第1話 パチン!

文字数 1,083文字

 高校の夏休み、『セップン・イレポン』でバイトをしていたときのことだった。お昼のピークが終わり、店外の掃き掃除とゴミの処理を終えた僕は、山の向こうまで続く空を見上げながら、これを、こよなく晴れた空というのだろうかなどと思った。

 レジに戻り、ふわわとあくびをしてしまった僕の前に、君は唐突に歩いてきた。それからなにを思ったのか、レジ台の向こうの君は目の前の蚊でも叩くようにパチンと両手を打ち合わせて、少し顎を突き出してふふっと笑った。その叩き方は風を感じるほどだった。

 ショートヘアに(ひい)でたおでこ。やさしげな眉の下にはクリクリとよく動く瞳を持った少女だった。

 目が覚めた? あ、あぁ……うん。

 そ? にこりと笑い、用は済んだとばかりにくるりと背を向けると、裾がゴム仕様になったデニムのジョガーパンツの尻ポケットには毛ばたきが突っ込まれていた。僕が初めてはっきりと君を認識した日だった。バイトを始めて二日目の新人だった君を。



 新人でひとつ年下の高校二年生で、初出勤のあいさつ以外にはちゃんと口なんか聞いたことがないのに、なんか得体のしれない凄みを持っている人だと茫然と背中を見送ったのだった。

 初日に感じたのはジーンズやチノパンとかならいざ知らず、仕事にジョガーパンツってどうなのだろう、ということだったけど、オーナーは気にする様子もなかった。僕だってまあ、濃紺のカーゴパンツだったのだけれど。

「からあげ棒、一袋でいいから揚げとけよ」オーナーの声に、僕は、はいと答えた。
「お前よく働くんだけど、気の抜き方が唐突な。吹き戻しのピロピロ笛みたいだ」

 その後ろで、君がエアーで手を叩く仕草をしたのがオーナーの肩越しに見えた。ふっと笑った僕に、お前そこ笑い所じゃないんだけどな、とオーナーが渋い顔をした。

 人生ってきっと、なんとかなるようになってる。なぜだか必ず空を見上げて口にする言葉。それが君の口癖だと知ったのはしばらくしてからだった。

 あと、心配ご無用! も。そんな君は、その言葉を証明するかのように、なにがあっても慌てない人だった。

 やがて僕は東京の大学に行くことになり実家を出ることになった。じゃあ来年、あたしも行こうかな東京。君が言った。やっぱり空を見上げながら。

 ひとりっこだから難しいんじゃないの? 親は心配するよ。僕の問いかけに、心配ご無用! と君は笑った。僕はにやける顔を我慢するのが困難なぐらいにうれしかった。
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