第9話

文字数 4,895文字

 声がして絵美が声のした方に顔を向ける。そして、それが誰か分かると嫌悪感を露わにした。

「仕事帰りかな?お疲れ様。マッサージの仕事、まだやっているんだね。良かったらまた僕にもマッサージをして欲しいな」

 にこやかな笑顔でその言葉を綴りながらそこには基頼が立っていた。

「……何?」

 絵美が低い声で相手を威嚇するようにそう言葉を口に出す。

「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。そのさ、奏ちゃんには伝えといてくれたかなって思って気になってね。それで、早速聞きに来たんだ」

 穏やかな表情を浮かべながら優しい声で基頼がそう言葉を綴る。


 ――――ゾワッ……。


 その表情と声に絵美の身体に恐怖感のような鳥肌が立つ。


『この男は外ではこうやって良い人を演じているピエロ』


 そう感じて、絵美はその場から早く立ち去り部屋に戻りたいが、運の悪いことに駐輪所から自分の部屋に入るには基頼の横を通るしかない。

 早く立ち去りたい気持ちと傍に行きたくない気持ちが交差してその場から動けない。


「……一応、奏には伝えた。でも、これ以上は何もするつもりないから……」

 絵美が拒絶感を前面に出しながら唸るような声でそう言葉を綴る。

「良かった……。奏ちゃんには伝えてくれたんだ。それで、奏ちゃんはなんて?」

 基頼が安堵した表情を見せながらにこやかにそう言葉を綴る。

「特に聞いてない」

 絵美が警戒しながらそう言葉を綴る。

「そっか……。ありがとう、後はこちらで何とかしてみるよ」

 基頼が笑顔でそう言葉を綴るが、直ぐにはそこから行こうとはしない様子が伺える。

「基頼さん、今は仕事は?」

 絵美は基頼がこんな時間にアパートに来ることがおかしいと感じ、警戒したままそう声を掛ける。

「僕?たまに日雇いの仕事をしているよ」

 基頼が笑顔でそう言葉を綴る。

 しかし、本当はどうなのかというと、基頼は全く仕事をしていなかった。夏江のお金で生活をしているような状況だ。

 絵美は「恐らく仕事はしていないだろうな」と感じるがそこは追及しない。


『下手に関わりたくない』


 それが絵美の本音だった。

「じゃあ、家のことしなきゃいけないから……」

 絵美がそう言って、緊張の糸を張り巡らしながらその場からなかなか去って行かない基頼の横を通り、部屋に通じる二階の階段を上がっていく。

「またね、絵美ちゃん」

 基頼が横を通り過ぎようとした絵美にそう声を掛けたが、絵美はその声には何も反応せずに部屋に入っていく。

 そして、部屋に入ると、スマートフォンを鞄から取り出して、奏に連絡をした。



「じゃあ、その基頼って人が夏江さんにどんなことをしていたのかまでは分からなかったのね?」

「はい……」

 冴子の言葉に奏がそう返事をする。

 あの後、奏たちは特殊捜査室に戻り、由紀子から聞いた話を冴子に話した。

「……こうなったらガチで接触する方向を考えなきゃいけないんですかね?」

 紅蓮がそう言葉を綴る。

 その時、奏のスマートフォンが鳴り響き、絵美からだったのでその電話を取る。

「……うん。やっぱり接触してきたんだね。……うん、分かった……。後、今回の件を捜査することになったから……。うん……そう……。ちょっと引っ掛かる事があるからね……。……うん、じゃあまた連絡するね……」

 奏がそう言って電話を終える。

「また基頼が絵美さんって人に接触してきたの?」

「はい……。どうやらこの前の事を私に伝えたかどうか聞きに来たみたいです……」

 冴子の言葉に奏がそう答える。

「とりあえず、その基頼が住んでいるアパート周辺の聞き込みをしてみた方が良いかもしれないな。後、隣の住人にも話を聞いてみよう」

 こうして、透の言葉で明日は近隣の聞き込みを行うことになった。



「……奏は来るはずだ……。いや……、絶対に来る……」

 ビール缶を片手に基頼が不気味に笑いながらそう言葉を呟く。

「俺を捨てた罪は重いからな……奏……」

 自分が奏にやろうとしていることを考えるだけで高揚感が溢れてくるのか、何処か上機嫌で何本もビール缶を空けながら愉快そうに笑う。

 その雰囲気は不気味なほどの黒色を湛えていた……。



「……こちらです」

 今野がそう言って透をある場所に案内する。

 次の日、奏たちはアパート周辺の聞き込みを行なった。透が今野に話を聞くことになり、奏、紅蓮、槙の三人は近隣の住人に話を聞くことになった。

 そして、透が今野の部屋を訪れてそのあるものを見せてもらう。

「……なるほど、これはまた何と言うか……」

 そのあるものを見て透がそう声を漏らす。

「その……ちゃんと言わなきゃとは思っているんですが……」

 今野が言葉を詰まらせながら言う。

「そして、これがその装置ですか?」

 透があるものを指さしてそう言葉を発する。

「はい……。興味本位だったのですが、まさかあんなことがあるとは思いもよりませんでした……」

 今野が戸惑ったような困ったような複雑な顔でそう言葉を綴る。

「ちなみにですが、この装置に録音機能はありますか?」

 透がそれを指さしながらそう言葉を綴る。

「はい、あります」

「もし、良かったら聴かせていただいても宜しいですか?」

「はい、構いません」

 透の言葉に今野がその装置の録音機能をオンにする。すると、そこから聞こえるものに透は険しい顔をした。

「……なるほどな」

 録音に入っていたものを聴いて、透がそう言葉を呟く。

「……ありがとうございます。もし良ければこちらの録音のコピーを取っても宜しいですか?」

 録音を聞いて透がそう言葉を綴る。

「はい、構いません」

 今野の了解を取り、透が槙に電話をしてその部屋に来てもらう。奏と紅蓮はそのまま聞き込みをする手筈になった。



「……そんな事があったの?!」

 聞き込みをしていた奏と紅蓮が近くのアパートに住んでいる牧村(まきむら)にある話を聞いて奏が驚きの声を上げた。

 牧村は奏がアパートに住んでいた時に仲良くしていた人の一人で、まだその頃と同じアパートに住んでいたので話を聞くことが出来た。

「えぇ。絵美さんからも電話がかかって来てその事は伝えたんだけどね。だから娘が嫌がって高校を出て自立と同時にこのアパートも出ていって今は一人暮らしをしているわよ……」

 牧村の話に奏は唖然とする。確かに牧村の娘とは奏と基頼も面識があった。当時、牧村の娘は高校生で母親と二人暮らしをしていた。

 そして、牧村から聞いた話とは、奏がアパートから出て行ってしばらくすると、基頼が牧村の娘に「お母さんの事で何かあったら心配だと思うから、念のため連絡先を交換しないか?」と言ってきたらしい。娘もその時はあまり基頼に警戒をしていなかったので、母に何かあったら連絡をくださいという事で電話番号を交換したということ。

 しかし、交換した途端、基頼からの異常ともいえる量のメッセージがきたり、娘の方だけ部屋に遊びに来ないかと何度もしつこく誘ったらしい。それで、娘が基頼を気味悪く感じ、高校を卒業と同時に母親である牧村のアパートを出て就労が決まっていた職場近くのアパートに一人暮らしをすることを決めたのだという。

「……全く、とんでもない人だよ。だから、私も基頼さんとは一切関わらないことにしたの……」

 牧野が基頼を恨むような目をしながらそう言葉を綴る。

「ちなみに、私が出て行ってからしばらくして基頼さんに新しい彼女が出来たのは知っている?」

 奏が夏江の事で何か分かるかもしれないと言い、牧村にそう話を振る。

「あぁ……、あの子ね……。知っていることは知っているよ。多分見た目の割に年齢はいっているんだと思うけど、いつだったか、コンビニで見かけて子供用のシール入りのお菓子を買っているのを見たことあるわ。それに……」

 牧村がそこまで言って言葉を詰まらす。

「何かあったの?」

 奏の言葉に牧村が話そうかどうか悩んでいるそぶりを見せる。

「その……、たまにその新しい彼女さんに基頼さんがとても冷たい目つきで見ていることがあるのよ……。一緒にスーパーとかコンビニに二人で来ていて、その彼女が楽しそうに選んでいる時にすごく冷たい視線で見ているというか……。それを見て、私、基頼さんってすごい怖い人なんじゃ……って思ったよ……。奏ちゃんが出て行った後も私に『奏ちゃんが男を作って僕はもう用済みだって言われた』って泣きながら同情買うように言っていたけど、聞いていてそれが本当ではないよなって言うのは今までの事で分かっているし……。相変わらず、被害者ぶって周りに同情を買って優しくされたいんだなぁ~って思ったよ」

「……てことは、牧村さんも基頼さんのそういう性格に気付いていたの?」

 奏が牧村の話を聞いて驚くようにそう言葉を綴る。

「まぁね……。奏ちゃんには一切その事を話さなかったけど、何となくは気付いていたよ」

 その言葉に奏が驚きを隠せない。

「あ……、娘さんに基頼さんが携帯の番号を教えたってことは、牧村さんも基頼さんの電話番号は分かるの?」

「えぇ。一応、娘から聞いているわよ」

 牧野がそう言って「ちょっと待ってね」と言って部屋に入っていく。しばらくして、一枚の紙きれを持って戻ってくる。

「これよ」

 牧野が奏に基頼の電話番号が書かれた紙を手渡した。



「よっ!お疲れ、透、槙!」

 奏と紅蓮が合流場所で透と槙に合流する。

「紅蓮、奏と二人っきりな事をいいことに奏に何もしていないだろうな?」

 合流するなり、槙が紅蓮に槍を与えるがごとくそう言葉を発する。

「何もしてねぇよ!!」

 紅蓮が「濡れ衣よ!酷いわ!!」とオネェ言葉で言いながら反論する。

「……ところで、そっちは何か収穫はあったか?」

 透が紅蓮と槙がヒートアップする前にそう尋ねる。

「収穫と言うか、基頼って人、年齢の割にえらい若い子が好きな変態おっさんだという事は分かったな」

 紅蓮が先程、牧村から聞いた話を透と槙に話す。

「……なんか、その男、本当に気味が悪いな」

 槙が嫌な顔をしながら気色悪そうにそう言葉を綴る。

「ところで、そっちはどうなんだ?」

「あぁ、それなりに収穫はあったよ」

 透がそう言葉を綴りながらコピーしたメモリースティックを掲げる。

「後、念のため今野さんに例のお願いもしてきた」

「……じゃあ、後は実行のみだな……」

 透の言葉に紅蓮がにやりと笑う。

「とりあえず、いったん戻ろう」

 透の言葉に奏たちは署に戻ることになった。



「……え?!当分迎えはいらないって言われたの?!」

 孝が広斗に元気にしているか電話をしたら、広斗から奏に捜査で忙しくなるから迎えは断られたことを聞かされて驚きの声を上げる。

『捜査なら仕方ないし……。ちょっと心配だけど……』

 広斗が何処か不安そうにそう言葉を綴る。

『その捜査も基頼さんって人が関連しているのは奏から聞いているんだけど、やっぱり心配でさ……。たかやんも言っていたよね?奏は無茶なことをするときがあるって……』

「うーん……。確かにね……。無謀なところはあるかな……。危険を顧みないところもあるから心配な面もあるけど……。でも、単独で捜査しているわけじゃないからそこは安心していいと思うよ?」

『そうだね……』

「なんか、広ちゃんが意外だね」

『何が?』

 孝から出てきた言葉の意味がよく分からなくて広斗が聞き返す。

「だって、『仕事が彼女です!』って言うくらい、仕事ばかりして彼女を作らなかったのに、奏ちゃんと付き合ってから、奏ちゃんにある意味かなり惚れてるよね?それこそ、空いた時間に迎えに行ったりして!」

 孝が嬉しそうにそう言葉を綴る。その言葉に広斗は顔を赤くして何と答えたらいいか分からなくなっている。

『と……とりあえず、そういう事だから!』

 広斗がその話を切り上げるために、そう言葉を発する。

「照れなくてもいいのに♪」

 孝がちょっと意地悪そうに言う。

『たかやん……、それ以上言ったら……』

 広斗が低い声で圧を掛けるように言葉を発する。

「ご、ごめんなさい!!ちょっとやり過ぎました!!」

 孝が電話を持った状態でペコペコと頭を下げる。

 そして、二言三言話して電話を終えた。



「……もしもし、基頼さん?」

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