涙の決意表明 ④

文字数 2,862文字

「ところでママ、話し合いはどうなったの?」

 やっと泣き止んだところで、わたしはもっとも気になることを母に訊ねた。母ひとりがロビーに出てきたということからして、円満に終ったとはどうしても思えなかった。

「結局、あれからこじれにこじれてねぇ……。あなたの会長就任は、明後日に開かれる臨時株主総会まで持ち越しになったわ」

「そっか……。でも、株主さんたちで賛成の人が多かったらあの人たちも文句は言えないってことだよね」

 株主総会での決議は多数決で行われるらしい。ということは、わたしが新会長に就任することを過半数の人が賛成してくれれば、わたしは正式に父の後継者として認められるということなのだ。

「そうね。でもあの人たち、特に宏司(ひろし)さんがね、兼孝(かねたか)叔父(おじ)さまを対立候補に立てるって言いだしたのよ。『あんな小娘にグループを任せるくらいなら、親父が会長になった方がよっぽどいい』って」

「……ふーん? 何考えてるんだろ、あの人」

 ここで名前が挙がった「宏司さん」というのは亡き祖父の(おい)、大叔父の兼孝は祖父のすぐ下の弟にあたる人で、父が会長になることに反対していたのも主にこの宏司さんだった。
 大叔父は当時の年齢で六十代後半だったけれど、それまで経営に直接関わったことのない素人、という意味ではわたしと立場が変わらなかった。それなのに会長候補に擁立されたのは、宏司さんが年功序列・男尊女卑という古臭い考えに固執しているからに他ならなかった。

「今の時代、そんな考え方ナンセンスよね。というわけで、今日の話し合いは見事に決裂。あの人たちはみんな先に帰っちゃいました」

「…………なるほど」

 どうせお骨上げの時、あの人たちに用はないのだ。それならさっさとお帰り頂いた方がわたしと母、そして貢の精神安定のためにもいい。

「桐島くん、ありがとね。あなたの機転のおかげで、絢乃があれ以上傷付かずに済んだわ」

「いえいえ。秘書として、あの状況ではああするのが最善だと思いましたので」

「うん、ホントにありがと。わたし自身、あれ以上あそこにいたら自分がどうなっちゃうか分かんなくて怖かったもん。連れ出してもらえてよかった」

 泣くだけならまだいいけれど、もし怒りが爆発してしまったら人として言ってはいけないことまで口走ってしまう恐れもあったのだ。最悪の事態を未然に防いでくれた貢には、本当に感謝している。


 ――それから一時間ほど後。わたしたち親子だけでお骨上げをして、ロビーで待っていてくれた貢のレクサスで家まで送ってもらうことになった。

「井上の伯父さまも、今日のお葬式に来たかっただろうなぁ。お悔やみのメールはもらったけど」

 実の弟を亡くした伯父は、さぞ残念だっただろう。できることなら帰国して、一緒にお骨上げもしたかっただろうと思った。でも急なことだったので飛行機のチケットが取れず、泣く泣く帰国を断念したそうだ。

「そうねぇ。残念だけど、こればっかりは仕方ないわよ。今ごろ、海の向こうで別れを惜しんでいるでしょうね」

「うん……」

 小さな骨壺(こつつぼ)を抱え、後部座席で残念そうに肩をすくめた母に、父の遺影を膝の上で抱えたわたしは頷くしかなかった。でも、父と兄弟仲のよかった伯父のことだからきっと、休暇を取って帰国し、ウチに立ち寄って手を合わせに来てくれるだろう。


「――ねえママ、これからのことで、ちょっと相談があるの。桐島さんにも聞いてもらいたいんだけど」

 わたしは二人に、自分の中で温めていた新たな決意を話しておこうと思い立った。

「なぁに?」

「僕は運転中ですけど、ちゃんと耳だけは傾けているので大丈夫ですよ。おっしゃって下さい」

 彼はハンドルを握りながらも、わたしの話はちゃんと聞いていますよという感じで、わたしに話の続きを促した。

「うん、じゃあ言うね。――わたし、高校生と会長兼CEOの二刀流でいこうと思ってるの。どっちも頑張りたいから、二人にもぜひ協力してもらいたくて」

「分かったわ。絢乃が自分で決めたことなら、喜んで協力させてもらいましょう。で、具体的には何をしたらいいの?」

「まず、ママにはわたしの会長としての業務を代行してほしいの。学校に行ってる間、会長がいないことになっちゃうでしょ? 宏司さんは多分、鬼の首でも取ったみたいにそこを非難してくると思うから、その予防線ね」

「なるほど。あの人も当主である私には偉そうに言えないものね。いいわよ」

「ありがと、ママ。――で、桐島さんにはわたしだけじゃなくて、ママの仕事もサポートしてあげてほしいの。二人分の秘書の仕事をやることになるけど大丈夫?」

「大丈夫です。お任せください。総務でこき使われていたことを思えば、それくらい何でもないですよ」

 二人から秘書として頼られることは、ものすごく大変なことだと思うけれど。それすら楽だと思えるくらい、前にいた部署ではひどい目に遭わされてきたんだろうかと、わたしは胸が痛んだ。

「ごめんね、桐島さん。貴方には苦労かけちゃうと思うけど、よろしくお願いします」

「ごめんついでに、私からもひとつお願いがあるのよ。絢乃は八王子の学校から、丸ノ内のオフィスまで通うことになって大変だと思うの。だから、秘書の業務としてこの子の送迎もお願いできないかしら?」

「かしこまりました。お引き受けしましょう」

「ありがとう、桐島くん。無理を言っちゃってごめんなさいね」

「えっ、いいの? ありがたいけど……なんか申し訳ないな」

「いえいえ、絢乃さん。ボスに気持ちよく出社して頂き、快適にお仕事に励んで頂くのが秘書の務めですから。……というのは小川先輩の請け売りですが」

 彼がボソッと最後に付け足した一言で、わたしは吹き出してしまった。

「なぁんだ、そうなの? 小川さん、そんなこと言ってたんだ」

「……今日、やっとあなたの笑顔が見られましたね、絢乃さん」

「…………え?」

 ポカンとしてルームミラーを見上げると、そこには穏やかな笑顔の貢が映っていた。

「やっぱりあなたは、笑っている方が魅力的です。僕も、絢乃さんがいつも笑顔でいられるように秘書として頑張りますね」

「あ…………、うん。ありがと。よろしく」

 彼の言葉で頬を真っ赤に染めるわたしを、母は隣でニコニコ笑いながら眺めていた。


 ――貢はわたしたち親子を、きちんと自由が丘の篠沢邸の前まで送り届けてくれた。

「桐島くん、今日はお疲れさま。明日も出勤でしょう? 家に帰ったらゆっくり休むのよ。お清めの塩も忘れないようにね」

「はい。加奈子さん、絢乃さん。これから何かと忙しくなりますが、三人で頑張っていきましょう」

「うん。今日はホントにありがと」

 二日後の株主総会は、土曜日だし寺田さんが送り迎えしてくれるので彼の送迎は不要だと伝えた。

「――桐島さん。今日から貴方を正式に、会長秘書に任命します。正式な辞令ではないけど、心して受けるように」

「はい。謹んで拝命致します」

 早くもわたしと彼との間に主従関係が生まれ、こうしてわたし・篠沢絢乃の二刀流生活が始まろうとしていたのだった。
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登場人物紹介

篠沢 絢乃 (しのざわ あやの)

この小説のヒロイン。大財閥〈篠沢グループ〉会長兼CEO。私立茗桜女子学院高等部2年生→3年生。

4月3日生まれ。牡羊座・O型。身長158㎝。

語学堪能(英語・中国語・韓国語・フランス語・スペイン語・イタリア語の5ヶ国語がペラペラ)で、料理も得意。

スイーツと甘めのカフェオレ・カフェラテが好物。

顔は母親似、一本芯の通った頑固な性格は父親似である。

一人称は「わたし」。

桐島 貢 (きりしま みつぐ)

この小説のヒーロー。大手総合商社・篠沢商事総務課→人事部秘書室勤務。大卒。25歳→26歳。

5月10日生まれ。牡牛座・A型。身長178㎝。

絢乃が会長兼CEOに就任した同日、正式に会長秘書となる。また、彼女の送迎も担当。マイカー(シルバーの軽自動車→シルバーのレクサス)で通勤している。

大のコーヒー好きで、淹れる方も得意。バリスタになりたいと思ったことも……。スイーツ男子でもある。

真面目で温厚な性格。一人称は「俺」、もしくは仕事中などは「僕」を使う。

中川 里歩 (なかがわ りほ)

絢乃の同級生で大親友。私立茗桜女子学院2年生→3年生。

6月17日生まれ。双子座・B型。身長167㎝。バレーボール部キャプテン。

絢乃とは初等部受験の日から親しく、もう10年来家族ぐるみで付き合いがある。

ボーイッシュな外見に似合わず美意識は高いが、料理はあまり得意ではない。運動神経はバツグン。

性格は頼りになるアネゴ肌。言いたいことは誰に対してもズバズバ言うのがポリシー。

一人称は「あたし」。

篠沢 加奈子 (しのざわ かなこ)

絢乃の母で篠沢家現当主。篠沢グループ会長代行。私立茗桜女子学院→私立大学(男女共学)卒。43歳→44歳。

4月7日生まれ。牡羊座・O型。身長160㎝。

公立中学校で英語教諭をしていた25歳の時に絢乃の父・旧姓井上源一(婿養子)と見合い結婚し、翌年に絢乃を出産。その2年後に第2子を身籠るが、仕事のストレスが原因で流産。その後体調を崩して教職を離れ、専業主婦に。

趣味はジャズ鑑賞、大の紅茶党。

時に厳しく、常に優しい理想の母親。一人称は「私」。

桐島 悠 (きりしま ひさし)

貢の兄で桐島家の長男。高卒で大手飲食チェーンでアルバイトを始め、現在は正社員(店長)。調理師免許あり。29歳→30歳。

6月30日生まれ。双子座・B型。身長176㎝。実家暮らし。

弟の貢との兄弟関係は良好で、彼と絢乃との恋も応援している。なかなか煮え切らない二人の関係を後押しすべく、キューピッドとして行動する。

仕事柄料理が得意で、将来は自分の店(洋食店)をオープンさせるのが夢。彼女持ち。

一人称は「オレ」。

阿佐間 唯 (あさま ゆい)

3年生になってからの絢乃のクラスメイトで親友。私立茗桜女子学院3年生。

7月5日生まれ。蟹座・B型。身長155㎝。マンガ・アニメ同好会所属。

アニメやマンガ好きないわゆる〝オタク女子〟で、話し方も個性的。でも憎めないキャラ。

実は篠沢グループの顧問弁護士・阿佐間政義の娘で、4歳年上の兄と二人兄妹。

レモンティー(特に冷たい方)が好き。

性格は自由人。将来の夢はアニメーター。

一人称は「唯」。

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