう」
 シーズァは予備のカプセルを出し、心配しなくていい、ゆっくり休むように、と言い聞かせてからグレイスを収容した。ふんっ、と意気込んで、ラルがぶっといこん棒を担ぐ。小さな足跡の後から、ノラ、ライブ配信を続けるシーズァ――癒やし水で傷は治っているが、かなり消耗しているので、メガギガドリンクを飲んでも足は棒そのもの。それを斜面に突き立て、はやる心を抑えつつペースを守っていく。一歩ごとに強まる、天上の聖なる輝き……少しずつ、少しずつ近付く頂……それにつれて、抑えようとしても抑えきれずに足は速まった。未踏の独立峰、その上空に揺らめく聖域――視聴者のテンションも高まっていく。そして、ついに――
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