第4話 ファンブル

文字数 982文字

「ということは……初日だったの? なんというか、僕を気に入ってくれたのは。全然知らなかった」
「ううん違う」君はプルプルと頭を振った。「あたし、客だったから」
 客? 嘘⁉ ということは? その時?

「あえて面接に行ったに決まってるじゃない。体調不良を理由にファミソを辞めて」
「なんてこったい」僕が身悶えしながら思い悩んだあの狂おしいほどの時間は何だったのだ。思わず頭を抱えた。

「顔を覚えてもらおうとして、カップ麺とプリングルスとジャガビーを持ったまま転ぶというアクロバティックな荒業に挑んでみたこともあったけど、大丈夫? って現れたのは薄毛のオーナーだった。ビビッて地味に転んだわりには派手に飛ばせたのにな」君は両手をフワッと広げた。



「そんとき僕は、気がつかなかったというわけ?」
「フライヤーで、ちょうど『揚げとる』が出来たタイミングだったみたい。床から顎を上げて見えたのは、腰をかがめたオーナー越しの背中だった。だから続けざまに二度目を挑んだわ。レジの前でお財布を両手でファンブルするという小技。もう見事なお手玉をしたのよ」こうやって、と君は両手を交互に動かした。

「それを、見てなかったと」
「日本語でいうところの、(よわ)り目に(たた)り目ね」
 出た、年齢にそぐわない言葉遣い。

「『揚げとる』落下という返し技にあって、あえなく撃沈よ。揚げたてが欲しいなって可愛く言ってみたあたしの作戦ミスだったかも。あちッて言ったから。だからあたしは、パサっとレジ台に財布を落としただけの間抜けな少女に成り果てた」

 自分でやっときながら目がテンよ。しばし呆然。だからね、と君は人差し指を立てた。
「ボーブナグルはこんなことを言った」君はときどき僕のまったく知らないことを話すという博識さを見せた。

『この世で一番重い物体は、もう愛していない女の体である』って。重くなったら言ってね。ダイエットする気もさらさらないし。

 その素敵な体にダイエットなんていらない。僕はいつまでも君を、神田祭の御神輿(おみこし)みたいに担ぐだろう。

「そんなことないってば……だって、ぼ、ぼッ」
 また噛んでる? 本気にものを言おうとすると噛むのね。
 ありがとちゃん。
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