父の最後の望み ①

文字数 3,206文字

 ――こうして父は、出社しながら通院でガン治療を受けることになった。主治医である後藤先生も許可して下さっていたらしいけれど、それが本当だったかどうか今となっては確かめようがない。

 父の会社での様子は貢がわたしに教えてくれていた。時々目眩やひどい頭痛に襲われ、倒れることもあったという。それでも父は仕事を愛し、治療と並行して会長としての職務に奮闘していた

 貢とは電話で話したり、LINEのやり取りをすることがほとんどだったけれど、彼は時々わたしをクルマで色々な場所へ連れ出してくれた。「学校と家の往復だけでは息が詰まるだろうから、たまに息抜きでどこかへ連れ出してあげて」と母から頼まれたそうだ。
 電話では話しにくいことも、直接顔を見てなら話しやすい。それに何より、想いを寄せている彼に会えるのがわたしは嬉しかったので、母には本当に感謝している。


 そんな日々が一ヶ月ほど経った頃――。

「絢乃さん、今日はどこに行きたいですか?」

 この日の放課後も、彼は学校の前まで迎えに来てくれて、制服のまま助手席に乗り込んだわたしにそう訊ねた。どうでもいいけど、三時半ごろに来ていたということは会社に定時までいなかったということだ。どうなっていたんだろう?

「とはいっても、あまり遠くへは行けないんですけどね。遅くなるとお母さまに心配をかけてしまうので」

「う~んと……、今日はスカイツリーに行ってみたいかな。実は一度も行ったことないの。っていうか隅田(すみだ)川の向こう側に行くのも初めてで」

「へぇ、初めてなんですか?」

「うん。東京で生まれ育って十七年経ったけど、ホントに一度も行ったことない。実はパパが高所恐怖症でね」

 父はそのくせ、飛行機に乗るのは平気だったというから不思議だ。

「そうなんですね。僕も行くのは大学時代以来なんです。――じゃあ、行きましょうか」

 そうしてシルバーの小型車はスタートした。

「――あ、そうだ。僕、新車買いましたよ」

「えっ、もう買ったの?」

 わたしは耳を疑った。たった一ヶ月前にその話をしたばかりだったのに、彼の決断力というか行動力には恐れ入る。もしくは、彼に新車購入を決断させる何かがあったのだろうか。

「はい。といっても内装をカスタムしたりしたので、まだ納車はされてないんですけどね。全部で四百万くらいかかってしまいました」

「新車ってそんなにかかるんだ……」

 わたしが物心ついた頃には、我が家にはすでにクルマが三台あったので(センチュリーと父の乗っていたセダンと、史子さんが乗っている小型車だ)、自動車を買うのにどれくらいの費用がかかるかなんて考えたこともなかった。それはもしかしたら、裕福な家庭に育ったせいで金銭感覚がおかしくなっているからかもしれないけれど。

「……っていうか桐島さん、今日も会社早退してきたんだよね? 大丈夫なの?」

 わたしは会社内での彼の立場を心配して、そう訊ねた。

「大丈夫ですよ。……実は僕、以前から総務課で上司のパワハラ被害に遭ってまして、部署を異動することにしたんです。で、今は異動先の部署の研修中で早く退勤させてもらってるんです。お母さまの(はか)らいで」

「そっか……、異動するんだ。どこの部署?」

「えーと……、それはまだお教えできません。そのタイミングが来たら、真っ先に絢乃さんにお伝えします」

 わたしの質問にお茶を濁した彼は、「できればその時が来ないでほしい」と言っているようにも思えた。

「あと、新車も真っ先にあなたにお披露目(ひろめ)しますね。楽しみにしていて下さい」

「うん、楽しみにしてる」

 推定年収六百万円の彼が、その年収の三分の二もかかる大金をはたいて購入した新車。最初に披露してくれるのがわたしなんて嬉しくて仕方がなかった。


「――わぁ……、スゴくいい眺め!」

 わたしのお小遣いで二人分のチケットを買って天望デッキに上がった途端、わたしはガラス越しに見えた東京の街並みに歓声を上げた。地上三百五十メートル地点から見ると、篠沢商事本社のある丸ノ内も新宿の高層ビル群もミニチュアのように見えた。

「気分転換できました?」

「うん! 来てよかった。桐島さん、連れてきてくれてありがとね!」

 行き先をリクエストしたのはわたし自身だったけれど、イヤな顔ひとつせずに付き合ってくれた貢は本当にいい人だ。

「――ところで絢乃さん、お小遣いって毎月いくらくらいもらってるんですか?」

 彼が素朴な疑問を口にした。わたしが学校から家まで送ってくれたお礼にと五千円札を握らせ、スカイツリーの入場チケットも彼の分まで買ったので訊きたくなったのだろう。

「んー、毎月五万円。でも、わたしには多いくらいなんだよね。ブランドものとか好きじゃないし、高校生の交際費なんて限られてるでしょ」

 特に使い道のないお金は余る一方で、わたしの長財布はいつもパンパンになってしまっていたのだ。

「確かにそうかもしれませんけど。お嬢さまって、もっとお金を湯水のように使うイメージがあったので、つい……」

「よそのお嬢さまはどうか知らないけど、ウチはそんなことないよ? パパは元々一般社員だったし、ママだって教師やってた頃は自分のお給料、自分で管理してたっていうし。わたしも、そんな両親を見習ってるから」

 彼の持つイメージはわたしと真逆だったので、苦笑いしながら答えた。
 里歩と放課後にお茶する時だって、わたしは高級カフェよりもお手頃価格のコーヒーチェーンやファストフード店を選んでいたし、コンビニでスイーツやペットボトル飲料を買うこともしょっちゅうだ。そうやって、いかにお金をかけずに楽しく過ごせるかということを心掛けていた。ケチだからではなく、里歩や周りの人たちに気を遣わせたくないから。

「お金がたくさんある人ほど、お金の使い道には気を遣うものなんだって。これ、ママの()け売りね」

「なるほど……」

 よそのお宅はどうだか知らないけど、少なくともウチは代々そうしてきた。

「――お父さまとは、お家でどんな感じですか?」

「パパが病気だって分かってから、よく話すようになったよ。学校のこととか友だちのこととか、TVの話題とか。今までこんなに話してなかったことあったのかー、ってくらい。大した内容でもないのにね、何か話してるのが楽しいの」

 父との関係を訊ねた彼に、わたしは目を細めながら答えた。秋は日暮れが早く、西の空はオレンジ色と紫色のグラデーションになっていた。

「余命宣告された時はショックだったけど、今はパパと過ごす時間の一分一秒が(とうと)く思えるの。そう思えるようになったのは貴方のおかげだよ。桐島さん、ホントにありがと」

 そう言って彼に向き直ると、夕焼け色に染まった彼の姿にドキッとした。あまりにも幻想的で、ロマンチックだったから。

「いえ、感謝されるようなことは何も……。ですが、僕のアドバイスが絢乃さんに受け入れて頂けたようでよかったです」

 彼はまた照れたように謙遜した。彼は元々照れ屋さんなのかも、と思った。

「そういえば、もうすぐクリスマスですね。絢乃さんはもう予定が決まってらっしゃるんですか?」

「……う~ん、まだ特にこれといっては。桐島さんは? 彼女と過ごしたりするの?」

 わたしは当たり前のように訊ねたけれど、そういえば彼に恋人がいるかどうかもその時はまだ知らなかった。

「いいえ、僕もまだ何も。というか彼女はいないので、今年もきっとクリ

ですね……」

 彼は、バックに某大物男性シンガーのクリスマスソングがかかりそうな感じで答えた。

「……そう。わたしは毎年、親友と二人でお台場(だいば)にツリーを見に行くんだけど、今年はそれどころじゃないからなぁ。親友も遠慮するだろうし」

「そうですよね……。今年のクリスマスは、絢乃さんがお父さまと過ごされる最後のクリスマスですもんね」

「うん……」

 彼に言われて気がついた。そうか、父と過ごす最後のクリスマスか――。
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登場人物紹介

篠沢 絢乃 (しのざわ あやの)

この小説のヒロイン。大財閥〈篠沢グループ〉会長兼CEO。私立茗桜女子学院高等部2年生→3年生。

4月3日生まれ。牡羊座・O型。身長158㎝。

語学堪能(英語・中国語・韓国語・フランス語・スペイン語・イタリア語の5ヶ国語がペラペラ)で、料理も得意。

スイーツと甘めのカフェオレ・カフェラテが好物。

顔は母親似、一本芯の通った頑固な性格は父親似である。

一人称は「わたし」。

桐島 貢 (きりしま みつぐ)

この小説のヒーロー。大手総合商社・篠沢商事総務課→人事部秘書室勤務。大卒。25歳→26歳。

5月10日生まれ。牡牛座・A型。身長178㎝。

絢乃が会長兼CEOに就任した同日、正式に会長秘書となる。また、彼女の送迎も担当。マイカー(シルバーの軽自動車→シルバーのレクサス)で通勤している。

大のコーヒー好きで、淹れる方も得意。バリスタになりたいと思ったことも……。スイーツ男子でもある。

真面目で温厚な性格。一人称は「俺」、もしくは仕事中などは「僕」を使う。

中川 里歩 (なかがわ りほ)

絢乃の同級生で大親友。私立茗桜女子学院2年生→3年生。

6月17日生まれ。双子座・B型。身長167㎝。バレーボール部キャプテン。

絢乃とは初等部受験の日から親しく、もう10年来家族ぐるみで付き合いがある。

ボーイッシュな外見に似合わず美意識は高いが、料理はあまり得意ではない。運動神経はバツグン。

性格は頼りになるアネゴ肌。言いたいことは誰に対してもズバズバ言うのがポリシー。

一人称は「あたし」。

篠沢 加奈子 (しのざわ かなこ)

絢乃の母で篠沢家現当主。篠沢グループ会長代行。私立茗桜女子学院→私立大学(男女共学)卒。43歳→44歳。

4月7日生まれ。牡羊座・O型。身長160㎝。

公立中学校で英語教諭をしていた25歳の時に絢乃の父・旧姓井上源一(婿養子)と見合い結婚し、翌年に絢乃を出産。その2年後に第2子を身籠るが、仕事のストレスが原因で流産。その後体調を崩して教職を離れ、専業主婦に。

趣味はジャズ鑑賞、大の紅茶党。

時に厳しく、常に優しい理想の母親。一人称は「私」。

桐島 悠 (きりしま ひさし)

貢の兄で桐島家の長男。高卒で大手飲食チェーンでアルバイトを始め、現在は正社員(店長)。調理師免許あり。29歳→30歳。

6月30日生まれ。双子座・B型。身長176㎝。実家暮らし。

弟の貢との兄弟関係は良好で、彼と絢乃との恋も応援している。なかなか煮え切らない二人の関係を後押しすべく、キューピッドとして行動する。

仕事柄料理が得意で、将来は自分の店(洋食店)をオープンさせるのが夢。彼女持ち。

一人称は「オレ」。

阿佐間 唯 (あさま ゆい)

3年生になってからの絢乃のクラスメイトで親友。私立茗桜女子学院3年生。

7月5日生まれ。蟹座・B型。身長155㎝。マンガ・アニメ同好会所属。

アニメやマンガ好きないわゆる〝オタク女子〟で、話し方も個性的。でも憎めないキャラ。

実は篠沢グループの顧問弁護士・阿佐間政義の娘で、4歳年上の兄と二人兄妹。

レモンティー(特に冷たい方)が好き。

性格は自由人。将来の夢はアニメーター。

一人称は「唯」。

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