第7話 再会

文字数 2,275文字

「……スー?……スーなのね?……」
「お母さん……」
「本当に……また会えた……」
「うん……会いに来れた……」

『2年待ってくれ、そうしたら必ずスーをここに連れてきて会わせてやるから』
 酒井が口走った約束を美香が守らねばならない義理はない、しかしあの約束から丁度2年後、美香はスーを連れて彼女のふるさとを訪れた、そうしない理由などどこにもなかった。
 そして、久しぶりの母娘の再会を一歩下がって見守っていた美香は思わず涙を拭った……。

「それじゃ、今、お母さんは一人ぼっち?」
 父親は肝臓を患って半年前に亡くなったと言う……スーの稼ぎを残らず飲んでしまった報いだ……弟達も職を求めて都市部へ出て帰らず、未だに連絡も取れないと言う、ならば……。
「もし良ければお母さんも日本に……」
 美香の申し出に母親は小さく顔を振った。
「いいえ、今はあなたがスーの母親なのですから、あたしが入り込む場所はありません……あたしはこの国で、この家でスーと息子たちを待ちます……そのかわり……」
「ええ、毎年、いいえ毎年2回はここにスーを連れて参ります」
「ありがとう……あたしはそれで充分……」



 それから20年以上が経つ。
 酒井は今でも東南アジアでスカウトの日々を送っているが、スーをスカウトした以上の成功を収めたことはない。
 10年ほど前からはこちらに移住して自身のプロダクションもこちらに移し、今も変わらずパブやキャバクラのホステスをスカウトして日本に送る日々を送っている。
 しかし、酒井はそれで満足している、東南アジアの緩さ、ある種の猥雑さが性に合っていてこちらに骨をうずめるつもりなのだ。
 
 スーは10年と言う異例の長きにわたってAV女優として活躍し、引退後は義母の美香と2人でスナックを経営している。
 そして、本国の母親には今でも年に2回会いに行っている。



「酒井さん、お久しぶりです、お元気ですか?」
「やあ、スーか、良く来たね、見てのとおりなんとかやってるよ」

 スーは里帰りの度に酒井にも会いに来てくれる。
 初めて見かけた時に強く惹かれた瞳は今も変わらず、酒井はスーに会うと思わず笑顔になる……スーと共に過した撮影の日々は今も酒井の脳裏に刻み込まれているのだ。
 スーが目の前に現れれば、あの頃のあどけない笑顔、憂いを秘めた表情、幼くも美しい肢体、そして例のほくろまでがすぐに酒井の脳裏に蘇る。

 酒井には『スーに良いことをしてやった』などという自負はない。
 スーは酒井が手がけた中で最も成功したビジネスケースだ。
 酒井は10歳のスーを少女ヌードのモデルに仕立て上げ、17歳のスーをAV女優に仕立て上げた、そしてそのどちらも充分な儲けをもたらしてくれた、スーの成功がなければ酒井の零細プロダクションなど、とうになくなっていたかもしれない。
 だが酒井が見出さなければ、スーは10歳で売春宿に売られ、一生その中から抜け出せなかったであろうこともまた間違いがない。
 スーを娘同然だなどと言うつもりもない、まともな父親なら娘をヌードモデルやAV女優になどしない……だが、17歳のスーを売春宿から買い戻したのは損得づくではなかった、酒井にとって、スーをあのまま売春宿に放置することは耐えられなかったのだ。

 人身売買、児童売春、搾取、劣悪な環境、性病の脅威、暴力……酒井が今暮らしているこの国には今でもそれらが蔓延している、酒井はその現実から目を逸らすことはないが、それらに真っ向から立ち向かう力も持っていない。
 今でも売春宿やパブなどから女をスカウトしては、日本の風俗店やパブに送り出している、彼女たちにとっては劣悪な環境から抜け出し家族を貧困から救うチャンスであり、日本はよりマシな暮らしを手に入れることが出来る有難い国なのだ。
 酒井にできるのはその程度のことだ。
 だが、酒井がやっているのは慈善事業ではなくビジネスだ、需要と供給の橋渡しをしているに過ぎない、それが彼女たちのためにもなることは説明してやるが、救おうとしているわけではない。
 そして、彼女たちにしても日本へ行ったからと言って性を売る仕事から抜け出せるわけでもない。
 酒井がなんとしても救い出したいと言う衝動に駆られたのは、17歳のスーを売春宿から買い戻した、あの時の一回きりだ。
 
 スーは日本に暮らし、児童ポルノや児童売春の根絶を主張する人々をしばしば目にしている。
 だが、彼ら、彼女らはその原因となっている貧困については語ろうとはしない、原因を取り除かなければどうにもならないことはわかっているはずなのだろうが……現実を見ようとせずに自分たちの価値観ばかりを押し付けようとするのは偽善としか思えない。
 自分は酒井に出会えて幸運だったと思う、酒井は自分の恩人だと思っている。
 10歳で売られそうになったところを彼が止めてくれて、一生を売春宿で送らなければならない状況からも救い出してくれたのは間違いないのだ……。

「また半年後に来ます」
「ああ、待ってるよ、元気でな」
「ええ、酒井さんも」
「まあ、明日はどうなるかわからないがね」
「もう、いつもそれを言うんだから」
「ははは、俺の人生は行き当たりばったりだからな……でもスーにまた会うために何とか生き延びるよ」
「約束ですよ、じゃぁ、また……」

 酒井の元を辞したスーは暖かい気持ちに包まれる。
 本当に自分は酒井に出会えて幸運だったと……。


(終)
 
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