□ 生の目覚め □

文字数 3,209文字

 見たこともない純真な黒の天井。それが目に入った最初の景色だった。
 どうやら眠っていたらしいが,普段見る何とも言えない柄の天井ではない。よく小説の書き始めに現れる真っ白な天井とは真逆のものだったが,ここが病院であることは何となく分かった。
 起きようとした脳に反抗して何故か起き上がらない身体。どうにか身体を横に倒したことで自分の身体に起きた異変に気が付いた。
 この感じ⋯覚えがある。
「──身体が(かじか)んで動かない。」
 そうだ。冬に手袋もせず自転車で移動していたら体験するあの現象。今まで,身体を動かすことが出来ないほど悴んだ事はない。だが,その現象が重度になるとどうなるのかは想像に難しくなかった。目が覚める前のことをあまり思い出せないが,低体温症にでもなってどこかの病院へ運ばれたのだろうか。
 幸い大きな声は出せないものの,助けを呼ぶくらいは出来そうだ。
「すみませーん。身体が悴んで動けないのですが助けていただけませんかー」
 …返事が無い。
「誰かいませんかー。身体が動かないので誰かいたら助けてください」
 病院に人がいないことなどあるのだろうか?私の焦りとは反対に,徐々に手足に血が通う感覚があった。
 まだ細部の感覚はないものの,ようやくベッドから降りる事が出来た私は,自分の身体に異変があったことに気が付いた。
「裸⁉なんで⁉」
 そう。悴んでいて感覚が無かったせいで気付かなかったが服を着ていなかったのだ。
 今までは正直どこか楽観視している節があった。だがどうやら私は事件・事故,あるいは超常現象の類…その何かに巻き込まれた可能性が高いのは明らかだった。
「とりあえず服…それかせめて羽織れるものでも…」
 服を見つけることは出来なかったが,ベッドを仕切る為のカーテンを見つけ羽織った。
 その時に出入口らしきドアを見つけた。まぁ当たり前にびくともしないし,かなり頑丈そうな見た目なので扉からの脱出は不可能と考えていいだろう。
 ───なぜ私はこんな所に?
 ───なぜ私の身体はこんな状態で?
 ───なぜ私はこんな格好で?
 ───私の置かれている状況は一体?
 頭の中には疑問ばかりが膨れている。だが,本来濃く持つべき不安や恐怖の感情は薄かった。
 


 色々考えながら,置いてあった引き出しを漁っているとあるものを見つけた。
「これは…タブレット?さすがに電源は点かないか~」
 このタブレットから助けを呼ぶ…のは出来なくても,せめて何かこの状態を脱せる情報があればと考えていたのだが……さすがに虫の良すぎる話だったか。───パチッ
 そんなことを考えていると,触っていたタブレットに突然電気が通った。画面にはピエロのような恰好をした頭のおかしそうなやつが映っている。
「ようやくお目覚めでーすか。まったく。永遠に起きないのかと思いましたよ」
 突如画面に現れた国籍・年齢・性別不詳のピエロは,初対面にもかかわらず縁起でもないことを言ってきた。
 突然の出来事に理解が追いつかず,思わずタブレットを落としてしまった。
「おやおーや。もう少し丁寧に扱ってくれませんかね。そのタブレットは今後のあなたを左右するいわば一蓮沢庵というものでーすよ」
「それを言うなら一蓮托生じゃ…」
「はいはーい。口答えしなーい。そんなことを言う前にあなたはわたしに聞きたいことがあるんじゃないでーすか?特別に一つだけなら質問に答えてあげようじゃありませんか」
 一連のやり取りから考えるに,今画面に映っているのは録画などではなくリアルタイムのようだ。つまり,この映像が繋がっている間に,現状を脱するための情報を出来る限り得る必要があるだろう。
「もしかして質問はないでーすか?」
 聞きたいことは山ほどある。そのおかしな恰好について是非とも伺いたい。…とまぁ冗談は置いておくとして,まずは自分の置かれている状況を聞かないことには始まらないだろう。そして実に癪だが,この変人もその質問をされると分かって聞いているようだ。とりあえず絶対に聞かなければならない質問を

してみる。
「私が今置かれている状況について教えてください。ここはどこで,何のために私はこんな状態でここにいるのか」
 質問に対して,どれだけ真実を答えてくれるか分からないけど。
「一つだけと言ったのに上手い具合に自分の聞きたいことのほとんどを含めて来たようだーね」
 …バレた。
「だけどまぁ,こちらとしてもあなたにはやってもらわなければいけないことがありますかーらね。それの進行に支障をきたさないためにも教えてあげましょうか」
 私がやらなければならないこと?それが,今私がここにいる理由なのだろうか。
「まずはここがどこなのか。という質問に答えましょうか。具体的な場所…は言っても分からないでしょうね。あなたにも分かるように言うと,警察・自衛隊,あとはヒーローだとか…貴方に想像でき得るどのような助けも来ない場所だーね。これはあなたの精神を削ぐために言っているのではなく,物理的に無理だと言っているのだーよ」
 物理的に無理?どういうことなのだろう。
 この変人の言っていることに嘘が含まれている可能性は捨ててはいけない。小説であれば,このような状況の時に犯人がネガティブな情報を与えて逃げる気力無くすというのは定石だ。だけどもしこいつの言っていることが事実で,ただの精神攻撃ではなかったとしたら?それでも物理的にという言い方に疑問が残るのだけど…宇宙にでもいるのだろうか?
「言葉の裏を探っているようですな。思慮深いのは結構ですけど,時間は有限だから続きを話すこととしようか。次の質問は何のためにここにいるのかだったかーな?その説明の前に一つ,こちらからも質問をしてもいいかい?」
「質問?」
「そう。質問だーよ。あなたは自分の死に方について,どの様な死に方が良いか考えたことはあるかーな?」
「自分の死に方?」
「そう。人間というのは理想の生き方については自分で考える。そして小学校・中学校などでは“将来の夢”と称して,それを考えることを必須とする。だけども理想の死に方については自分で考えることもしなければ,他人から考えることを強要されることもない。可笑しいと思わないかい?死に方だって病死に限らず,焼死・轢死・転落死のように様々な“可能性”という名の将来があるというのに。あ,ここで話している死に方というのは他殺か自殺かみたいな浅はかな話ではないよ」
 ──何故だろう。このピエロの言っていることは理屈とかではなく,違和感もなくスッと私の中に入ってきた。
「まーあ。この話は私の敬愛する作家『加賀(かが)(さき)(あゆ)』の受け売りなんだけーどね」
 加賀﨑鮎?何か知っているような知らないような…。
 そんなことより,質問の内容は“私の考える理想の死に方”か。考えたこともなかった。私の場合は明日のこともたいして考えていないのだが。
「理想の死に方…。凍死。」
「凍死?」
「私の理想の死に方は“凍死”ですね。他は考えても何かパッとしなかった」
 そう言った刹那,画面の先に不敵な笑みが浮かんだ。
「凍死ですか!良いですねぇ!!ちゃんと自分の理想の死に方を持っている人は良い!すごく良いと思いますよ!!」
 失敗した。普通に考えて,この状況で自分の理想の死に方なんて話してしまったら実際の死に近づくに決まっている。
「でもやっぱり死にたくはないので,今のはナシでお願──」
「は?
「なかなかいい人間かと思えば,やはりあなたも死から逃げようとするというのデスか?」
 失敗二回目。どうやらこいつにとって死から逃げようとすることは絶対に許せないらしい。
「でもやっぱり死ぬなら凍死が良いですね~あははは」
「そうですよね。よかった。急に死にたくないとか言うからビックリしたじゃあーりませんか」とニコニコしながらピエロが言った。
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