第5話 シクラメン

文字数 866文字

 冬に咲く花は多くはない。シャワーを使って部屋を出た僕は、駅の近くにある小さな花屋に立ち寄った。

 水仙の切り花があったけど、僕はシクラメンの鉢植えを慎重にひとつ選んだ。ひとつだけよと念を押された子供が、どんぐり(まなこ)でおもちゃを見比べるように、君に似合いそうな純白のシクラメンを選んだ。



 見上げた空はあくまでも青く澄み渡っていたけれど、一月の風は頬と耳たぶを刺し、鉢植えを下げた指なし手袋からのぞく指先を凍えさせた。

 駅の改札の前に立ち、入っては消え、出ては遠ざかる人の波を見つめた。鉢植えを足下に置いて、めくったダウンジャケットの腕時計に目をやると、午前11時を少し過ぎたところだった。再び鉢植えを手に持ち、また改札を見つめる。

 こちらに向かって手を振る君の姿を思い浮かべて、僕はわくわくして口元がゆるむ。

 でも、肩にネイビーブルーのくたびれたバッグをかけ、シクラメンの鉢植えをぶら下げて突っ立っている男は、少し間抜けに見えるかもしれない。
 時計は12時半を過ぎてしまった。でも、少し待つことに意味がある。

 寒さが身に凍みた僕は駅の西口に移動して、太陽の日差しを浴びた。たちまち背中と肩の筋肉がゆるみ、少し楽になる。

 再び改札に戻った僕は手を振った。君に見えるように少し伸びあがり思い切り右手を振った。君の笑顔はいつでも僕を元気にさせてくれる。

 パスタでいい?
 僕は地元の小さな洋食屋でアルバイトをした経験もあったから、君よりは料理が上手かった。ペペロンチーノが乳化しないと騒ぎ立てる君に特訓も施した。そして君は上手になっていった。

 ナポリタンは僕の方が上手だけど、カルボナーラは負けた気がする。ナポリタンに入れるウスターソースを僕は教えてないからね。最後の(とりで)だから。

 スーパーに寄ったらケーキ屋さんも行こう。君の好きなイチゴのショートケーキがあるといいね。僕の好きなモンブランも。
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