父の誕生日 ③

文字数 3,142文字

「あの……ですね、絢乃さん。非常に申し上げにくいんですが」

「はい?」

「お父さまはもしかしたら、命に関わる病気をお持ちかもしれません。ですからこの際、大病院で精密検査を受けられることをお勧めしたいんですが」

 あまりにも重々しい事実を突きつけられ、わたしはガツンと頭を殴られたようなショックを受けた。でも、彼が父のためを思って言ってくれていることもちゃんと分かっていた。

「そうだよね。わたしもそう思う。でもね……、パパって病院嫌いなんだぁ。だからちゃんと聞いてもらえるかどうか」

 わたしは二つめのケーキを食べる手を止めて、眉根にシワを寄せた。
 父は昔から大の病院嫌いで、少し体調を崩したくらいでは病院に行こうとせず、いつも「これくらい、家で静養すればよくなる」とワガママを言っていた。けれど、さすがに命が脅かされるような大病の可能性がある以上、父には是が非でも検査を受けてもらわなければと思った。

「でも、そんなこと言ってられないよね。ママにも協力してもらって、どうにかパパを説得してみる。桐島さん、アドバイスしてくれてありがとう」

「いえ、そんな感謝されるようなことは何も……」

 彼は照れくさそうに謙遜したけれど、わたしは彼に本当に感謝していた。自分の身内のことを言うなら誰にでもできるけど、お世話になっている勤め先の上役とはいえ赤の他人のことを心配してそういうアドバイスができる人はそうそういないと思ったから。


     * * * *


 ――貢と二人、美味しいケーキを味わいながら楽しくおしゃべりをしていると、あっという間に三十分ほどが過ぎていた。
 母に送信したLINEに返信があったのはそんな時だった。


〈絢乃、返信が遅くなっちゃってごめんなさい! パパは寝室で休ませてます。
 あなたのタイミングでいいから、閉会の挨拶よろしく。招待客のみなさんにちゃんとお詫びしておいてね〉


 返信はこれだけかと思ったら、ピコンと次のフキダシが出てきた。


〈あと、あなたの帰る手段として、総務課の桐島くんに家まで送ってもらうようお願いしておきました♡ 彼にもよろしく言っておいてね♪〉


「…………えっ!?

 驚いて、思わずスマホの画面を二度見した。と同時に、貢と母が何を楽しげに話していたのかが分かった気がした。

「絢乃さん、どうかされました?」

「ううん、別にっ!」

 わたしはブンブンと彼に向かって首を振り、「ありがとう。了解」と返信してピンク色の手帳型スマホカバーを閉じた。
 それにしても、母の手回しのよさには恐れ入る。母はわたしが幼い頃まで、公立中学で英語教師をしていたのだ。わたしの弟か妹を流産して、体を壊して離職してしまったけれど。

「もうすぐ八時半か……。そろそろかな」

 本当なら、主役である父が帰ってしまった時点で終わらせるべきだったパーティー。予定より少し早いけれど、これくらいの時刻がちょうどいい頃合いだろうとわたしは決めた。

「――桐島さん。わたしはそろそろ、ママからのミッションを果たしてくるね」

「はい、行ってらっしゃい。オレンジジュースのお代わりを用意して待っています」

「ありがとう」

 わたしは ステージの壇上(だんじょう)に立ち、スタンドにセットされたマイクを手に持つと、わたしは深呼吸をしてからスイッチを入れて話し始めた。

『――皆さま、本日は父のためにお集まり下さいまして、本当にありがとうございます。わたしは篠沢源一の娘で、絢乃と申します』

 そこまではよかったけれど、次に何を言うべきかわたしは困ってしまった。どう言えば、招待客のみなさんが納得して下さるのか……。これはきっと、いずれは大企業グループをまとめていくことになるわたしへの試練だと考え、自分なりに言葉を選んでみた。

『……えー、皆さまもお気づきかもしれませんが、本日の主役である父は体調を崩して早めにこの会場から引き揚げさせて頂いております。予定より早い時刻ではございますが、このパーティーはこれでお開きとさせて頂きたいと思います』

 当然の結果として、会場内はざわついた。けれど、それはわたしの想定内だった。

『本日ご出席下さった皆さまには、娘であるわたしが両親に成り代わりましてお礼申し上げます。と同時に、この場をお騒がせしてしまいましたことも(あわ)せてお詫び致します。皆さま、お気をつけてお帰り下さい』

 深々とお辞儀をしてから顔を上げると、目の前は招待客の皆さんの不安そうな表情で溢れかえっていた。

「これでよかったのかな……」

 わたしも不安に駆られながら席に戻った。将来の経営者としては致命的かもしれないけれど、元々人前に出て話すようなことが苦手だったので、自分にとって初めてのスピーチの及第点がどれくらいなのか分からなかった。

 テーブルに戻ると、約束どおり貢がジュースのお代わりを用意して待っていてくれた。

「絢乃さん、お疲れさまでした。喉渇いたでしょう」

「うん。ありがとう」

 冷たいジュースで喉を潤し、ホッと一息ついたけれど、わたしの心配ごとがこれですべてなくなったわけではない。父がとにかく心配で、早く自由(じゆう)(おか)の家に帰りたいと思いながらもまだもう少し彼と一緒にいられたらという気持ちもあった。
 ……そういえば。

「ママからのLINEに書いてあったんだけど、帰りは貴方が送ってくれるって?」

「はい。お母さまから直々に頼まれました。まさかこういう事態になるとは思っていらっしゃらなかったでしょうけど」

「そうだよね……」

 母が何を思って彼にそんな頼みごとをしたのか、その時のわたしには分からなかったけれど。少なくとも父がパーティー中に倒れたのは母にとっても想定外の出来事だったはずだ。

「そういえば桐島さん、お酒飲んでなかったもんね。それもこのため?」

 彼が会場で飲んでいたのはアルコール類ではなく、アイスコーヒーだった。

「ええまぁ、そんなところです。僕、アルコールに弱くて。少しくらいなら飲めるんですけど」

「そっか。わざわざ気を遣ってくれてありがとう。じゃあご厚意に甘えさせてもらおうかな」

「はい。……僕のクルマ、軽自動車(ケイ)なんですけどよろしいですか?」

「うん、大丈夫。よろしくお願いします」

 自動車にまったくこだわりのないわたしは、ペコリと彼に頭を下げた。


 ――それから数分後、わたしは貢が運転する小型車の助手席に収まっていた。彼は最初、後部座席を勧めてくれたのだけれど、わたしが「助手席に乗せてほしい」とお願いしたのだ。

「……えっ、このクルマって桐島さんの自前なの?」

「ええ、入社した時から乗ってます。でも中古なんで、あちこちガタがきてて。そろそろ新車に買い替えようかと」

 そう答える貢はすごく安全運転で、そういうところからも彼の真面目さが窺えた。

「新車買うの? どんな車種がいいとかはもう決まってるの?」

「ええ、まぁ。父がセダンに乗ってるので、僕もそういうのがいいかなぁと思ってます。現金(キャッシュ)でというわけにはいかないので、頭金だけ貯金から出してあとはローンになるでしょうけど」

「そっか……。大変だね」

 新車を購入するという彼の心意気は()めてあげたかったけれど、サラリーマンの身でローンの返済に追われる彼のお財布事情が心配だった。

「ところで絢乃さん、助手席で本当によかったんですか?」

「うん。わたし、小さい頃から助手席に乗るのに憧れてたんだー♡」

 満面の笑みで答えたわたし。物心ついた頃から後部座席ばかりに乗せられていたので、長年の夢が叶った瞬間だったのだ。

「そうですか……。それは身に余る光栄です」

「え? 何が?」

 彼が小さく呟いた言葉に、わたしが首を傾げると。

「絢乃さんの助手席デビューが、僕のクルマだったことが、です」

 彼は誇らしげにそう答えた。
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登場人物紹介

篠沢 絢乃 (しのざわ あやの)

この小説のヒロイン。大財閥〈篠沢グループ〉会長兼CEO。私立茗桜女子学院高等部2年生→3年生。

4月3日生まれ。牡羊座・O型。身長158㎝。

語学堪能(英語・中国語・韓国語・フランス語・スペイン語・イタリア語の5ヶ国語がペラペラ)で、料理も得意。

スイーツと甘めのカフェオレ・カフェラテが好物。

顔は母親似、一本芯の通った頑固な性格は父親似である。

一人称は「わたし」。

桐島 貢 (きりしま みつぐ)

この小説のヒーロー。大手総合商社・篠沢商事総務課→人事部秘書室勤務。大卒。25歳→26歳。

5月10日生まれ。牡牛座・A型。身長178㎝。

絢乃が会長兼CEOに就任した同日、正式に会長秘書となる。また、彼女の送迎も担当。マイカー(シルバーの軽自動車→シルバーのレクサス)で通勤している。

大のコーヒー好きで、淹れる方も得意。バリスタになりたいと思ったことも……。スイーツ男子でもある。

真面目で温厚な性格。一人称は「俺」、もしくは仕事中などは「僕」を使う。

中川 里歩 (なかがわ りほ)

絢乃の同級生で大親友。私立茗桜女子学院2年生→3年生。

6月17日生まれ。双子座・B型。身長167㎝。バレーボール部キャプテン。

絢乃とは初等部受験の日から親しく、もう10年来家族ぐるみで付き合いがある。

ボーイッシュな外見に似合わず美意識は高いが、料理はあまり得意ではない。運動神経はバツグン。

性格は頼りになるアネゴ肌。言いたいことは誰に対してもズバズバ言うのがポリシー。

一人称は「あたし」。

篠沢 加奈子 (しのざわ かなこ)

絢乃の母で篠沢家現当主。篠沢グループ会長代行。私立茗桜女子学院→私立大学(男女共学)卒。43歳→44歳。

4月7日生まれ。牡羊座・O型。身長160㎝。

公立中学校で英語教諭をしていた25歳の時に絢乃の父・旧姓井上源一(婿養子)と見合い結婚し、翌年に絢乃を出産。その2年後に第2子を身籠るが、仕事のストレスが原因で流産。その後体調を崩して教職を離れ、専業主婦に。

趣味はジャズ鑑賞、大の紅茶党。

時に厳しく、常に優しい理想の母親。一人称は「私」。

桐島 悠 (きりしま ひさし)

貢の兄で桐島家の長男。高卒で大手飲食チェーンでアルバイトを始め、現在は正社員(店長)。調理師免許あり。29歳→30歳。

6月30日生まれ。双子座・B型。身長176㎝。実家暮らし。

弟の貢との兄弟関係は良好で、彼と絢乃との恋も応援している。なかなか煮え切らない二人の関係を後押しすべく、キューピッドとして行動する。

仕事柄料理が得意で、将来は自分の店(洋食店)をオープンさせるのが夢。彼女持ち。

一人称は「オレ」。

阿佐間 唯 (あさま ゆい)

3年生になってからの絢乃のクラスメイトで親友。私立茗桜女子学院3年生。

7月5日生まれ。蟹座・B型。身長155㎝。マンガ・アニメ同好会所属。

アニメやマンガ好きないわゆる〝オタク女子〟で、話し方も個性的。でも憎めないキャラ。

実は篠沢グループの顧問弁護士・阿佐間政義の娘で、4歳年上の兄と二人兄妹。

レモンティー(特に冷たい方)が好き。

性格は自由人。将来の夢はアニメーター。

一人称は「唯」。

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