第36話 関係

文字数 967文字

 まことの敵は自己の内にあるのであって、外の他者にあるのではない。
 それを全く顧みず、他へ攻撃を加える人間をぼくは軽蔑する。嘲笑なのだが、親しみを込めて、微笑んでやる。

 すると相手はカン違いして、より一層の親しみを込めて、ぼくへ笑いかけてくる。
 そして親しい友達のようになる。

 この場合、誰が誰をだましているのだろうか。
 彼は、彼自身をだましていない。それどころか、攻撃を加える自己の心を見ようともしなかった。

 ぼくは、軽蔑しながら微笑んだ。相手がカン違いすることも、想像のうちに入っていた。
 彼をだましたのは僕になろう。

 だが、彼はだまされていると思っていない。
 ぼくはまず自分をだました、とも言えるだろう。彼との関係は、そこから始まった、と言っていいだろう。

 もし彼が、ぼくの微笑を嘲笑と受け取ったなら、ぼくはぼく一人をだましただけで済んだ。
 だが、彼は好意的にぼくの微笑を見たために、ぼくは彼とぼくの二人をだますことになった。

 ここに、ねじれが生じた。それから僕は、自分自身のみならず、彼もこの自分の中に入れて、さらに僕自身と彼、二人の人間と対さなければならなくなった。

 一人なら、とぐろを巻くだけで済む。それはそれで窒息しそうになるが、二人になると、絡み合い、もつれ、空気の重さも加味されて、二重苦の様相を呈してくる。

 正直に、軽蔑の目線を投げてやればよかったか、と後悔する。過去と現在という紡ぎの時間、彼と僕という二つの存在、四重苦の舞台が整えば、未来への想像、元来の自分と僕の関係を思い、六重苦へ発展する。

 さらに些細なことが気になり始め、八、十、十二、果ては無限が登場し、ぼくは疲れ果てるのだ。
 ここでやっと、基礎へ立ち返る。こうなったのも、自分と自分との関係に端を発しているのだ、と。

 ぼくは彼をだましたかもしれないが、彼はだまされていないのだ。ぼくは、ぼくとの関係からぼくをだましたのであって、特に彼へ被害を及ぼしてはいない。むしろ、彼は喜んでいたではないか!

 自己欺瞞から始まった懊悩の時間が、こうして解決を見る。こうなるまで、58日、1392時間の時間が必要だった、1392時間がなければ、ぼくはここにたどり着けなかった。

 そして新たに疑念も浮上する。この解決とも呼べない解決は、… それこそ自己欺瞞ではないか?
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